第126話

文字数 843文字

 ミヤザキさんもソノさんと同じで、お酒が強い。そして、いいお酒だ。
 二人とも乱れないから、二人がいつ酔っぱらいはじめたかを見きわめるのは、とても難しい。

 とくにミヤザキさんは難しい。
 ソノさんは酔うと眠たくなって、だんだんまぶたが落ちてくるから、まだわかる。
 ミヤザキさんはそれもない。端然と飲みつづけている。
 ように見える。はた目には。

 それでもつきあいが長いから、私もようやくわかってきた。
 ミヤザキさんは酔うと、ゆっくりになる。動作も話しかたもほとんど変わらないけれど、ふだんよりスローモーションになるのだ。

 いつか、ソノさんではなく、舞台監督のシュウさんが生きていたときに、シュウさんとミヤザキさんと私の三人で飲んだ。
 あのときはシュウさんが一人で熱く語った。焼酎がだいぶ回ってごきげんだった。

「ねえ、ザチョー(私のこと)はさ、好きな劇場は、どこなの? いつかここで公演打ちたいっていう所。
 紀伊國屋ホールとかさ」

 新宿東口の紀伊國屋ホールといえば、泣く子も黙る演劇人の憧れの場所だ。少なくとも最近まではそうだった。街角の小劇場から出発する演劇人すごろくの《あがり》とまで言われていた。
 そういう、まあ言ってみれば出来合いのサクセスストーリーには、私ははじめから興味がない。

 私は笑って、もっと小さくてひかえめな劇場の名前をあげた。
 紀伊國屋はべつにいいですよ。○○シアターでできたら、もう最高です。

「よし」
 シュウさん、両腕をすらりとのばして、右手を私の肩に、左手をミヤザキさんの肩に置く。
「わかった。おれが連れてってやる。いっしょに紀伊國屋に行こう! な!」

 シュウさん。

 ミヤザキさんを見ると、あいかわらず端然とした横顔だ。
 私たちの席の横に置かれた水槽を見つめて、ふっとつぶやいた。
「金魚が、寝てる」
 ゆっくりになっている。

 こうして、シアターユニット・サラ、桃園の誓いならぬ紀伊國屋ホールの誓いは、あっさり雲散霧消した。
 私以外、誰も覚えていない。

 二重の意味で夢だ。

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