十三(一)

文字数 1,146文字

 長安にも五月のさわやかな風が吹き始めた頃、久しぶりにシメンが「青海邸」にリョウを訪ねて来た。
「おうシメン、『悲田院』の仕事はどうだ」
 奴隷から解放されたシメンは、イルダのもとで踊るだけでなく、新しいことをしたいと言っていたので、タンがいる興唐寺の「悲田院」を紹介したのだった。シメンとタンは突厥(とっくつ)で面識はなかったが、今までのいきさつを説明すると、すぐに親しくなった。
「それがね、韓国夫人に『悲田院』の話をしたら、それなら『施薬(せやく)院』を作ればいいと言って、興唐寺の北隣、長楽坊の興唐観に作ることになったの。私は、今、そっちで大忙し」
「それは急な話だな」
 横で聞いていた進が肩をすくめた。
「楊氏の五家は、自分たちの屋敷の普請(ふしん)ばかりしているって、街の評判が悪い。せめてもの罪滅ぼしってとこだろう。もっとも、その金も、賄賂で得たか、下々から(しぼ)り取った金だろうが」
 リョウと、若い石工の武術訓練の相談に来ていた(でん)為行(いこう)も口をはさんだ。
「道観(道教の寺院)の興唐観に作るというのも、興唐寺に『悲田院』を作った武則天に張り合うためだな。だが『施薬院』となれば医者も薬屋も必要だろう、どうするんだ」
「医者は宮中を引退した医者が来てくれるし、薬草は西内苑の薬草園に出入りさせてもらえる。だけど、私は漢方薬だけでなく、西域の薬も調達できないかと思って、相談にきたの」
「それなら、今もここに少しはあるし、いろいろ取り寄せることもできるが、処方はどうする」
「自分で勉強したいから、そっちの知識のあるソグド人か大食(タジク)(アラビア)人を紹介してもらえないかしら」
 リョウには、今、目の前にいるシメンが、しっかりと自立し、新しいことに取り組もうとしていることが誇らしかった。考えてみればもう二十五歳、立派な大人だった。
 ひとしきり話をした後、シメンが折り入って話があると言うので、二人で奥の小部屋に入った。
「話というのはね、(よう)貴妃(きひ)織女(おりめ)の話なの」
「楊貴妃の織女?」
「ええ、機織(はたお)りの女工のこと。宮中には、楊貴妃がいつも新しい服を着られるよう、織女が七百人もいるわ。最近、みごとな意匠(いしょう)の織物を織った織女に褒美(ほうび)が与えられたんだけど、その女が突厥(とっくつ)の奴隷だった娘で、私と同い年くらいだって聞いたの」
 リョウの胸がドクンと鳴った。(てい)は農村の娘だったが、機織りはしていただろうか。婷のことは何も知らない、と改めて思った。早くに突厥の集落を出たシメンは、婷と会ったことがない。ただ、シメンにも婷のことは話していた。もしかしたらと思って、伝えに来てくれたのだった。
「すまないが、その女を探して、俺たちの集落に居たかどうか聞いてくれるか」
「うん、わかったらまた来るね」
 シメンが帰った後、リョウは田為行や進から話しかけられても、しばらく上の空だった。

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