第50話

文字数 838文字

 白いチラシ一枚をたよりに、知らない町を歩く。真澄さんといっしょなのでたのしい。
 車道は広々として何車線もあり、けれども車通りも人の気配もない。
 聞こえない騒音だけが満ちている。

 チラシには三種類の行き先が書いてあり、その三番目がいちばん近いので、私たちは行こうとしている。

 道路脇に日よけのテントを出してバザー風の集まりをやっている所で、道を訊く。私が、図書館に行きたいのだと説明する。写真集や画集など、手もとにないのを借りたいのだと。刺繍の原案にするのだと。
 訊かれたおばさんはふしぎそうな顔をしていて、私自身、へんだなと思っている。

 そのとき別のおばさんが、真澄さんの顔を見て息をのみ、
 あのときは行けなくてごめんなさいねえ、
 などと大声で言い出す。私も驚いて彼の顔を見ると、彼は淡々と、いいんですよ、コロナで中止になりましたからなどと言っている。
 何が。

 そしていつのまにか箱入りの日本酒らしき細長い箱を、差し入れですと言ってそのおばさんに渡している、真澄さんが。何の差し入れ。
 きれいな紙箱のまわりに寸足らずの緩衝材を無理やり巻きつけて、それをセロハンテープで引っ張ってとめている。外れるので何度も引っ張って貼り直している。その不細工さが真澄さんらしくない。

 折り畳んだチラシを広げてもう一度よく見ると、駅から五分で近いはずなのにと思ったら、その駅がここ(どこ)ではなく、門前仲町なのだった。そもそも駅をまちがえていたのだった。
 びっくりして真澄さんを見ると、ほらね、というような顔で、少し笑っている。

 私が、ここから歩くのはさすがに、と言うと、親切なおばさんたちが声をそろえて、遠いわねえと言う。
 門前仲町ではないここはどこかと言うと、たぶん東陽町などなのだろう。私が昔アルバイトしていた町だ。
 だから、いつのまにかあたりに高層ビルが建ち並び、切り倒された藤棚の気配がある。

 もうどこにも行けないから、真澄さんと帰ってくつろげると思って、
 けっきょく私はたのしい。

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