十九(八)

文字数 1,587文字

 リョウは、(かく)壮傑(そうけつ)が言った「(そう)刺映(しえい)が、街のゴミどもを一掃しに出かけている」という言葉が気になっていた。「街のゴミ」はソグド商人のことだと思っていたが、(りゅう)涓匡(けんきょう)の指示で動いているとしたら、狙いは別にあるのではないか。ハッとしてリョウは、馬車につながれていた青海(せいかい)駿(しゅん)の綱を解いて飛び乗った。
「この馬を借りる。シメンを探しに興唐観の『施薬院』に行くから、後を頼む」
 青海駿を急がせながら、リョウは思った。「鄧龍(とうりゅう)」の指揮所で聞いた街の噂に「安禄山が、金持ちに恨みを持つ貧民や浮浪者をけしかけて、貴族を襲わせる」というのがあった、あれには「貧民や浮浪者を襲え」という隠れた意図があるのではないか。それなら、「施薬院」や「悲田院」も危ない。
 長楽坊にある興唐観に近づくと、煙が立ち上っているのが見えた。悪い予感のまま駆け込んだリョウは、「施薬院」から火が出て、周りに数人の患者服の男女が血まみれで倒れているのを見た。入口から、煙が充満し始めた中を覗くと、さらに大勢の人が血を流して倒れている。リョウは飛びこんで、息のある者がいないか確かめながら、シメンを探した。追いかけて来た進が、数人の若い石工と一緒に駆け込み、リョウを手伝って息のある者を運び出した。火がつけられたのはついさっきだろう。あいつらは近くにいる、そう思ったリョウは、シメンが居ないのを確かめると、進たちに後を頼み、隣の大寧(だいねい)坊にある興唐寺に走った。

 「悲田院」の周りに、(そろ)いの職人服に茶色の頭巾(ずきん)(かぶ)った男たちが十人ほどいた。その中でも一番大きな男に見覚えがあった。元宵(げんしょう)観燈(かんとう)の夜にリョウを襲った無頼漢の頭、(そう)刺映(しえい)だ。「悲田院」の扉は固く閉ざされ、開けあぐねた曽刺映が、火であぶり出すよう命令した。
「待て、ここは武則天(ぶそくてん)の作った孤児院と知っての狼藉(ろうぜき)か」
 リョウの声に振り向いた曽刺映が、言った。
「黙れ、ここに居るのは、この街を汚している浮浪者と淫売(いんばい)崩れ、それにそいつらの子供ばかりだ。薄汚い奴らは、この街から一掃しろというお達しだ」
「『施薬院』で病人を虐殺し、ここでは孤児らを虐殺する気か」
「お前は『青海邸』のリョウだな。ちょうどいい、(ちょう)萬英(まんえい)将軍の新しい世になれば、ずる賢いソグド商人も、街を汚す宿無しも、こそ泥のくそ餓鬼どもも、きれいさっぱりいなくなる。お前も一緒に片づけてやる」
 そのとき、手下の男が燃え盛る松明(たいまつ)を持って「悲田院」の建物に近づいた。リョウは背中の弓を取り、矢を放った。男は、もんどりうって倒れたが、手にした松明(たいまつ)が転げ落ちて、建物脇に積み上げた枯れ枝に燃え移った。リョウは火を消そうと走ったが、火はすぐに建物に移って、煙が建物の中にも入り始めた。
 そのとき、「悲田院」の扉が開いてタンが出て来た。タンが、扉近くにいた曽刺映の手下を、木刀で叩き伏せるのを見て、リョウは駆け寄った。
「おお、リョウ、よく来てくれた」
「タン、良かった、生きていたか、俺も一緒に子供たちを守る」
 曽刺映が、憎々しげに二人を見て叫んだ。
「なんだ、お前ら。面倒くせえ、みんなまとめて()っちまえ!」
 曽刺映の声で、賊は一斉に手にした短刀(どす)で襲いかかってきた。リョウが剣を振り回して敵を威嚇(いかく)する間に、タンは木刀を置き、「悲田院」の老人や女たちと協力して、火の手が上がり煙が充満した室内から、子供らを外に逃がし始めた。
 リョウが離れた隙をついて、扉の前に立つタンに、敵の二人が同時に短刀を突き出した。タンは子供をかばいながら短刀を避け、拳で一人の男のみぞおちを打ち、短刀を叩き落とすと、もう一人の男を足払いで転がした。
「タン、武器を取れ!病人や子供の命を奪うような奴らだ、仏様も許してくれる、遠慮するな!」
 リョウが敵と戦いながらそう叫んでも、タンは叩き落した短刀を手にしない。足払いされた男が起き上がり、扉の前で再びタンと対峙し、両手で短刀を構えた。

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