十七(四)

文字数 1,476文字

 悩める安禄山は、皮膚の色がさらに悪くなっているようだった。リョウは言った。
(よう)国忠(こくちゅう)(ちょう)萬英(まんえい)が、安禄山将軍を怒らせて、乱を起こさせようとしているのは明白です。乱を起こして苦しむのは、全土の民です。将軍も賊軍の将になります」
「俺が先に軍を起こさずとも、言いがかりをつけて俺を賊軍に仕立てることなど、長安の狐どもには朝飯前だろう。現に、長安の(りゅう)駱谷(らくこく)からは、楊国忠が哥舒(かじょ)(かん)の将に俺の討伐作戦を練らせているという情報も入ってきた」
 アユンが言った。
「長安には長男の慶宗がいます。ことを急げば人質として殺されます。私の義兄のキョルクも一緒です」
「楊国忠も人質を簡単に殺すほど馬鹿ではないだろう。人質は、生きていてこその人質だ。まあそれにしても、何かが起こったら長安を脱出できるよう、劉駱谷に準備させている」
「安禄山将軍の目的は、楊国忠を排除し、天下の(まつりごと)を皇帝に戻すことですか」
 リョウの質問に、安禄山はしばし瞑目(めいもく)し、それから大きく目を見開いた。
「俺をかわいがってくれた()林甫(りんぽ)は、自分が()いた種(楊貴妃)のために、その田の害虫(楊国忠)に食い殺された。それもこれも、陛下が正しい判断ができなくなったからだ。そんな耄碌(もうろく)した皇帝を順番に担いで、私利私欲にふける家臣しか出ないような国は、無くなった方が良いのではないか」
 その場の空気が凍り付いた。いつものように脇に控える厳荘と高尚も、無言で安禄山を見つめた。
「ハハハ、そんな怖い顔をするな。陛下の耄碌(もうろく)は人を欺くためで、実はその時々に一番力のある者を次々と操っているのは陛下自身だとも言われている。耄碌は権力を維持するための巧妙な戦略で、皇室は名家出身の貴族と禁軍にがっちり守られているとな。俺ももう一度、陛下に会いに行くか」
 恐ろしい言葉を冗談のように紛らした安禄山だが、再び考え込むと、アユンとリョウに向き合った。
「なあ、お前たち。俺の力は、どこから来るのだ?戦に強いことか、それとも賄賂(わいろ)で人を操ることか」
 黙っている二人にかまわず、安禄山は続けた。
「俺は、戦には強くない。(けい)契丹(きったん)との戦いで、何回も負け戦を経験した。中には手ひどい負けもあって、朝廷から敗戦の責任を問われ、殺されそうになったこともある。役人に賄賂を贈ることもあるが、そんなことで本物の力を持てるはずがない。俺は、まだ駆け出しの仲買人だった頃から、いつも手下と一緒になって、何とか這い上がろうと努力してきた。長安の奴らのように、人を踏み台にしてのさばるのではなく、いつも自分が率先して行動し、部下を守ってきた。そうやって得た部下からの信頼が俺の最大の武器だ。今は、この北の大地で自由に生きたいという、そういう部下たちみんなの希望を(にな)っている。だから、兵士も商人も、土地の古老も若者も、みんなが俺を支えてくれる、それが俺の一番の力なんだ」
 安禄山はそこで一度大きく息を吐き出して、その場にいる皆を見渡した。
「俺は、農民や遊牧民を苦しめ、嘘と力で人をねじ伏せ、哀しみと忍従を強いる国でなく、みんながやりたいことを自由にやって、互いに助け合う、より良い国を作るために、唐帝国に戦いを挑むことに決めた。このまま座していては、いずれ朝廷軍が幽州を襲ってくる。そうなって困るのは、この地の農民や遊牧民であり、俺を信じて唐軍に投降してきた突厥(とっくつ)契丹(きったん)(けい)などの何万もの将兵だ。厳荘や高尚などの漢人官僚も、(がん)杲卿(こうけい)のように俺が引き上げて来た漢人将軍だって、みんな困るだろう。俺は今まで失敗ばかりしてきた。だが失敗し続けている限り、まだ終わりじゃない。もう一度、戦うぞ」 
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