二十一(五)

文字数 1,441文字

 リョウは、小高い丘の上に陣取った皇太子の本営にいた。戦場となる草原には、色とりどりの軍旗がはためいていた。遠くに見える青地に黄色の縁取りは羽立(うりゅう)軍、近くの薄緑に白縁は朔方(さくほう)軍、濃紺に白縁は河東軍だ。皇太子を守る親衛隊の龍武軍は、赤地の真ん中に「龍」の字、黒の縁取りのある伝統の旗を立てて整然と並んでいる。数はわずか千人だったが、堂々たるものだった。進が近づいて来た。
「同じ唐軍でも、羽立軍はさすがに禁軍、遠くからでも(よろい)(かぶと)がきらびやかだ。それに引き換え、朔方(さくほう)・河東軍の鎧兜は、無骨で薄汚れていて、遠くからでも見分けられる」
「それだけ実戦経験が多いということだ。それより、今日は、進に、預かった百騎の隊長をしてもらう」
「ようやく俺も本物の将軍だな、だけどリョウはどうするんだ」
「俺は伏兵に回る。隊長が消えてはみんな困るからな」
 意味深なリョウの言葉に、進が怪訝(けげん)な顔をしたが、答える間もなく、草原にほら貝の音が吹きわたり、無数の太鼓と銅鑼(どら)の音が鳴り響いた。

 朝靄(あさもや)が未だ晴れ切らない中、両軍は激突した。
 はじめ左右の軍は、共に皇太子側が優勢だった。兵士らは、常山や河北で安禄山軍との戦闘を経験しており、しかも長年、突厥(とっくつ)契丹(きったん)など遊牧騎馬民族と戦ってきたので、騎馬兵の割合も多い。長安から出て来たばかりで、歩兵の多い羽立(うりゅう)軍の将兵を圧倒していた。それでも、羽立軍は数で勝り、劣勢になると(ちょう)萬英(まんえい)の騎馬隊が支援するので、左右の軍ともに、簡単には引き下がらず、両者互角の戦いが一刻(約2時間)ほど続いた。
 空は晴れ渡り、次第に暑くなってきていた。リョウが戦場を見渡していると、左の羽立軍が崩れ始めた。ずるずると後退していく。やがて右の羽立軍も崩れ始めた。勢いに乗った皇太子軍は、総大将の旗のもと総攻撃に移り、敵を押し下げ、前線はどんどん遠くなっていく。一方的な戦況にリョウは直感した。「(わな)だ!」
 前線の総大将に連絡する間もなく、リョウの心配は現実のものとなった。左右の軍が離れすぎたと思ったその真ん中から、四千騎ほどの騎馬隊が猛然と突っ込んできた。後ろに歩兵三千も走ってくる。黒地に黄色の縁取りの旗を押し立てているのは、勇猛果敢で知られた(ちょう)萬英(まんえい)直轄の主力部隊だった。
 本営の前面をかためる八千の兵のうち、騎馬兵は二千騎しかいない。騎馬の差が戦力の差になることを良く知っている趙萬英軍は、全軍を左翼を守る朔方軍四千にぶつけて来た。数で圧倒され必死に耐える朔方軍を、右翼の河東軍が助けに回った。それでがら空きになった右前方の草原を、どこから現れたのか、千騎ほどの騎馬軍団が一直線に皇太子の本営に向かって走って来た。「右の林に潜んでいたのか」、自分の戦いであれば、常に四方に斥候(せっこう)を走らせるのに、それをさせなかったことを悔やんだが、遅かった。
 急襲してくる部隊の旗は、忘れもしない黒地に赤の縁取り、(りゅう)涓匡(けんきょう)の部隊だった。まだリョウが子供だったとき、長安の北の草原で家族を奪った軍の旗、そしてリョウが突厥の斥候として捕まったときにも、目の前にあった旗だった。
 リョウは、親衛隊の隊長に言った。昨夜、リョウが龍武軍の隊長旗を託した、元の副隊長だ。
「これが奴らの狙いだ。ただ一人、皇太子だけを狙ってくる。まず弓隊で敵を削り、数で負ける騎兵は走り続けて敵を分散させる、その間に、歩兵は長槍を隙間なく並べて騎馬の侵入を防ぐ、頼んだぞ」
 リョウのおかげで面子をつぶされずに済んだ隊長は、素直に「任せろ!」と叫んで走り出した。
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