九(三)

文字数 1,241文字

 持っていた黄酒の杯を食卓に置いて、龍恒(りゅうこう)が真剣な顔をした。
「お前には石刻の才能がある。それだけでなく、闘いの腕も相当なものだと田から聞いた。息子の龍溱(りゅうしん)は、石工にはなりたくないし、武術にも関わりたくないと言っている。あれの母親が、小さい時からそう教え込んでいたからな……」
 そこで言葉を切った龍恒は、またいつもの苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「それでも龍溱には、この店の商売をやらせるつもりだ。しかし、昨今は何かと世情が不安定になってきている。平和な世が終わり、争乱がいつ始まるか分からない。石工の頭領は、リョウにやってもらえないかと思っている。影の軍団の兵として鍛えてきた田たち古参の石工も同じ思いだ。それに祖父さんも、お前にあの頭領の剣を与えた」
 そう言った、(とう)龍恒(りゅうこう)の顔は、少し寂し気だった。リョウはしばらく考えてから、鄧龍恒と田為行に言った。
「皆がそう思ってくれるなら、俺はその仕事を引き受けたい。『なに事かに心から仕える、それが”仕事“だ』って王爺さんが教えてくれた。炳霊(へいれい)寺の石窟で皆と一緒に大仏を彫り、完成させたとき、一人で石を彫るのとは全然違うものを感じた。皆で造り上げる、そしてその皆を守る、それは単なる憧れを超えたやりがいのあることだし、それこそが俺のやることじゃないかって」
「それは良かった。『鄧龍(とうりゅう)』として、お前を迎えるのは大歓迎だ。ただし、(こう)憶嶺(おくれい)の息子のリョウではなく、炳霊(へいれい)寺の石工の(せき)(りょう)としてな。それで、『青海邸』はどうするんだ」
「それも続けさせてもらいたい。祖父さんは石を彫るだけでなく、頭領として影の軍団を率いていた。父さんの隊商(キャラバン)も、武装した商人の集団だ。自分達の力で身を守り、広い世の中を自由に生きる、そこはどっちも同じで、二人はそういうところで通じ合っていたんだと思う。『リョウは好きに生きろ』って言っている二人の声が聞こえる気がする。俺はできるなら両方をやってみたい」
「できるのか?」
(せき)傳若(でんじゃく)との話では、『青海邸』は、ただの車馬を扱う店ではなく、邸店(ていてん)として、商人のための宿泊、倉庫、運送を引き受ける店にするつもりだ。『鄧龍』の石屋の商売を龍溱がやってくれるなら、俺にもありがたい話だ。協力してできることは多いので、龍溱とも相談させてもらう」
「『青海邸』は、『八郭(はっかく)邸』にも対抗できるような、大きな店にするつもりなのか」
「あくどいことをして政商になった『八郭邸』に、大きさで対抗する気はない。利用してくれる人が、本当に西域の風を気持ちよく感じてくれるような、そんな店を作りたいんだ。そこのところは、軍馬牧場の役人にうまく喰いこんで儲けている石傳若とも、少し違うかもしれない」
「分かった、それでは両方やってみろ。石工の方は(でん)為行(いこう)が補佐してくれる」
 そう言った龍恒は、息子の龍溱(りゅうしん)を呼んだ。龍溱は小さくなって詫びを入れ、リョウは快くそれを受け入れた。父親の話を聞いた龍溱は、今後は石工ではなく、リョウと協力して商売ができることに、むしろホッとした顔を見せた。

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