十六(二)

文字数 1,502文字

 翌朝、リョウはアユンと一緒に、幽州の北にある雄武城を訪れた。キョルクから預かった手紙を安禄山に届ける名目だった。(おう)忠嗣(ちゅうし)将軍は「雄武城など三日で落とせる」と言ったそうだが、確かに平野の真ん中に城壁で囲っただけの城は、堅固な要塞とは程遠いものだった。周囲にはゲルが点在している。
 キョルクの紹介状があったせいだろう、リョウは(あん)禄山(ろくざん)に直接会うことができた。安禄山の両脇には、いつか長安の韓国夫人の屋敷で見た時と同様、二人の武人が隙を見せずに座っている。しかし、当の安禄山は、前に見た時よりさらに太り、目がたるみ、精気がないよう見えた。部屋には香が焚かれているが、リョウは何か病人の発するような甘酸っぱい臭いを嗅ぎ取った。
「キョルクの手紙を読んだ、ご苦労だった。ところで、お前は、アユンと共に戦った突厥(とっくつ)の武人で、炳霊(へいれい)寺では賊軍を追い払ったと紹介状に書いてある。この城を見て、どう思った」
「城の周囲に川も岩山もない。周囲に馬牧場があり、羊が放牧されている。ここの北には営州の砦があり、その北には長城もある。しかも、この辺の(けい)契丹(きったん)の部族は、ほとんど将軍に降っている。この城は戦うための城でなく、兵馬を養い武器を貯蔵するための城だと思う」
「お前は、王忠嗣よりよほど見る目があるな。遊牧騎馬民族に、内にこもって戦うための城などいらない。それなのに、俺が謀反を起こすために作った城だなどと、言い立てる奴らがいる」
「それに加え、ここにいるアユンもそうだが、この城の内外には実にさまざまな民族が一緒に居るようだ」
「ここでは、民族や家柄を問わずに、才能があれば誰でも登用される。たとえ奴隷だった者でもだ。俺が重用してきた人材には二通りある。一つは、自分で考え、責任を持って行動し、部下もそれを信頼して付いてくという『領導(リーダー)』だ。もう一つは、他の者にはまねのできない高度な技術や武術を持つ『専門家』だ。どちらも、今よりも安全で豊かな暮らしをもたらしてくれる。アユンはその両方だ」
「安禄山将軍は、ソグド人の父親と突厥人の母親を持ち、ずっと北の大地で戦ってきた。それなのに、今は宰相も目前だと聞いている。実は、私の父もソグド人だ。唐という国は、そういう様々な()なるものを受け入れる、度量の大きな国だと期待して良いのか」
「それは、ここに居る高尚(こうしょう)厳荘(げんそう)に答えてもらおうか。二人とも漢人の優秀な官僚だ」
 そう言って安禄山は、部屋の横に控えていた二人の男を示した。まず高尚が口を開いた。
「隋も唐も、もとはと言えば鮮卑(せんぴ)系(モンゴル系遊牧民)の王朝だ。流刑地のような武川鎮(ぶせんちん)(辺境防衛軍の駐屯地の一つ)で力をつけて来た軍人貴族にすぎない。言語もバラバラなら、生活習慣も違った連中が、必要に迫られて漢語を共通言語とし、生活様式も漢化しながら、渾然(こんぜん)一体となって勢力を広げて来たという歴史がある」
「だから唐の朝廷にとって、胡か漢かの出自を問い、差別することは自己否定になりかねない。皇族も貴族も、蛮人であり、同時に漢人でもあるのだからな。必然的に、多くの()なる者を受け入れて来た」
 二人の説明を、安禄山が引き継いだ。
「そうは言いながら、長年、長安で権力の座に座っていると、昔のことなどすっかり忘れて、自分達こそが高貴な血を持つ一族で、黄河流域を支配する正当な民族だと、何の不思議もなく思い込んでいる」
 そう言った時の安禄山の眼光は鋭かった。高尚や厳荘が漢人の優秀な官僚だとしても、ここに居るということは、長安では出世できずに不満を持っているのだろう。安禄山自身よりも、周囲の人間が、朝廷への敵意を安禄山に吹き込んでいるのではないか、リョウはそう感じた。
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