十三(四)

文字数 1,429文字

 七月になって、シメンが残念な知らせを持ってきた。
(よう)貴妃(きひ)から褒美をもらったという織女(おりめ)が見つかったわ。突厥(とっくつ)で奴隷だったのは事実だったけど、ゲイック・イルキンの集落のことは知らないって言っていた」
 予想はしていたが、リョウはがっかりし、もう(てい)のことはあきらめなければいけないのか、と思った。
「ところでシメン、俺は(あん)禄山(ろくざん)の軍勢の中にアユンに似た男を見たんだ」
 そう聞いて色めき立ったのはシメンの方だった。何とか確かめられないかと、あの手この手を考えていた時に、シメンが「思いついた」という顔で目を見開いた。
「奥様は楊貴妃の姉、つまり安禄山の義理の伯母になるから、奥様に頼んで、舞の宴を開くと言って、屋敷に招待してもらう」
 安禄山は数年前に、自ら皇帝に求めて、楊貴妃の養子にしてもらっていたのだ。
「しかし兵士は屋敷の中には入れないだろう」
「私は突厥(とっくつ)の村で育ったから、護衛に突厥の兵士を連れてきてくれたら、中庭で舞を見せると言うわ」

 その七日後、もう間もなく幽州(ゆうしゅう)(北京)に帰るという安禄山の一行を、韓国夫人が屋敷に招待した。両家は隣り合う坊に屋敷があり、それまでにも安禄山が来たことはあるという。普通の遊びに飽きていた韓国夫人は、シメンの企みに喜んで付き合ってくれた。「私も貴妃をこっそり招待して、安禄山の驚く顔が見たい」と言ったという。それまで何度もシメンに会いに韓国夫人の屋敷に来ていたリョウが同席することも、すんなりと承諾された。招待客の一人、屋敷の石灯籠を造った「鄧龍」の一員としてだった。
 一人、機嫌が悪いのはイルダだと聞かされた。シメンとイルダの仲を知る韓国夫人は、「昔の知り合いの若い男を探していると聞いて、イルダが嫉妬しているのだろう、それも面白い」と、楽しんでいる風だとシメンは言った。シメンは、「リョウが探している友達だ」と言って、イルダをなだめたのだという。
 その夜、安禄山は長安の屋敷に住んでいる長男の(あん)慶宗(けいそう)を連れ、数人の幹部と二人の付き人を伴って屋敷に上がってきた。その長男は唐の朝廷にとって、いざという時の人質であろう。
 庭に面した広間には幅の広い縁側が付いていて、そこが踊りの舞台になる。上座には御簾(みす)が垂らされ、中座には韓国夫人と安禄山の一行が、下座には鄧龍恒、鄧龍溱、それにリョウが座った。
 一通りの食事が供され、舞の段になり、広間の隅で楽隊が奏でる曲に合わせて、少女たちが賑やかに舞った後、韓国夫人は安禄山に胡旋舞(こせんぶ)を舞うよう催促した。
「禄山殿は、陛下の前で素晴らしい胡旋舞を舞ったとのこと。ぜひ私達にも見せていただけませんか」
「いや伯母上、あれはまだこの身体が、いささか小さかった頃、今では太って、踊りなどとても、とても」
 奥の御簾(みす)が上げられ、中から楊貴妃がツイと前に出てきた。
「私が一緒に踊ると言っても、踊れませんか」
「やあ、これは、義母(はは)上もおいででござったか。これは、これは……」
 大げさに驚く安禄山が起き上がるのを、両脇の付き人が助けたが、一度立ち上がった安禄山は、言葉に反して身軽だった。「安禄山のお腹は床まで垂れ下がり、二人の付き人が腹を持ち上げないと歩くこともできない」と世間では噂されていたが、それが嘘であることをリョウは知った。むしろ、二人の付き人は極めて優秀な武人の護衛なのであろう、そのすきのない動きを見てリョウは思った。
 やがて始まった二人の踊りは、言葉とは裏腹に、とても慣れたもので、韓国夫人は大喜びだった。
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