おかしき世界の境界線 村田椰融
文字数 1,898文字
私と違う世界を見ている、友達。
美涼は淡泊な家庭の教育ゆえに感情の起伏が乏しく、友達がいなかった。
千鶴もまた【人ならざる世界の住人】を見ることができる力のせいで気味悪がられ、友達と呼べる人はいなかった。
二人は友達になり、仲を深め、お互いの住んでいる世界を知ることで親しくなっていくが、やがて踏み込んではいけない領域まで達してしまう。
住んでいる世界が次第に二人を引き離そうとする。でも、友達でいたいという思春期のわがまま……
絶対に相容れない境界線。どこまで踏み込めるのが友達なのか?親しくなることで自問自答を繰り返していく葛藤――
『妻、小学生になる。』の作者・村田 椰融(むらた やゆう)が新たに描く、女子高生二人の和風友情奇譚、開幕。
美涼は淡泊な家庭の教育ゆえに感情の起伏が乏しく、友達がいなかった。
千鶴もまた【人ならざる世界の住人】を見ることができる力のせいで気味悪がられ、友達と呼べる人はいなかった。
二人は友達になり、仲を深め、お互いの住んでいる世界を知ることで親しくなっていくが、やがて踏み込んではいけない領域まで達してしまう。
住んでいる世界が次第に二人を引き離そうとする。でも、友達でいたいという思春期のわがまま……
絶対に相容れない境界線。どこまで踏み込めるのが友達なのか?親しくなることで自問自答を繰り返していく葛藤――
『妻、小学生になる。』の作者・村田 椰融(むらた やゆう)が新たに描く、女子高生二人の和風友情奇譚、開幕。
(「裏サンデー」より)
??
そんな意味深な言い方をすると創作をなりわいにしているすべての作家がむっとなると、思うけど……?
? 君、何がいいたいんだ?
……友情を描く青春物語では、だめなのかい?
おう、またジャンル分けの話になるのか、これ。
まあ、どこに割り振ろうが、ひとつ確かなこともある。
人間を描かない作品は、ない。
それは、「人間」に対する「人間のいない世界」と、考えることもできるよね?
『子猫物語』……チャトランか! 懐かしすぎるなおい。ここを仮に読んでくれる人がいたとしても通じないぞ絶対。
何を言ってるんだ、君。『バルカロール』の中では永遠の1歳猫のくせに。
まあ、そのくらいにはなったか? どっちにしたって、『子猫物語』からだって人間の視線を外すことはできないじゃないか。「人間」が創作している以上は、物語から「人間性」を排除することはできないんだよ。
まあ、人の心の「機微」を描くか、人間によって起こされた「事実」だけを淡々と描くのか、という大きな分岐はあるようには思うけど……。
先日たまたま手に取った某小説が時代小説だったんだが、まあ、時代小説の場合は後者の手法を取りがちだな、と、思いつつ、その作品は近年稀にみる駄作でね。久しぶりに途中で読むのを放棄した。
歴史小説が小説となれるか、ただの論文に留まってしまうかは紙一重だと思う。
ま、そこはともあれ、ストーリーのある作品では人を描くしかなく、人の何を描くかは主人公の置かれた境遇次第、というところはあるのかなとは、思う。
わかりやすく、これは「友情」を描いた漫画だったよね。
作中、何度もぐっとくる金言があった。人と人の間の踏み込んではいけない領域、遠慮しすぎてもいけないってこと、そして友達の関係の意義。
あれはマジで痺れたわ。なのに扱いが雑なのが可哀想でならん(笑)
あちらの世界の「生死」の概念がよくわからないけど、無事でいてくれると嬉しい。
すべてが終わって、望み通り千鶴は普通の女の子になったわけだけど、そして物語としてはこれがあるべき姿なのだと思うのだけど、それでも結果、「見えなくなってしまった」のはちょっと寂しいね。
金子みすゞかいな(笑)