素焼きのネコ 水沢せり
文字数 1,132文字
想像で空白を組み立てる。
冒頭の“見舞いの品”で、頭の中がすっかり「千疋屋」です。(コラ)
いえ、いつのことだったか興味本位で店を覗いたことがあるのですが、その当時りんごが1個2千円だったんですよ、ここ。1個2千円ですよ、箱じゃなく、それも税抜き価格。恐ろしい。
こんな価格の果物は自分じゃ買えない、よほどの場合、それこそ入院したとかで誰かが持ってきてくれない限り口にできないよね、なーんて会話をしたことが過去にあり、それ以来どうにも自分の中では“見舞いの品”=千疋屋なのです。
と、それはともあれ。生き直しの猫。
読んでいる中で実際に不思議が起こるわけではないけれど、想像で空白の部分を組み立てる系のファンタジー。いわゆる転生モノでもあるのですね。
「今の記憶を持ったまま、今の年齢と同じ、別の記憶を持った誰かとして」生き直せるのは魅力がありすぎます。
勇人の、「生きている意味がわかんなくなっちゃった」というのは、真面目に生きていると必ず(と断言するのは言い過ぎかもしれませんが)直面する「存在意義」の壁だと思うので、そのような悩める思春期にこれほど便利な道具があったら、自分も心がぐらぐらと揺れ動いたのではないかと考えてしまうのです。
そして想像で組み立てるべき空白部分。
転生前のお母さん、病気だったのか。ということは、心中でもしたのかな。そしてお母さんは転生後、すでに……。
そんなことを思いながら読んでいると、ラストの「借り物の人生」という言葉がよりいっそう虚しさを駆り立てるように感じます。
「別の記憶を持った誰か」というのはちょっと怖い部分ですよね。
転生した相手は転生前には別の人格だったわけで、転生によってその人はどこかに消えてしまったのか、それとも消えずに他人の記憶と寿命だけが植え付けられたのか、その場合転生前の人格はやはり……死んだのか。考えるほどに「私は誰か」という命題の迷路に足を踏み込んだ気持ちになります。
そして最後に1つ、読解が追いつかない箇所がありました。
「勇人がもし生き直せていたら──。おれから勇人の記憶は全部なくなるのに」
転生すると、記憶が消える仕様なんでしょうか。死んだと認識されるのではなく。
そしてどうしてそれを、猫の名前も知らなかった主人公は知っていたのでしょう。
これは2千字ゆえの限界かなとも思うのですが、もう少し説明があるとよかったかもしれません。
ちなみに、見舞いの品は千疋屋のメロンでお願いします!(ヲイ)