九(一)

文字数 1,238文字

 リョウ達が掘り起こした栗の木の根元には、(かめ)が残されていた。少し細長く、下の方が膨らんでいる茶色の(かめ)で、くびれた首の辺りに色あせた赤い布が巻かれている。さほど大きくはないので、リョウは両手でそれを持ち上げた。中でチャポチャポと液体の音がする。 
 甕の汚れた表面を手ぬぐいでこすったリョウは驚いた。「開元十六年誕生 詩明」と黒々とした墨書(ぼくしょ)が現れた。これは、黄酒に違いない、とリョウは直感した。
 娘が生まれた時に、祝いのもち米で仕込んだ甕を密封して土に埋め、嫁ぐときに父親が掘り出して花嫁に持たせるのだ。ソグド人の風習ではなく、唐の南方の風習が長安でも流行ったものだ。もしかしたら祖父か母が父に教えたのかもしれない。長安を追放になった時にも、これだけは持ってきて埋めなおしたのだろう。今はどこに居るか分からないシメンへの、父と母の想いにリョウは胸を打たれた。

 奪い返した書状、金貨と、掘り起こした(かめ)を抱えて長安に戻ったリョウは、数日、傷の手当てと養生に努めた。その後、「鄧龍(とうりゅう)」に集まり、龍恒(りゅうこう)に詳しいいきさつを話すことになったが、事件の概要は既に、(でん)為行(いこう)が龍恒に説明していた。
「それにしても、なぜ俺たちが長安から跡をつけられたのか、それが分からない。そもそも(せき)(りょう)とアクリイの関係は誰も知らないはずだが」
 田為行の言葉に、龍恒はしかめっ面で眉をひそめた。
「いや、リョウが(こう)憶嶺(おくれい)の知人だと名乗ったことを、妻が気にしてな。この部屋での話もしつこく聞いてくるので、つい憶嶺の住んでいた草原に出かけるらしいと言ってしまった。むろん、石諒がアクリイの息子のリョウであるとは言ってない。しかし、その話を家内が龍溱(りゅうしん)にも教えてしまったのだ」
「なんだって、龍溱に話したって。それじゃ、龍溱から『黒龍』の連中に伝わり、『八郭邸(はっかくてい)』まで筒抜けじゃないか。なにしろ、最近じゃあ『黒龍』も『八郭邸』に抱き込まれて、建築関係の仕事でうまい汁を吸っている。龍溱もそれに一枚かませてくれと近寄っていたようだからな」
 龍溱の話になると、いつも苦虫をかみ潰したような顔になる龍恒が、さっきより深く眉をひそめた。
「今度のことでは、お前たちを大変な目にあわせた。もしかしたら、命を失っていたかもしれない。ただ、家内も龍溱も、まさかそんなことが起こるとは、考えてもいなかったろうし、『鄧龍』がお(とが)めを受けることを心配してのことだ。それも石屋どうしの秘密の話として伝えたのに、『黒龍』が外に洩らしたのだ。どうか(ゆる)してやって欲しい。龍溱も、自分のせいで田やリョウが殺されそうになったと知って、ひどく驚いて、あ奴らのあくどさにようやく気付いたようだ。もうこれからは近づくなと、きつく言ってある」
「もう龍溱のことはいいです。それより、田為行を護衛に付けてくれて、本当にありがとうございました。おかげで命拾いした。それに、父との約束を果たせたことが何よりで、今はホッとしている」
 二人のやり取りを聞いていたリョウは、そう言って顔を緩めた。
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