十四(三)

文字数 1,243文字

 それから一月ほど後、漸く暖かくなりかけた頃、リョウはシメンからの知らせを受けて、一緒に宮中の機織(はたおり)工房に出掛けた。リョウに話したことを告げたシメンに、(てい)は本気で怒ったようだったが、最近は体調も少し良くなったので、何とか会うことだけ了解を取り付けたのだという。リョウを待たせて、工房の隣の奴隷用の宿舎に入ったシメンは、しばらくして一人の女を連れて出てきた。少し離れた庭石に腰かけていたリョウは、飛び上がった。
 その人は、痩せて白い肌をしていた。日に焼けた黒い顔、小柄だけどたくましい農家の娘という婷の印象とは違う女だった。リョウはシメンが勘違いしたのだと思った。たまたま突厥(とっくつ)の奴隷ではあっても、婷とは違う別の女、それを婷と思い込んで今日まで来てしまった。
 今まで寝ていたのだろうか、病衣を着て、髪は後ろでざっくりと束ねているだけだ。頬がこけ、首筋も袖から見える腕も、やせ細っていた。ゆっくりと近づいて来た女の顔は、一年中、工場で織物を織っているからだろうか、あるいは病気のせいだろうか、蒼白と言った方が良い白さだった。その白さの中で、黒い瞳だけが光っていた。濡れた黒い瞳、昔と変わらぬ婷の黒い瞳が、リョウを見ていた。

「婷、なんだな」
「お久しぶりです。二度と会わないと思っていましたが、一度だけ、今回限りと、出てきました」
 リョウは、二人の間に見えない大きな壁があるようで、抱きしめることもできずに立ちすくんだ。
「俺が何とかする。奴隷から解放できるよう手を尽くすから、なんとか元気になるよう頑張ってくれ」
「今日、こうして会えただけで、とても嬉しかったです。それにリョウは、すごく元気そうで」
 そう言った途端、婷はゴホゴホと咳き込んだ。シメンが、その背中をさすった。
「兄さん、あまり長話はできないの。私が婷に付いているから、今日はこれで帰って」
「もう、会えません。でも、本当に、ありがとう、さようなら」
 茫然と見送るリョウに小さな背を見せて、婷は宿舎の戸口に入っていった。

 後で青海邸に戻ってきたシメンに、リョウは気持ちを吐き出した。
「俺は、なんて馬鹿なんだ。せっかく婷に会えたのに、言いたいことも言えずに、手を握ることも、抱きしめることもできずに、他人ごとのようなことを言って……」
「それで、兄さんはどうなの」
「どうもこうも、俺は婷と、もっと、もっと会いたい。十年の間にできた氷のような壁を溶かしたい」
「兄さんには黙っていたけど、婷がもう兄さんに会えないという理由は、まだあるの」
「なんのことだ」
「婷は、米屋の妾のときに、妊娠したけど、間もなくひどく体調を壊して流産したんだって。もう子供はできないかもしれない。東当帰(ドンクアイ)という香草を煎じて飲まされたって。本来は、女性の身体の調子を整える薬だけど、妊娠中にこれを大量に飲むと流産の危険があるから、妊婦には飲ませないものなのに」
 事情がよく呑み込めずにいるリョウに、シメンが言った。
「十年も会いたいって思っていたのでしょ。ゆっくり、ゆっくり、ね」
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