十(二)

文字数 1,224文字

 秋を前に、リョウは陽林のタンに手紙を書き、長安の「青海邸」で馬の商売を手伝わないかと誘った。タンの返事には、馬の商売よりは長安で宮大工の腕を磨きたい、という趣旨のことが書いてあった。リョウが「鄧龍(とうりゅう)」でそのことを話すと、最近では「黒龍」と距離を置き、真面目に商売に励んでいる「鄧龍」の若旦那、(とう)龍溱(りゅうしん)が、ハタと手を叩いた。
「リョウも知っていると思うが、ここ一年ほど、長安では楊氏の五家が競って新しい屋敷を作っている。屋敷と言っても、どこも宮殿並みの壮麗さだ。金払いが良いので、宮大工はみんなそっちに行って、大工不足だ。なにしろ、落成した後でも、自分の屋敷より壮麗な堂や庭をよそで見つけたら、すぐに壊して新しく造り直させているくらいだ」
「楊氏の五家というのは、楊貴妃(ようきひ)の親族のことか」
「そうだ、()林甫(りんぽ)に対抗させるため、宦官(かんがん)高力士(こうりきし)が、楊貴妃の親族をみんな出世させた。三人の姉は国夫人(こくふじん)という特別な称号を賜った。それが適氏へ嫁いだ韓国(かんこく)夫人、(はい)氏へ嫁いだ虢国(かくこく)夫人、柳氏へ嫁いだ秦国(しんこく)夫人だ。それに兄の楊銛(ようせん)従弟(いとこ)楊錡(ようき)も入れて五家になる」
「最近、陛下から名前を賜ったという(よう)国忠(こくちゅう)は、入らないのか?」
「ああ、あいつは賢い。楊貴妃にぞっこんの皇帝に取り入ってばか騒ぎしている親族を、本当は苦々しく思っている。しかし、李林甫を追い落とすために、高力士のやり方に乗っているだけだろう」
「楊国忠は世の中を渡る術に長けていて、皇帝の覚えもめでたいって、龍恒が言っていた」
「陛下のご機嫌取りがうまいのだ。人の恨みも構わず租税を厳しく取り立て、銭や絹織物でいっぱいにした宮廷の蔵を陛下にお見せしたり、やることがせこい。宰相以外の役職は、もう全部、楊国忠が握っているようなものだ」
「龍溱の情報網はさすがだな」
「ああ、俺にはリョウのように石を彫ったり、飛刀を投げたりすることはできないからな」
「いや、情報の力は武力に勝るとも劣らない、心強いよ。それで、『鄧龍』にもその五家の邸宅の仕事が来るのか」
「いや、そっちは楊家と親しい業者が仕事を取っている。どうせ賄賂をたっぷり贈っているんだろう。何しろ、五家を通さないと朝廷への請願も取り上げられないということで、五家の門は、贈賄の使者で朝夕、市場のような人だかりだ。楊家とは趙萬英が親しいので、『八郭邸』や『黒龍』は、そっちの筋から仕事をもらっているようだ」
 悔しそうな顔の龍溱を見て、リョウがからかうように笑った。
「まだ『黒龍』に未練があるのか」
「馬鹿なことを言うな、俺はリョウや田為行を死なせそうになって目が覚めた。五家の工事にみんな出払っているから、代わりにこっちは仏教寺院や道観の仕事が忙しくて、手が回らないほどだ」
「それなら、タンに大工仕事を紹介する件、よろしく」
 突厥(とっくつ)の草原で生死を共にし、またタンの心の奥深くにある虐殺の記憶と悔恨に接して以来、リョウはタンを友人以上の存在に感じて、長安で一緒に暮らしたいと思っていたのだった。



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