十八(四)

文字数 1,351文字

 (がん)杲卿(こうけい)は、ホッとした顔の(がん)季明(きめい)から眼を離し、リョウの眼を覗き込んだ。
「ところで、リョウと言ったな。お主は、ちと厄介なことになっている。長安でも評判の石刻師で、宮中や楊家にも石像を届けている。一方で安禄山との面識もある。しかもソグド人の血も流れているそうだな」
 顔杲卿が合図すると、戸が開いて数名の武装した兵士が現れ、リョウは身構えた。
「なに、取って食おうというわけではない。ただ、真卿の手紙にも、お前には注意しろと書いてある、どっちの味方かわからないとな。今晩は大事な宴会がある、すまんが、一晩だけ裏の別宅で過ごして欲しい」
 リョウは、武器を取り上げられ、武装した兵士に囲まれて連れ出された。驚き顔の顔季明が止めようとしたが、顔杲卿に抑えられた。リョウは、母屋から少し離れた小さな建物に入れられた。別宅などではなく、ただの物置小屋のようだった。しばらくすると、外で待っていた(そん)逸輝(いつき)と、(うまや)に馬を置きに行った進も連れてこられ、小屋の入口には鍵がかけられた。
「何なんだ、これは。俺たちは罪人扱いか」
「静かにしていろ、今晩だけだ。見張りが手薄だから鍵をかけさせてもらうが、飯も酒もちゃんと持ってきてやる」
 叫んだ進の声に、外から槍を持った警護の兵士が答えた。警護の兵士は二人で、軟禁状態というところだろうか。孫逸輝は、何ごともなかったように床に寝ている。
「お前はなんでそんなに落ち着いていられるんだ」
 進の怒声に、孫逸輝が答えた。
「一晩だけここに居ろということは、今晩、何かがあるということだ。それに巻き込まれたら命だって危ない。ここに居ろということは、俺たちには何も起こらないということだ。酒まで飲ませておいて、まさか明日殺されるということもないだろう」
 リョウは、ハッとして立ち上がった。
「それだ!今晩、大事な宴会があると言っていた。顔杲卿が、安禄山を裏切ると決めたのなら、安禄山軍の将兵が狙われる。酒で酔わせて殺すつもりだ」
 孫逸輝が、寝転がったままで、リョウを見上げた。
「それなら、どうしたというのだ。俺たちは、逆賊に加担するわけにはいかない。俺は、リョウが身勝手な思い込みで間違ったことをしないよう、しっかり見張れと(とう)龍恒(りゅうこう)から言われているんだ」
「なんだと、孫は俺のお目付け役でここまで来たというのか」
「そりゃそうだ、お前がもし安禄山の味方でもしようものなら、『鄧龍(とうりゅう)』の一家も、俺たち石工も、迷惑を被ることになる。お前の親父の時のようにな」

 リョウは、もうそれ以上、孫逸輝を責めなかった。それより、もし想像した通りなら、アユンもここに呼ばれているのではないかと心配になった。この常山から、()欽湊(きんそう)とアユンが守備を任されている土門関までは百里(約50km)余り、馬で一日もかからない。土門関は、太行(たいこう)山脈の西にある太原(たいげん)から華北に出るためには、必ず通らなければならない山越えの隘路(あいろ)(狭い道)で、井陘口(せいけいこう)とも呼ばれる。そこを通ったことのある孫逸輝は言っていた。
井陘口(せいけいこう)と呼ばれるのは、四面の山が高く、井戸の底のようになっているからだ。関所の周りに煉瓦や石を積み上げた城壁があり、古代から軍事上の要地だった」
 常山は、土門関への兵糧の補給地でもあり、もし顔杲卿が安禄山に(そむ)くなら、土門関は最初に奪うべき場所だった。
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