トリック特急、長崎から京都へ 斎藤栄
文字数 3,500文字
(「実業之日本社」より)
……そうか。
君が生まれた頃は、寝台列車が高級路線で生まれ変わりつつあった頃だったかな?
車窓の風景を楽しみつつ、ごろんと横にもなれたりするのがぼくとしては寝台列車のいいところだと思ってる。
それに、列車の旅にはどこか旅情をそそるものがある気がしているよ。
う~ん。あれはきっと、シニア層の退職金を当てにしている列車……なんじゃないかねえ。
ぼくら世代にはまるで期待できない退職金だが、彼らは結構……もらったんじゃないだろうか。(推測だけど)
小学校に上がる前だったかねえ。
そういえば、新幹線に乗ったのもその時が初めてだった。もしかしたらまだ、国鉄時代だったかも。
思い出せば8ミリのビデオカメラを父親が買ったばかりでね、使うのが楽しかった頃だったと思うよ。
あの日も発車のベルが鳴ったというのにホームでカメラを回し続けていたもんだから、「行っちゃうよぉぉぉお!」と焦るぼくがギャン泣きしている映像が残されている。はず。
いやだよ、黒歴史だ。
でも今にして思うと、普通の電車よりも発車までの余裕があったのかもしれないね。そうじゃないと絶対に父親はホームに取り残されたはずだもの。
いやいや、勘弁してよ。ぼくはまだ就学前だよ。
はしゃぐだけはしゃいで乗り物に乗ったらそのままストンと眠りに落ちる時代だよ。
時間が時間で、車窓の風景が楽しいわけでもなかったしね。
うん。気が付いたら大阪で、母親に起こされた。そこで乗り変えたのがブルートレイン。
……かどうかは何とも言えないねえ。
作中の「あかつき」は京都と長崎を結んでいるし、ぼくが乗ったブルートレインも新大阪から乗って終点は長崎だったから、そうである気はするが。
ああ、そういえば。
その長崎旅行の時に……島原だと思うのだが、道路の横に水路があって、色とりどりの鯉が優雅に泳いでいたのが記憶にあるな。
要らん気の回しようだな、おい。
お、怒らないで(汗
まあ、思い出というか、なんというか、その後も汐留と小倉を結んだカートレインには何度か乗る機会があったのだが、一貫して洗面が使いにくいなと感じたのが、思い出と言えば思い出かな。
蛇口を回している間は水が出るんだけど、手を離すと途端に止まっちゃってさ。
節水の意図もあってかもしれないけど、両手を使って顔を洗う、ということはできなくて苦労した。
だから、噂だってば。
飛行機もトイレは上空からばらまいてた、なんて話も聞くよね?
垂れ流しでも納得がいくのは船くらいかねえ(笑)
その都市伝説の真偽のほどはともあれ、ずーっと揺れる車内で過ごしたあとは、体が揺れるようにふわふわしていたのも思い出だ。
…………。
い、いやあ、ねえ……。
本日の読書は『トリック特急、長崎から京都へ』。あらすじについては冒頭のジョイノベルの宣伝文句の通り。
とはいえ、なんかね、若干文章に時代を感じたんだよね。
なんだよその気のない返事は。
あと、最初に言っておくけど、ぼくはこの本に誤植を見つけてしまったよ。手元にあるのが2006年1月25日の初版本なのだが、それ以前に2001年にこの作品は勁文社から出ているらしい。
20世紀の文章でも宮部みゆきとかはだいぶもう、ミステリーでも新しい書き方をしていたと思うよ。事件やトリックに加えて、登場人物のキャラが立つ感じといったらいい?
あと、道尾秀介の『背の眼』を読むに至って、自分はこのくらいの文章じゃないと読めないな、と、思った記憶がある。
作中「普通に考えてオカシイだろう」というのがちょいちょいあったね。
まあ、でも、作品としてはこんなもんか。