十五(四)

文字数 1,333文字

 リョウと(そん)逸輝(いつき)は、幽州(ゆうしゅう)(北京)を目指していた。范陽(はんよう)節度使としての安禄山の本拠地であり、近くにはアユンたちの製鉄所もある。
 華北平野の北端に位置する幽州は、もともと北方への陸路の要衝だったが、隋の煬帝(ようだい)高句麗(こうくり)遠征の武器や兵糧の輸送のために、黄河につながる長大な運河「永済渠(えいさいきょ)」を掘ってからは、江南からの穀物(こくもつ)(にしき)(さい)(五色の絹織物)などの布も盛んに運ばれるようになり、商業上も重要な街となっている。
 半月ほど旅を続けて、幽州の近くまで来たとき、リョウは、地平線まで広がる緑の大地の上を、真っ青な空が丸く覆っているのを見た。空気はどこまでも澄んでいて涼風が吹き渡っている。その光景は、リョウに突厥(とっくつ)の空を思い出させた。突厥では「天」は「テングリ」つまり「神」と同じ意味を持っていた。
 突厥と異なるのは、そこに農家が散在しているのが見えることだ。
「このあたりは、北の遊牧民と南の農耕民が混在して生活している。唐の政策でこの地に移住させられた蕃族(ばんぞく)(異民族)もいる。何代も暮らすうちに、ここでは農耕をしながら牧畜もするという生活が当たり前になっている。南北の血も文化も混じりあいながら、それでもうまく暮らしてきた。しかし、それも平和だから言えることで、ひとたび飢饉や戦争が起これば、どっちの陣営にも属さない異質なものや弱い者が最初に叩かれる。だから、安禄山のような強い統領(とうりょう)を必要としているのだ」
 孫逸輝の話を聞きながら、安禄山もまた、この(さわ)やな地から離れがたいのだろうと思った。
 街に近づいたリョウは、城壁の外に点々と広がるゲルの群れに懐かしさを感じた。地方政府の役所や役人の家、寺や商店、あるいは将軍の宿舎は城壁で囲まれた街の中にあるが、遊牧民出身の兵士や農民らは、城壁外の草原に、ゲルを立てて住んでいるのだろう。
 城門の中に入ったリョウは、街中に明らかに漢人とは異なる顔や衣服の人が多く居るのに驚いた。
「幽州には范陽節度使の兵士も含めると四十万人が住んでいる。そのうち十万人は、(けい)契丹(きったん)突厥(とっくつ)靺鞨(まっかつ)などの遊牧民が唐に帰順したものだ。それにソグド商人も多い、ほら、そこにあるのは祆教(けんきょう)(ゾロアスター教)の寺院だ」
 孫逸輝が指差した祆教(けんきょう)の寺院からは、お香の香りと西域の楽器による音曲が流れ出ている。門の両側に色とりどりの花が飾られ、恰幅の良いソグド商人や婦人たちが大勢、何やらお供えのようなものを手に忙しく出入りしている。
「毎月のお祈りの日には、安禄山もここに来て、巫女(みこ)に舞わせ、生贄(いけにえ)を捧げる。もっとも、その後で数百人のソグド商人を引見し、たっぷりと貢物(みつぎもの)を受け取るので、祈りに来るというよりは、自分を拝ませているようだと言われている」
 硯師として国中を歩きながら、諜報活動も行っている孫逸輝の情報は詳細だった。
 二人はまず、街中にあるキョルクの屋敷を訪ねた。そこにはアユンの姉で、今はキョルクの妻となっているソニバが居て、久しぶりの再会を喜んでくれた。
 ソニバに聞いて街の北西の草原に馬を走らせたリョウは、半刻(1時間)もしないうちに、川と森の間に広がる広大な製鉄場を見つけた。夕闇が迫っている時間だったが、点々と広がる炉から漏れる赤い火の色が、赤い星空のような異世界を見せていた。
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