じっと手を見る  窪美澄

文字数 1,567文字

大切な人を、帰るべき場所を、私たちはいつも見失う――。読むほどに打ちのめされる! 忘れられない恋愛小説

富士山を望む町で介護士として働く日奈と海斗。老人の世話をし、ショッピングモールだけが息抜きの日奈の生活に、ある時、東京に住む宮澤が庭の草を刈りに、通ってくるようになる。生まれ育った町以外に思いを馳せるようになる日奈。一方、海斗は、日奈への思いを断ち切れぬまま、同僚と関係を深め、家族を支えるためにこの町に縛りつけられるが……。


(幻冬舎HPより引用)

https://www.gentosha.co.jp/book/b11567.html

ついに作品紹介ページを引用してくるようになったわけ?
引用してしまいましたので引用元のリンクも入れました……。
だんだん、めんどくさがりの本性が出てきていると思うんだけど……。ま、いいけど。


さて、表題の『じっと手を見る』

石川啄木の『一握の砂』を連想する人も多かろうと思う。

はたらけど

はたらけど猶わが生活楽にならざり

ぢっと手を見る

そう。それ。

今回読んだ小説は連作短編集になっていて、「じっと手を見る」という表題の作品が中にある。手を見た理由は若干違うんだけど、介護職に従事する人々の哀歌ともとれるこの作品からは、どうしても石川啄木の歌が滲んで離れない。

介護職って、実際どうなんだろうか?
ツライ、の代表格に挙げられがちの介護職だけど、ぼくは正直ツラくない仕事なんてあるのかい、と、言いたいなあ。

ツライのポイントが違うだけ。それだけなんじゃないのかな?

でも実際、作品読んでいるとツラそうにも感じたよ。
生きづらさを抱えている人々の物語なんだよね、これ。

でも、介護職に従事しているから生きづらいんじゃなくて、そういう心に重りを抱えている人たちがたまたま介護の仕事をしている、と考えた方がいいはずだよ。

実際、作品の中には広報誌のディレクターだって登場するでしょう?

前のやつ引きずってて、ディレクターと言うと出入苦多朗をすぐに思い浮かべてしまう(汗
『ダンベル何キロ持てる?』は1回脇に置こうか(笑)
はいはーい。

まあ、なんていうの? ここに登場する人たちはきっと全員が欠損を抱えているんだよ。

欠損していない人間はいないし、欠損はないと思っている人はそう思っていること自体が第一の欠損だよ。人間なんてそんなもの。


この作品は欠損に強く光が当たっている、と言う感じかな。

だからこそ彼らが苦しみもがく様が強く鮮明に描き出されていくんだろうなあ、という気がする。

そして、所々にかなり鋭い文章が混じってると思う。
そこねー。

引用するわけにもいかないのが残念だけど、マーカーで線引いておきたい文章が何か所もあった。

共感したり、気付いたり、社会や人間の有り様について思わず何度も目を見開いてしまった。


そういう意味でもお薦めしておきたい小説なんだけど、性描写ってどの程度世間に受け入れてもらえるものなのかというのが少々ネックになる。

いやまあ、2ページ目から合体しているけど……。
特に1作目は……うん。


ああ、あとこの作品の1番すごいのは、パズルのように伏線が組み込まれているところだよね。

無理なく自然に、別の作品の中でするすると紐解かれていくのが見事すぎた。
同じ舞台を主人公を変えて描く場合のメリットが存分に活かされてるよね。

映像にしやすい内容のようにも感じたけど、これらの繊細な箇所を余すところなく描ききるのは難しいだろうなという気もする。これぞ小説なり、という感じ。

この作品の登場人物たちは、幸せになれるんだろうか?
ラストで日奈と海斗はうまく纏まったけど、それでもこの2人を含めて登場した全員が、無理だと思う。

彼らの生き方が幸せを逃がしているもの。

生きるって……難しい。
もしかしたらそれは、まだ「死んでいない」だけのことかもしれないよ?
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