第35話

文字数 394文字

 弦楽四重奏を奏している。
 私は作曲者本人で、第一ヴァイオリンであるらしい。
 そして男であるらしい。

 集中して奏する。休符のたびに、妻(誰)への愛がほとばしりそうになり、かろうじてこらえる。
 
 曲は典型的なABA形式で、前半部分を二度くりかえす。AABAダッシュ。楽譜の末尾まで行ったらダ・カーポで冒頭に戻り、譜半ばの終止線で弾き止める。
 その終止線に、いま前半の二度目として近づきつつあり、その終止線がひどく遠い。
 
 ゼノンのパラドックスのように、近づけば近づくほど到達できない。まして越えて後半部分に行けない。
 このままでは妻に会えない。
 この終止線を越えないかぎり会えない。
 
 なぜ誰も気づいてくれないのか。それとも、誰にも気づかれてはいけないのか、私が彼女をこんなに愛していることを。
 早く会いたい。苦しさのあまり弓を取り落としそうになる。
 
 なんという歓楽。
 目もくらむようだ。

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