十二(一)

文字数 1,326文字

 シメンと再会した日の数日後、リョウはシメンを「鄧龍(とうりゅう)」に誘った。「鄧龍」に用意した席には、伯父の(とう)龍恒(りゅうこう)と伯母、従弟の(とう)龍溱(りゅうしん)に加えて、父アクリイを知る(でん)為行(いこう)もいた。
 シメンの話は、予想していたとはいえ、リョウには衝撃だった。奴隷としてウイグルに売られそうになり、隊商(キャラバン)の隊長を殺した悪人どもと闘い、若い奴隷を連れて長安へ逃げ延びて来たという話には心底驚き、小さかったシメンが、一人で良くここまで生き延びてくれたと、天に感謝した。
「やはりシメンは、隊商(キャラバン)の隊長だったソグド商人アクリイの血を引いているな」 
 そう言って田為行がしきりに感心していた。その活躍に感謝した(あん)椎雀(ついじゃく)がシメンを奴隷から解放したと聞いて、シメンのたくましさに感心し、そうなる前に救ってやれなかった自分にふがいなさを感じた。
 奴隷としての生活や売られそうになったいきさつなど、詳しいことは話に出ないし、そこに居た誰もがあえて()かなかった。シメンが言わないことを根掘り葉掘り訊いてはいけないと、誰もが語られることのない厳しい奴隷生活に思いをはせたのだろう。時間が経ってから、ゆっくり話そうとリョウは思った。
 奴隷から解放された後のシメンは、イルダが韓国夫人の屋敷付きの芸能奴隷になっていることを知り、安椎雀の斡旋でイルダの元に一緒に住んでいるのだと言った。その前に「鄧龍」の店を(のぞ)いたこともあったが、追い払われてしまったのはリョウと同じで、その話には、伯父と伯母が気まずそうに顔を見合わせるのが、リョウにはおかしかった。
「そう言えば、私は(よう)貴妃(きひ)の前でも踊るの。結構、気に入られているのよ」
 そのシメンの言葉には、話を聞いていた全員が、飛び上がるほど驚いた。
「楊貴妃が別の姫に嫉妬したことを、陛下がものすごく怒って、お兄さんの楊銛(ようせん)の屋敷に宿下がりを命じられたことがあるの。それはもう、楊家の人はみんな心配して楊銛の屋敷に集まったわ。だって貴妃が陛下に捨てられたら、楊家の人も安泰じゃいられなくなるから、そう奥様が言ってた」
「そこで踊ったのかい?」
「そう、なんとか楊貴妃を慰めて、機嫌よく陛下に謝らせようって。楊貴妃は胡旋舞(こせんぶ)が好きだから、イルダと私が呼ばれて、(よう)(せん)の屋敷で踊ったのよ」
「気に入られているって、どういうことだ?」
 伯母や伯父が発する質問にも、シメンはあっけらかんと答えていた。
「陛下は、三日もじらされて我慢できずに、貴妃を迎えに行かせて、陛下の方から先に謝ったって聞いたわ。それからは、私とイルダはときどき宮中に呼ばれたり、温泉宮に同行して踊りを披露したりするようになったの」
 料理が運ばれてきたときに、(とう)龍恒(りゅうこう)が、リョウから預かって酒蔵に保管していた黄酒の(かめ)を出してきた。それは、両親がシメンのために栗の木の根元に大事に埋めていたものだと聞き、それまで涙の一つも見せなかったシメンが、言葉に詰まった。甕に書かれた「開元十六年誕生 詩明」の文字を見ると、両手を胸に当て、こらえきれずにハラハラと涙を流した。
「これはシメンが嫁ぐときのために取っておこう」
 そう言った鄧龍恒に、シメンは言った。
「今日、ここで兄さんやみんなと会えたのを二人とも喜んでいると思う。ぜひ、今、ここで開けて下さい」
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