十七(二)

文字数 1,668文字

 希遠は、その細い眼でリョウを見ながら訊いた。
「もし仏様がどちらかに味方しろと言ったら、リョウはそのとおりにするのかな?」
 リョウは、つまらないことを聞いてしまったと後悔した。
「仏様は、現世の処世には答えてくれないものだ。今、ここに生きていて良かった、ただ生きていることを喜ぶ、それが仏の境地だ」
「いや、お恥ずかしい。これは仏様に聞くようなことではなかった、どうか忘れてください」
「仏様は、答えは与えてくれなくとも、答えに至る道は教えてくれる」
 何を言っているのか分からないリョウに、希遠はさらに続けた。
「“不二(ふに)”という言葉を知っているかな。生と死、善と悪、対立する二つの事柄も、天上から見ると、根底には対立など無くて、その本質はひとつである、ということだ。リョウが彫ってくれた観音様も、泣いていて同時に笑っている。今、リョウが悩んでいる対立の本質は何なのか、とことん考えてみたらどうかな」
「俺は、人の命が奪われる戦争を防ぎたいが、自分の小さな力ではどうしようもない、そこが問題だ」
「どうしてそう考えるようになったのかな」
「俺は、突厥(とっくつ)の奴隷兵士だった。戦で何人も殺した。なぜ俺はあの戦で人を殺さなければならなかったのか、答えは簡単だ。前線では、相手を殺さなければ、自分が殺されるからだ。国と国との戦いと言っても、前線では個人と個人が殺しあっている。俺が殺した相手にも、家族や大切な人がいただろう。でも、そんなことを考えていたら、敵の頭に向かって矢を射ることなんてできない。権力者の欲のために、敵も味方も、お互いに何の恨みもない遊牧民や農民が兵士にされ、殺し合いをさせられている」
「タンも同じようなことを言っていたな。ところで権力者の欲のためではない戦争というのはあるのかな」
炳霊(へいれい)寺では、摩崖(まがい)の大仏像や仲間を守るために戦った。それは意義がある戦いだと思っていた。でも、敵からも味方からも死人が出た。たとえ大仏が壊されても、人が死なない方が、仏様は喜んだのだろうか」
「ほとんどの戦争は、『何かを守るために』と言って始められるが、『何を守るのか』を突き詰めていくと、たいていは身勝手な権力者のためということが多いものだ」
「しかし仏様も、理不尽に攻めてきた悪人から仲間を守るために、敵を殺すことは禁じてないだろう。それとも、黙って殺されろというのか」
「仏教では『()殺生(せっしょう)(かい)』即ちすべての命を奪わないことが、最も大切な戒律とされている。他者の命を尊重し、暴力や差別を避けることだ。だから当然、戦争は許されない。しかし、残念ながら仏教界も、道教や景教(けいきょう)(ネストリウス派キリスト教)、祆教(けんきょう)(ゾロアスター教)などとの競争の中で、平和のための戦いは聖戦として許されると、むしろ積極的に関わってきた歴史がある。高僧と言われる者さえ、平和を唱えながら、戦争を否定しない屁理屈(へりくつ)を考えている」
 話を聞いていたタンが横から口をはさんだ。
「剛順が言っていた、宗教は戦争を遂行する道具になると。戦争になると、人間の理性は、眼前に飛び散る血や(おびただ)しい死体で吹っ飛んでしまう。そうすると、本能が勝手な行動を取ろうとする。そういう時に、権力者は、戦争の大義を説き、士気を鼓舞し、神や仏を念じてただ突撃することを強要する。つまり、宗教は兵士に恐怖感も倫理観も忘れさせ、戦争の意義を妄信させる道具になると」
「とにかく、俺は、殺し合いは反対だ。戦が起こらないよう、俺のできる範囲で何ができるか、やってみようと思う。それでも、戦が始まってしまったら、俺はどっちにも味方しない。自分の周りの大切な人たちを守ることしかできないだろう」
「“不二(ふに)”というのは、すべては一つ、だから一つはすべてだ。何かを探し求めた時、『答えは一つとは限らない、いろいろ考えてみろ』というのと同じだ。リョウは、石を彫っていると頭が空っぽになると言っていたが、それは悟りの境地に似ている。自分の心を解き放って、今まで自分を縛っていたものがみんな無いものとしたとき、何が幸せか考えてみなさい。そこにリョウの答えがある」
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