二十一(一)

文字数 1,300文字

 翌六月十五日の早朝、皇帝は予定通りに(しょく)に向かって出発した。最愛の楊貴妃を突然亡くし、蜀で皇帝を支えるはずだった楊国忠も死に、高齢の宦官(かんがん)(こう)力士(りきし)だけが傍に仕える今、生きる気力さえ失っているのではないだろうか、とリョウは思った。
 皇太子は違った。リョウたちの知らせのおかげで、自分を狙う唐の部隊がいることを知り、戦うべき相手が分かったようだった。馬嵬(ばかい)駅周辺の民衆、数千人が集まってきた。その領導(リーダー)である土地の父老(ふろう)や仏教僧は、皇帝が民を()てて(しょく)に去ることを嘆き、皇太子に言った。
「陛下が蜀に行く以上、村の者は皇太子殿下を盟主と仰ぎ、賊を討ちたい」
 前夜、皇太子を救い、警護隊長と一緒にその近くにいたリョウに、()輔国(ほこく)が寄って来た。
「安禄山が重ねている虐殺の情報が、早くもこの地まで届いているのです。彼らは、皇帝など誰でも良い、自分たちの土地で、自分たちのやりたいように、安全に暮らしていければ、それで良いのです」
「ということは、(ちょう)萬英(まんえい)が皇帝になっても、安禄山から村を守ってくれる限り、それでも良いのだな」
「そう言うことです。ここに集まった数千人の村人だけでなく、同じような思いの数百万人の民がいるということです。その民に、いったい誰が盟主なのか、はっきり見せないと、唐は滅亡します」
 警護隊長が言った。
「もうじき、朔方(さくほう)節度使の(かく)子儀(しぎ)、河東節度使の()光弼(こうひつ)から送られた、先遣隊二万が皇太子を迎えにきます。その軍と共に、皇太子は霊武(れいぶ)に行き、再起を図ります」
 李輔国が、難しい顔で言った。
「その前に、趙萬英と決着を付けなくてはいけません。長安から五万の趙萬英軍が追ってきます。朔方・河東の軍団と合流できるのは、急いでも鳳翔(ほうしょう)の辺り。そこで趙萬英を迎え撃つことになるでしょう。リョウは、皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍と一緒に戦ったと聞きました。ここでも皇太子を助けてくれますか」
「俺は、多くの民と同じだ、誰が皇帝でも関係ない。ただ、命が無駄にされずに、安心して朝夕の食事ができる生活を守りたいだけだ。しかし、それを趙萬英や(りゅう)涓匡(けんきょう)のような悪人に任せるわけにはいかない」
「それは心強い。まもなく皇太子が出発します、一緒に行きましょう」
「俺に少し考えがある。石工たちと話してから、また相談させてもらいたい」

 リョウは、石工たちのもとに戻り、話をした。
「シメンを一緒に助けてくれたこと、礼を言う。だが俺は、これ以上、お前たちを危ない目に巻き込みたくない。劉涓匡は俺の親父の仇だが、盟友のタンは『復讐なんか考えるな』と俺に教えて、死んでいった。俺だって、あの世でタンに叱られたくはない。しかし、趙萬英や劉涓匡らは、生きている限り、不幸な人間を増やし続ける。だから俺は、俺のやり方で戦おうと思う」
 怪訝な顔の石工たちに、リョウは言った。
「それは、石工軍団にしかできないことだ。石碑を建てる」
 リョウは作戦を話した。そのうえで、一緒に行動する者を募り、その他の者は、傷ついたシメンの護衛として、(せき)傳若(でんじゃく)の馬牧場に行かせることにした。彼らを、本物の戦で、死なせたくなかったからだ。しかし、林間の戦いで傷ついた者以外は、全員がリョウと一緒に戦うことを選んだ。
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