Ⅳ. a snowy day ♯10

文字数 731文字

 なりふり構わず右手に傘を、そして小脇に料理酒を抱えたまま商店街を駆けていると、

「立華っ!」

 聞こえてきたのは、おそらくわたしを呼び止める声。急いでるのに一体誰だ。

 足は止めずに、声のした方にちらりと視線を向ける。

「あっ……!」

 声の主を視界に捉えると心臓がどきんと跳ねた。

 耳の上で切り揃えられた綺麗な黒髪。少年のように優しげな瞳。人混みの中でも一際背の高い彼が、こちらに向かって手をあげている。

「どうしたんだよ、そんなに慌てて」

「あ、浅桜くんっ!」

 真昼の庭へ放り出されたみたいに、頬がじんわりと熱を帯びていく。

 同じ街に住んでいると知った日から、こうしてばったり会えるのを夢見た事など数えきれない。街角を曲がる瞬間、駅で電車を待つ時間、学校までの通学路……。どれだけこの偶然を待ち焦がれていただろう。だけど、よりによってそれが今訪れてしまうだなんて。

「こんなに人が多いのに、まさか立華に会えるなんて思わなかったな」

「う、うん、そうだね。ほんとに偶然。でも……あの、今ちょっと……」

 不自然に目が泳ぐ。こんなに慌ててる自分が恥ずかしい。そしてなぜかうしろめたい。

 歯切れ悪く返すわたしを見て、浅桜くんはくすっと笑った。

「ごめん、邪魔したみたいだな。急いでるとこ呼び止めて悪かったよ」

「えっ、いや、でも……」

「さっきそこで蘭雅と宵月にも会って、少し話してたんだ。年明けに集まる日を楽しみにしてるよ。じゃあな!」

 戸惑うわたしに、優しい笑顔で手を振って立ち去る浅桜くん。遠ざかっていく姿を見て、胸の奥に罪悪感と虚しさが染みていく。

「あさ……くら、くん……」

 胸が痛くて、とても痛くて、浅桜くんの背に腕を伸ばしてみるけれど、浅桜くんを呼び止めることはできなかった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み