十九(九)

文字数 1,794文字

 その時、「悲田院」の扉から、泣きじゃくる小さな女の子と、その手を引く男の子が外に出て来た。兄妹のようだった。二人は、扉の前で向き合ったタンと賊の間で、一瞬立ちすくんだ。短刀(どす)を構えた男が二人を蹴り飛ばし、女の子は石に頭をぶつけてぐったりとなった。タンは、弾かれたように男に飛びかかり、地面に転がしてみぞおちを強く突いて気絶させた。
 リョウは、タンを助けたくても、大勢の敵に囲まれ、自分の身を守るのに精一杯だった。長剣を手にした別の男がタンに斬りかかった。タンは、その剣の柄を敵の手ごと(つか)んで(ひね)り倒した。タンが振り返った目の先で、さっきの小さな男の子が、拾った短刀を握りしめ、タンに気絶させられた賊の前に立っているのが見えた。女の子を蹴り飛ばした男だ。男の子は、両手で握ったその短刀を、賊に向かって大きく振りかぶった。
 とっさにタンが走り寄ってその男の子の手を払い、短刀を地面に叩き落とした。同時に、後ろから、長剣の男が二人に斬りかかった。(にら)みつける男の子をかばうように抱きしめたタンは、後ろから、男の長剣で背中を深々と斬り裂かれた。すべては一瞬のことだった。
「タ―ン!」
 リョウの絶叫が響いた。駆け寄ったリョウは、長剣を持った敵を、一撃で倒し、タンをその膝に抱いた。
「タン、どうして……」
「十歳の子供でも…、剣を持たせれば…復讐(ふくしゅう)する…、が…、それをさせてはならない」
 リョウは一瞬のうちに思い出していた。かつてタンが奴隷兵士として北の村を襲い、命じられるままに村人を虐殺していたこと、その罪の意識に(さいな)まれながら自分が殺しかけた母娘を探し求めたこと、その被害者である母から加害者であったタンが(ゆる)された日のこと……、タンはあの日から殺すことをやめたのだ。
「タンは、宮大工になって、立派なお寺を造るんだろう、まだ死ぬな!」 
「あの世で、…一緒に作る…、リョウ…、ありがとう」
 切れ切れにそれだけ言って、タンは少し微笑(ほほえ)んだ。その身体を、リョウはきつく抱きしめた。
「良く生きた、タン……」

 (そう)刺映(しえい)が、馬の鞍に付けた長剣を抜き出した。それは、軍刀だった。リョウは、タンをそっと地面に寝かせて、立ち上がった。
「正体を現したな。お前たちは、街の職人でもゴロツキでもない。(りゅう)涓匡(けんきょう)の裏工作部隊の兵士だ」
「そんなことはどうでもいい、お前は兄貴の仇だ、ここで死んでもらう。みな、かかれ!」
 曽刺映の声に、残っていた兵士らが一斉にリョウに斬りかかった。リョウは、囲まれないよう横に走りながら、革帯の石鑿(いしのみ)を抜き出し、三本立て続けに敵に投げつけた。リョウの最も得意とする形だった。思わぬ飛刀の攻撃に三人が倒れたのを見て、曽刺映がうなり声を上げてリョウに斬りかかってきた。その剣をがっしり受け止めたリョウと曽刺映は、(にら)みあいながら互いに剣を押し、パッと後ろに下がって、向き合った。今度は互いに無言だった。集中した曽刺映の気がリョウに刺さるようだった。
 一瞬、曽刺映の気が緩んだ。誘いと分かっていても、リョウの身体は反射的に飛び出し、剣を上から下に振り下ろした。曽刺映が視界から消え、右を振り向いたリョウの眼前に曽刺映の剣が突き出され、懸命に()けたリョウの頬から血が噴き出した。休まず次々と繰り出す曽刺映の剣に、リョウは防戦一方となり、よろめいた。ここぞとばかりに、曽刺映が渾身(こんしん)の突きを入れたのを、身体をそらせてかろうじてかわしたリョウは、踏ん張った足の力を使って、思い切り剣を右下から左上に跳ね上げた。重い手ごたえがあった。二、三歩、前につんのめった曽刺映が、ごろりと転がった。

 駆けつけた進たちが、他の男どもを追い払った。燃え盛る「悲田院」から、最後に出て来たのは希遠(きえん)和尚だった。リョウは一人つぶやいた。
「タンは、人を殺さなかった。目の前の子供が人殺しになるのを止めるために、自分の命をかけた。何が正しいことか分かっていても、俺にはできない」
 希遠和尚が、数珠(じゅず)を手に、タンに語り掛けた。
「正義は、勇気を持つ者だけが行えます。勇気とは、恐怖との戦いです。タンはいつだって、恐怖に打ち勝つ勇気を持っていた」
 横たわるタンの周りを、「悲田院」から逃げ出した子供たちが大勢で囲み、泣きながらタンの名を呼び、タンにすがっていた。タンは、本当に子どもたちに慕われていたようだ、リョウにはそれが良く分かった。
(「長安炎上」おわり)
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