二(二)

文字数 1,445文字

 こうして、何とか順調に再開されたかに見えた作業だが、夏場に入るころには、その進行が遅く、年内の完成には間に合わないのではないかという懸念がでてきた。現場では、周縁の岩を削り落として像を立体的に浮かび上がらせる作業が佳境を迎えていた。しかし、怪我人が相次ぎ、職人どうしや奴隷どうしの喧嘩の報告も上がってきていた。
 リョウは、哲にそのことを話した。
「どうも、現場がぎくしゃくしているようだ。集中力を欠いた事故も起きている」
「俺もそれを考えていた。今回は、裴寛(はいかん)はじめ皇太子派の貴族が相当力を入れているので、金は潤沢だ。職人たちにも、それなりの金を払っているのに、何が不満だと言うんだ」
「作業を急がせているので、どうしてもあちこちに無理が出ているようだ。それに、金をもらうのは職人の雇い主で、職人たちはあまりいい目を見ていないのではないか。奴隷に至っては、こんなところに連れて来られて、何もいいことはないだろう」
「こんなところと言うが、俺たちはここに住んでいるんだぞ。それに、今ならまだ季節もいいじゃないか」
「すまない。しかし、想像以上に現場の状況は悪そうだ。俺が職人たちと一緒に暮らして様子を見ようと思うが、どうだろうか」  
「一緒に暮らすって、お前、どこに住むんだ?」
 リョウは、朱ツェドゥンの客分ということで、今は本堂の中にある一室で寝泊まりしている。何しろ、馬商人でありながら皇甫惟明の窮地を救った元突厥(とっくつ)の百人隊長という噂が流れ、誰もが一目置いていた。本当は百人隊長はアユンだったのだが、リョウは肯定も否定もしなかった。過去のことは自分から触れる必要はないと思ったからだ。
 石工の頭領の哲は、寺の裏にある宿舎に、呂浩(ろこう)が連れてきた職人たちと一緒に暮らしている。昔からの哲の仲間のようだった。彼らの奴隷も、その周囲の掘立小屋に住んでいた。
 しかし、ほかの石窟から集められた職人は、それまで同様、摩崖仏の北側の崖にある狭い洞窟で寝泊まりしている。それは、若い頃に敦煌(とんこう)に行った哲も同じだったと聞いている。
 ほかに呂浩の手配で、夏前に長安から集められた職人たちもいた。彼らは、石窟などとんでもないと、宿舎を建てることを要求し、呂浩も背に腹は代えられないと許可した。その際、奴隷用の掘立小屋も建てたが、狭い部屋に押し込めて、食事も(ひど)いと聞いていた。どうも、そういうバラバラな待遇に、工事が上手く進まない元凶があるのではないかと、リョウは目星をつけていた。
「俺も石工の端くれだ。新しく長安から来た職人たちの宿舎に、居場所をもらおうと思う」
「そうか、あいつらは長安から来たと言っても、人手不足の中、急いでかき集めたから、どこの馬の骨ともわからん奴らだ。大丈夫か?」
「別に殺されるわけでも無いだろう。それに、俺は一人で寝るよりみんなと居る方が好きだ」
「そう言うがリョウ、実は、長安にはこの大仏造りを邪魔しようという勢力がいる。そいつらが送り込んだ者が紛れ込んでいるかもしれないぞ」
「それなら、なおのこと結構。俺が中に入って様子を見るのが一番だろう」
 哲は、少し考えてから、リョウを見た。
「わかった、そうしよう。だが、気をつけろ。呂浩(ろこう)が連れてきた職人の中に、俺の一番弟子で『健』という奴がいる。そいつを一緒に行かせる。残った連中は、俺がまとめる」
「それはありがたい。それなら、健に職人をまとめてもらい、俺は奴隷の面倒をみる」
「奴隷って、お前、どうするつもりだ」
「心配するな、俺も、もとは奴隷だったのだからな」
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