十四(二)

文字数 1,290文字

 朱ツェドゥンの屋敷を辞したリョウが「青海邸」に戻ると、珍しくシメンが待っていた。
「どうした、シメン。やけに深刻な顔をしているな」
「兄さん、どうか怒らないで聞いてほしいんだけど……。実は、前に探し出した『楊貴妃の織女(おりめ)』は、兄さんが探していた人だったの」
「何だと!突厥(とっくつ)の奴隷だけど、俺たちの集落のことは知らないって言ってたじゃないか」
「本当に、最初はそう言われたの。ただ、同じ突厥の奴隷だから、私も彼女とは気が合って何回か会ううちに、実はリョウ兄さんのことを知っているって、ふと洩らしたのよ。私が、アユンに会った話をしたときだった。ただ、彼女にも兄さんには知られたくない事情、会いたくない事情があって、決して言わないでくれって頼まれていて、今まで話せなかったの」
「その事情がどういうことか知らないが、今、(てい)はどこにいるんだ。元気なのか」
「それが、身体を壊して、熱と咳が止まらない状況になっている。私が施薬院の麻黄(まおう)桂皮(けいひ)杏仁(きょうにん)で薬を作ってあげてるんだけど、万が一のことを考えて、兄さんにも知らせた方が良いと思って、今日は内緒で来たの」
 婷がウイグルとの大会戦のさなかに、奴隷として売られて行ったのは、リョウが十七歳、婷が十五歳のときだった。もうかれこれ十年の時が経っている。シメンが話してくれた婷の話は、その過ぎてしまった時間の長さを改めてリョウに思い知らせた。
「婷を買ったのは、ソグド商人と一緒に来ていた漢人の奴隷商人だった」
 どうりで、ソグド商人を探し回っても見つからなかったわけだ、とリョウは思った。
「婷は、長安のその商人の家で小間使いをしていて、そのうち売り時と見た奴隷商人が、江南の米を扱う大店(おおだな)に婷を売ったの。そこの旦那の(めかけ)としてね」
 婷が妾になったと聞いて、リョウは胸が締め付けられ、やり場のない怒りを感じた。
「妾と言っても、その実、さんざん米倉庫で働かされ、旦那の気が向いたときだけ夜の相手をさせられる、そんなものだったらしい。でも間もなく、米屋の主人は仕事で行った南方の風土病にかかって死んでしまい、婷はまた奴隷商人に売られたそうよ。その頃、宮廷で楊貴妃の機織(はたおり)奴隷を大量に集めていたので、婷もそこに売られたんだって。それが二十歳の頃だから、婷はもう五年以上も機織工房で(はた)を織り続けていたの」
「それで、婷の具合はどうなんだ」
「熱も下がらず、咳も止まらず、身体が痩せてきている。一日中、機織(はたおり)機の前に座って、食事もろくなものじゃないから、身体の抵抗力が無いのよ。もしかしたら、生きる気力も衰えているのかもしれない」
「だったら、なおさら会わせてくれないか、頼む。婷には内緒で来たと言っても、シメンだってその方がいいと思ったから、俺に教えに来たんだろう」
「うん、それはそうなんだけど……。婷は同い年だし、とてもいい子。私も好きだから、なんとかしてあげたいけど、どうすれば良いかと思って」
「とにかく俺を婷の宿舎に連れて行ってくれ」
「いきなりそんなことをしたら、あの()、死んでしまうかもしれない。でも兄さんの気持ちは分かったから、私が何とか話してみる。それまで少し時間をちょうだい」
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