靴に恋して 谷村志穂 野中柊 斎藤綾子 横森理香 狗飼恭子 山咲千里 甘糟りり
文字数 4,122文字
靴の数だけ、恋がある…
靴を買う、靴を履く、靴を脱ぐ。いまをときめく8人の作家たち−甘粕りり子、狗飼恭子、斎藤綾子、谷村志穂、野中柊、山咲千里、やまだないと(漫画)、横森理香−がスペイン映画『靴に恋して』にインスパイアされて綴った、靴にまつわる恋物語。
(AmazonJPより引用)
「おや、ここは他にどんな本を出しているんだい?」
……と、気にはするよ。
……もう! それで、本の中身の話だけどね。
くるね! 「靴を片方しか履いていない男」という状況に対して、周囲がどう反応するのかというのがとても面白い。
ぼくだったらどうするかねえ?(笑)
……え、ええっと、それでね、一番イミフだったのが『わたしと同じ靴(山咲千里)』。
皮肉っているんだろうな、とは思うけどね。ある意味で社会風刺。
作品としての質と、読み手の嗜好は別なんだって、だから。
いやでも、いるのよ。パートナーをアクセサリーとしか思っていないやつ。男女問わずいるから。
まあまあ(笑)
この作品の注目ポイントは、「プロの仕事とは何か」ってところでしょ?
プロになっても自分の好きなものが書けるか書けないか論争だよね。どんな仕事だって消費者あって成立するものなのに、どうしてか小説家の卵たちは、小説家だけは例外(聖域)なんだと思っているみたいで、あれはどうにも不思議だねえ。
ぼくは正直、好きなものしか書きたくないんだったら、その人は一生プロにはなれないと思ってる。「独りよがり」が受け入れてもらえるほど世の中が甘いはずはない。
「神話」はイコール「リアルには存在しない」……なんだけどね。
まあ、そのくらいの夢を見ないと現実問題やってられないんだと思うよ、卵たちは。あとはあれだよね、そういうことを言っている作家の卵はだいたいぼくより若い人たちだよ。
ああ、その凝り固まった思考回路はちょっと青いな、もったいないな、って人が多い。
順に行こうか。『赤い靴のソウル(谷村志穂)』
それが男のリアルなんだろうか。気付けバカ、気遣えバカと、その時点で「ちょっと待て」の連続になってしまい、肝心のストーリーがどうにも腑に落ちなかった。描きたいものが何かは、とてもわかりやすいんだけど。
「人間は中身」というのもある意味「神話」。
中がしっかりしている人間は、外にもきちんとそれが現れているものだから。
冒頭何が起きたのよ、とびっくりするけど、まさかの展開でいったね。
なんかさ、「俺がいいと思うもの、周囲に受け入れられて当然」って思ってる脳みそお花畑の人ってこの世界に本当に存在するんだよね。
昔はファンタジーの生き物かと思ってたけど、最近になって違うなって思うようになった。
いやいや、それこそがリアルでしょ!(笑)
まあ、この手のものは高確率で相手からドン引きされて終わるんだけど、これの悲劇なところはさ、実際それの何が悪かったのかを本人が永遠に気付かないってことなんだよね。
ここでも出てきちゃうけど、「独りよがり」モードの時ってどうしても他人の意見を聞き入れる余地がないじゃない?
特になんでだか「サプライズ」したがる人って、「相手が喜ばないかも」ってことを一切考えないんだよね。
「喜んで当然」って何ら疑いなく思っててどうしてそこまでポジティブ思考になれるのか、不思議でならない。
そんなこんなで、男と女は永遠の平行線というわけだ。
どういう意味?
男女はそれぞれの一本線(時間)の上を同じ速度で歩いていて、一番接近した場所にいる時は「愛」という名の磁場で他が見えなくなるけど、そこから時を経て位置が変わった途端、今まで見えなかった相手のアラなんかが見えるし、場合によっちゃそれが許せなくなる。
人間関係は性別関係なく、ある程度の距離があった方がお互い平和なんじゃない?
ぼくら猫からすると、人間は無駄に相手の領域に入り込んで要らぬ衝突ばかりしているように見えるんだよね。いつもいつも馬鹿だなあ、って、思ってるんだけど……。
……ま、まあそれはともあれさ、この話もラストがよかったね。