猫弁と透明人間 大山淳子
文字数 2,826文字
天才弁護士・百瀬のもとに、一通のメールが届いた。「はじめておたよりします。ぼくはタイハクオウムが心配で、昼も眠れません。 透明人間より」
そのメールは法廷に立たずに事件を解決するゴースト弁護士、沢村から送られたものだった。ひきこもりで人と話せない沢村は、自らが解決した事件の結末が気になり、オウムの行く末を百瀬に託す。
この依頼人はきっと困っているはずだ――。百瀬はタイハクオウムを救い出し、メールを手がかりに透明人間の正体を探る。沢村が取り組む医療ミス問題に不審な点を発見した百瀬は、奇跡の弁護で法廷の流れを逆転させる。
果たして百瀬は、オウムを、ゴースト弁護士を、患者を、救うことができるのか?
(講談社BOOK倶楽部より引用)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000187517
そうそう。
そういう大事な話、きっかけの話ってのは、得てしてシリーズの1回目で取り上げられるものだったりしない?
でも、この作品は違うんだ。もう、そういうのを大前提で物語が進んでいってしまう。
むしろ、猫屋敷? 知ってて当然でしょ? くらいの空気をかもす。だから、知らないって……言い出しにくい。
主人公がいて、恋人がいて、仕事仲間がいて。ぼくらが普段過ごすような日常の中に、ゲスト的な事案がある。
これはそういう話なんだ。
ゲスト的な事案だって、風景に溶け込んでしまう。とびぬけて目立つほどじゃない。そういうアットホームさに居心地の良さを感じ、訥々としたと表現すべきか飄々としたと表現すべきかはともあれ、この独特の文体に慣れることができれば、あとはどっぷりとこの世界に浸るだけで物語が楽しめる。
そんな感想に、3作目でようやく到達した。
登場人物たちは、創作者の手によってそれぞれに特徴を割り当てられ役割が決められている。そういった調和がこの世界にはある。
予定調和なんだよ。
人間の特徴を切り刻んで分解して、ぞれぞれの人格を作り上げてある。まさに創作的人格。
そう。登場人物たちが口を開けば名言を吐き出しまき散らすのも、彼らが役割の上に忠実に動いているから、と言えるかもしれない。
そして、彼らがどれほど良いことを言っても、残念なくらい記憶に残らないのもこの作品の特徴だと思う。
い、言うよね(汗 そういう問題ももちろんあるよ。
でも、この作品は金言をまき散らしすぎているんだとぼくは思う。
泥の中に黄金を埋めておけば、発掘(読み進める)しているうちにそれに行き当たって「おお」と感動し共鳴もするかもしれない。
けれども、右見ても左見ても金塊の山だったら、何が特にありがたいものなのかわからなくなると思わない?
でももしかしたら、それでいいと作者がこの作品については思っているのかもしれないよね。深いことを言っている割に、軽いんだもの。
いやいや灰猫。
ぼくらはレストランで隣に座った女子たちのお喋りを聞いているだけの存在なんだよ。
話は区切られ細分化しパーツ化され、Aのことを話していたと思ったらBになり、Cに行ったと思ったらまたBになり、気づくとAのことを喋っている。
そして、店を出たら彼女たちが何を喋っていたかなんて、忘れてしまう。
リングは実際、将来に向けては何の役にも立たないからねえ・・・(遠い目
実用的な靴の方がぼくもいいんじゃないかと思った。賛同したい。