青葉の頃は終わった 近藤史恵
文字数 1,904文字
河合瞳子が大阪郊外のホテル七階から飛び降りた。周囲を魅了した彼女の突然の死。大学卒業から五年、その報せは仲間に大きな動揺を与えた。そんな折り、友人たちに瞳子からのはがきが。そこには、わたしのことを殺さないで、とあった。彼女を死に赴かせたものは? 答えを自問する残された者たちが辿り着いた先は? ほろ苦い青春の終わりを描く感動のミステリー。
(「光文社」より引用)
間違ってはいないのだけど、謳い文句に「推理」は付けないでほしかったな。
うん、間違ってはいない。いないけど、これはぼくが思う「推理小説」とは違う。
そうそう。まあでも、面白かったけどね。
なるほど?
では、ヒューマンの側面から説明するとこの作品はどんな話になるんだ?
一人の人間の死をきっかけに人間関係にひびが入ったり、水面下に隠していたはずのものが露わになったりというのは、作品の構成としては比較的よくあるパターンだったかな。
そして思うに、この心模様の描写は刺さる人、刺さらない人がはっきりとわかれる気がするよ。
過去に一度でも、ここに登場する人々と同じ感情を抱いたことがある人。
その拗らせ感情を自分が持ち合わせていると認識している人には、彼らの抱く鬱屈した感情がよく理解できると思う。
逆に、こうした感情の闇に囚われたことがない人には理解できない分野だろうし、ここに出てくる誰に対しても腹立たしさを感じるだろうね。
話せばわかり合える、なんて、ただの夢物語だよ。
現実には相手が自分にとってどういう存在かを認識できるだけ。
その認知をもって相手を許容できるかできないかで、関係の色が変わるんだ。
そう。
ところで、自殺した女性についてなんだけど……。
太陽?
躓きについては物語の核心になるのでこれ以上は控えようか。
それを推理小説の側面から説明すると、だからこそ恨みを抱いて彼女を殺した人間がいるのではないかという疑惑が生まれ、これはその疑惑を追究する作品だったのだ、といえるのかもね。
彼女はなぜ、死んだのか。
その意味が紐解かれた時にぼくが思ったのは、ひとことで「殺す」といっても、「どのように」の意味は複数ある──ということだった。
「善意」もまた凶器なんだね。「善意」ゆえに拒否しがたい凶器。
でもそこまで読んだ後でぼくは思うんだけど……死ぬことはなかったのでは?
ちょっと、腑に落ちない。
まだ多面的な可能性を残した状態なのにかなり意味深な発言が飛び出してしまうんだよね。……あれは、難しい。
ストーリーに一本の筋が通ってからようやく「そういうことね」とは思ったけど、さはさりながらやはり腑には落ちない。
作品のために何が何でも死んでもらった、というのは確かにあるね(笑)
青春の終わり、か。大学卒業から五年、という年齢設定もそこにあるんだろうな。