第93話
文字数 1,812文字
このところ、夢を見ない。
父の死と、葬儀の前後の罵詈雑言があまりにつらくて、私は別世界に逃げこんだ。不謹慎なようだけれど小説を書きつづけ、虚構の登場人物たちの声で自分の脳をいっぱいにして、乗りきった。それとも、まだ乗りきっていないのかもしれない。
虚構の人たちが自分の中でしゃべっているあいだは、私は夢を見ないのだ。
真澄さんが送ってくれた、真澄さんの見た夢。
ほぼ原文ママ。私の文体と変わらないので驚く。
おはよう。
めずらしい、ぼくの夢日記。
アヤと二人で伊東の船着き場にいて買い物をしていると、合いの背広を着た痩せて小柄な老人が、うちに寄っていけ、と言う。その家は伊東の港を見下ろす崖の上にあって、玄関は硝子格子の引き戸になっている。
水上勉ってこんな所に住んでたんだね、と言いながら、居間に通されると、床に本や雑誌が山積みのきたない部屋の隅のほうに、大きな電気こたつがあって、よごれたクリスタルの灰皿やらリモコンやらが載っていて、ああ、やっぱり水上勉の家なんだなと思う。
二人でこたつに入っていると、水上勉が来て「これ見て」と言って、横長変形のめずらしい文庫本を開いてチラチラ見せる。短歌(※原文ママ)が書いてあって、
「私の句だ。いいだろう」
と言う。でもチラ見しかさせてくれないので、よくわからない。
「先生、なんで隠すんですか」と聞くと、「はずかしいから」と言う。
そういえば、アヤに教えてもらった句だ、と思っていると、また「見て見て」と言って、今度は和綴じの本を開いている。
「これはな、いま見せた文庫本の私家版である」
と言う。ああ、印刷する前に手作りの本を作ったのかと納得して中を見ると、やたらに修正液で消してある。
「先生、これでは読めません」と言うと、「だからはずかしいって言ったじゃん。それにな、すべてはここに入っておる」と自分の頭をさして自慢する。
ははあ、やっぱり水上勉はすごいんだ、とぼくは納得する。
そうしたら先生「トイレ」と言って、立ち上がって出ていった。アヤが後を追いかける。あ、そうか介助するんだなと感心して、ぼくはこたつに寝ころんでいたら、先生すぐ戻ってきて、「今度はこれ見て」と言って、なんだかアニメのキャラクターみたいなのが描かれた画用紙を出してきた。
「これ何ですか」と聞くと、ファンレターだと言う。
「最初は上手かったんだけどだんだん下手になってのう」と言って裏を見せるので見てみたら、クレヨンで子どものなぐりがきのように、46才、と書いてある。
なんだか、もの悲しくなって、アヤとふたりでこまる。
こまっていると、奥さまが帰ってきてひたいを突くようにして大変ていねいに挨拶されたので、ぼくも正座しなおして挨拶したら、アヤはこたつから出て挨拶するので、ああ、そうか、ちゃんとこたつから出て挨拶しなきゃなとまた感心した。
するとアヤが、何もありませんがと言いながら、港で買ったスーパーのビニール袋を開けると、中に八朔 とアルミホイルとハタキが見えた。
いつのまにか奥さまが、その八朔を自分のテーブルに載せている。
ぼくはあわてて、それはぼくたちが食べようと思って買ったのでべつにおみやげじゃないのにと思いながら、「先ほど港で先生にお会いしてお招きにあずかり」とかゴニョゴニョ言って、「何もありませんがこれをどうぞ」と干からびたようになったオレンジを二つ渡して、さて、どうやって八朔を取り返そうかと思って後ろをふりかえったら、貧相な中年男が二三人、長くのびたこたつにあたっている。先生に似ているので親戚らしい。
長くのびたこたつというのは文字どおりで、こたつが横に長くのびていて、男たちは並んであたっている。
その列のはじに小学生の太った男の子がいて、
「おみやげを渡すときには『つまらない物ですが』などと言うものではないよ」
と生意気なことを言うので、なんだこいつと思ってその子の頭を押さえつけたら、みょうに柔らかくて指がめりこんで、いやな気分になった。
それで、アヤに「そろそろおいとましよ」と言って港に帰ってきたら、だいぶ空が赤くなっていて、「もう東京に帰ろうね」と言っているところで、
目覚ましが鳴りました。
こんなによく覚えている夢はめずらしいと思って。
それにアヤとずっと一緒で嬉しかったから。いちばん楽しかったのは、「もう東京に帰ろうね」というところ。
水上勉は、アヤのお父さまだね。
父の死と、葬儀の前後の罵詈雑言があまりにつらくて、私は別世界に逃げこんだ。不謹慎なようだけれど小説を書きつづけ、虚構の登場人物たちの声で自分の脳をいっぱいにして、乗りきった。それとも、まだ乗りきっていないのかもしれない。
虚構の人たちが自分の中でしゃべっているあいだは、私は夢を見ないのだ。
真澄さんが送ってくれた、真澄さんの見た夢。
ほぼ原文ママ。私の文体と変わらないので驚く。
おはよう。
めずらしい、ぼくの夢日記。
アヤと二人で伊東の船着き場にいて買い物をしていると、合いの背広を着た痩せて小柄な老人が、うちに寄っていけ、と言う。その家は伊東の港を見下ろす崖の上にあって、玄関は硝子格子の引き戸になっている。
水上勉ってこんな所に住んでたんだね、と言いながら、居間に通されると、床に本や雑誌が山積みのきたない部屋の隅のほうに、大きな電気こたつがあって、よごれたクリスタルの灰皿やらリモコンやらが載っていて、ああ、やっぱり水上勉の家なんだなと思う。
二人でこたつに入っていると、水上勉が来て「これ見て」と言って、横長変形のめずらしい文庫本を開いてチラチラ見せる。短歌(※原文ママ)が書いてあって、
「私の句だ。いいだろう」
と言う。でもチラ見しかさせてくれないので、よくわからない。
「先生、なんで隠すんですか」と聞くと、「はずかしいから」と言う。
そういえば、アヤに教えてもらった句だ、と思っていると、また「見て見て」と言って、今度は和綴じの本を開いている。
「これはな、いま見せた文庫本の私家版である」
と言う。ああ、印刷する前に手作りの本を作ったのかと納得して中を見ると、やたらに修正液で消してある。
「先生、これでは読めません」と言うと、「だからはずかしいって言ったじゃん。それにな、すべてはここに入っておる」と自分の頭をさして自慢する。
ははあ、やっぱり水上勉はすごいんだ、とぼくは納得する。
そうしたら先生「トイレ」と言って、立ち上がって出ていった。アヤが後を追いかける。あ、そうか介助するんだなと感心して、ぼくはこたつに寝ころんでいたら、先生すぐ戻ってきて、「今度はこれ見て」と言って、なんだかアニメのキャラクターみたいなのが描かれた画用紙を出してきた。
「これ何ですか」と聞くと、ファンレターだと言う。
「最初は上手かったんだけどだんだん下手になってのう」と言って裏を見せるので見てみたら、クレヨンで子どものなぐりがきのように、46才、と書いてある。
なんだか、もの悲しくなって、アヤとふたりでこまる。
こまっていると、奥さまが帰ってきてひたいを突くようにして大変ていねいに挨拶されたので、ぼくも正座しなおして挨拶したら、アヤはこたつから出て挨拶するので、ああ、そうか、ちゃんとこたつから出て挨拶しなきゃなとまた感心した。
するとアヤが、何もありませんがと言いながら、港で買ったスーパーのビニール袋を開けると、中に
いつのまにか奥さまが、その八朔を自分のテーブルに載せている。
ぼくはあわてて、それはぼくたちが食べようと思って買ったのでべつにおみやげじゃないのにと思いながら、「先ほど港で先生にお会いしてお招きにあずかり」とかゴニョゴニョ言って、「何もありませんがこれをどうぞ」と干からびたようになったオレンジを二つ渡して、さて、どうやって八朔を取り返そうかと思って後ろをふりかえったら、貧相な中年男が二三人、長くのびたこたつにあたっている。先生に似ているので親戚らしい。
長くのびたこたつというのは文字どおりで、こたつが横に長くのびていて、男たちは並んであたっている。
その列のはじに小学生の太った男の子がいて、
「おみやげを渡すときには『つまらない物ですが』などと言うものではないよ」
と生意気なことを言うので、なんだこいつと思ってその子の頭を押さえつけたら、みょうに柔らかくて指がめりこんで、いやな気分になった。
それで、アヤに「そろそろおいとましよ」と言って港に帰ってきたら、だいぶ空が赤くなっていて、「もう東京に帰ろうね」と言っているところで、
目覚ましが鳴りました。
こんなによく覚えている夢はめずらしいと思って。
それにアヤとずっと一緒で嬉しかったから。いちばん楽しかったのは、「もう東京に帰ろうね」というところ。
水上勉は、アヤのお父さまだね。