十九(六)

文字数 1,166文字

 ソグド商人街の暴動は次第に大きくなり、火の手も上がっていた。財貨を運び出した倉を、焼き払っているようだ。しばらく人の流れを追っていた健が言った。
「やはり『黒龍』の連中がいる。それに『西胡(さいこ)屋』、いや今は『八郭(はっかく)邸』か、そこの連中もな」
 リョウの父が財産を預けたのは、ソグド人の友人がやっていた西市の「西胡屋」で、それが今は番頭だった(かく)壮傑(そうけつ)に乗っ取られて「八郭邸」になっている。リョウたちはその近くにいた。
「ああ、俺も気付いていた。奪った物は、ばれないよう路を迂回して、『八郭邸』の倉に運んでいるようだ」
 リョウの言葉に、(そん)逸輝(いつき)が慎重に考えるそぶりで言った。
「それでどうするのだ。ソグド商人が悪いわけではないだろうが、ソグドの血が入った安禄山が迫っている状況で、怒った街の衆がソグド人を襲うのも無理はない。それに『鄧龍(とうりゅう)』と『黒龍』が正面からぶつかるわけにもいかないぞ」
「ああ、お前たちに迷惑をかけるつもりはない。しかし、(かく)壮傑(そうけつ)という男は、『西胡屋』の番頭でありながら主人を殺し、その友人だった俺の父の財産を奪った。そのうえ、俺たち家族が居た集落を襲わせたのだ。それだけでも許せない奴だが、このどさくさに紛れて悪事を重ねているのを見過ごすわけにはいかない」
「俺たちだけではどうしようもない。それに『八郭邸』がソグド商人を襲っているという証拠があるのか」
 リョウは、常山城での行動から、孫逸輝が軽率には動かない慎重な男だと知っていたので、別に嫌な気はしなかった。
「略奪品を積んだ荷車が『八郭邸』に入る現場を押さえる。俺一人で行くから、後のことを頼む」
 孫逸輝が言った。
京兆府(けいちょうふ)(行政府)(いん)(長官)の(さい)光遠(こうえん)が、長安の留守役に任命された。その下で、軍も長安の治安回復に動いている。そこの役人と兵をこっちに寄こしてもらう」
「わかった、そうしてくれると助かる。俺は行くぞ」 
 孫逸輝にそう声をかけ、リョウは腰の革帯に差した石鑿(いしのみ)と背中の弓矢を確かめて、走り出した。
「俺はリョウと行く」
 そう言って進が続いた。
「まったく、若い奴らはせわしなくてしょうがない。年寄りに面倒なことを押し付けやがって」
 ぼやきの健はそう言いながらも「俺が合図したら助けに来い」と孫逸輝に指示して、二人の後を追った。
 「八郭邸」の倉に通じる裏門の近くで、リョウは様子を見ていた。やがて、積荷を大きな布で覆った馬車が裏門から中に入った。
「あっ、あの馬は俺が近くのソグド商人に売った青海駿だ!」
 進の馬の見立てに間違いがあるはずはなかった。「行くぞ」と呟いて、リョウは裏門から屋敷の中に飛び込むと、短刀で素早く綱を切り、積荷の覆いを外した。
何奴(なにやつ)だ!」
 囲んできた人足風の男たちにリョウは言い放った。
「この馬も積荷も『八郭邸』のものではあるまい、混乱に乗じた略奪は断じて許せない」
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