春秋末期の衛国。小柄な十五歳の少年・小旋風(しょうせんぷう)は、盗掘を生業とする養父に育てられた。あるとき彼は、墳墓の棺の中から華麗な琴を発見する。しかし直後、養父は落盤事故で死んでしまう。小旋風は琴を売ることで貧困から脱し、のし上がろうと考える。彼の野心はやがて、衛国全体を巻き込んでいく。小旋風は自分の唯一の武器である言葉だけを使って琴を売り、大金を手に入れることができるのか――。第9回小説現代長編新人賞受賞作。
(講談社BOOK倶楽部より引用)
https://bookclub.kodansha.co.jp/title?code=1000024520
この時代は公的な記録でさえファンタジーなことが多いけど、よくわからないなあ……。先祖の夢のお告げで霊公が太子として立ったことは記録として残ってはいるよ。でも、そこに伏羲の琴が絡んでくるのかと言われると、さっぱりわからないね。
伏羲とか女媧とか、その名前が出てくるとどうしても『封神演義』の世界になってしまう自分がいる。
そこで連想する『封神演義』は藤崎竜の方だよね。安能務は女媧を登場させても伏羲は完全に蚊帳の外だったから。
そして下半身が蛇って話になってくると、どうしても思い出すのは『崑央の女王』なんだけどね?
あれは……そうだよね。たぶん伏羲とか女媧のことを念頭に置いて作られたんだよね。なんというか完全にホラーだし、グロさでいったらダントツのヤバさで、まあ、ぼく的にはとても好きだった。
想像するだけでぞわーってしちゃう描写が多かったよねえ。
爪で羽ばたいてブンブンと飛ぶ指の第一関節とか、うねうねと床を這いずり回る唇とか、ほんとあれ、ないわー! と絶句だったもんなあ。
しかし、この小説もすでに絶版か。歳月の恐ろしさを感じてしまう。
出版社はさ、過去作品も含めて全部を電子書籍にしたらいいと思うんだよ。ほんとに。紙本は出し続けられないでしょ?
……知らない。伏羲と言ったら八卦なイメージだが。でもググると「伏羲琴」という言葉が結果の一覧にポンポンと飛び出してくる。
琴(きん)は中国古代に誕生しました。その起源は神話時代の伏羲(ふっき。人頭蛇身で中国古伝説の三皇の一)、神農(しんのう。牛頭人身、農耕の神。)らに結び付けられ遡ることができます。『琴操』によると、「昔伏羲が琴を作った」とあります。また『風俗通』(一七〇~二〇〇年頃)には、「神農が琴を作り、舜が五絃の琴を弾き南風の詩を歌い天下は治まった」といい、琴はその最初は五絃であったようです。そして周代(紀元前一一二〇年頃)の文王と武王がそれぞれ一絃ずつ加え、七絃とし、漢代末に定型化し楽器として完成され、その後全く変化することはなく、現代にまで伝えられています。
琴の絃はその誕生当時より絹絃が使用されていたましたが、現代では、絹絃は脆弱な音色のせいかあまり使われず、かわりに大きく鋭い音色のスチール絃が多用されています。このことは太古から変わらずにきた琴の歴史における唯一の変化と言えます。
普通に今回読んだ『小旋風の夢絃』に出てくる琴の説明まんまじゃないか。
もとは「五絃」だったというところ、「文王と武王がそれぞれ一絃ずつ加えた」ってこと、出てくるね。
作中には絹絃という描写もあって「?」だったんだけど、そうか、もとの琴は絹絃だったのか。
『小旋風の夢絃』は、主人公の小旋風が墓から掘り出した五絃琴を高く売ろうとしているうちに衛のお家騒動にまで足を踏み入れてしまう物語。
まるで生きているかのように艶めかしい死体、という序盤の描写でまさかこれファンタジーなのかな、とも思ったんだけど。
ファンタジーかファンタジーではないか、かなり際どいところでじれったさを演出している作品でもあったかな?
結局は足があったかどうか、確かめなかったわけだしさ。
あの琴が本物の「伏羲の琴」なのか、ただの五絃琴なのか、どちらで受け取るかは読者に任されているんだろうか。
どっちで受け取っても作者としてはいいと思っているんじゃない? そこに白黒付けないのがこの作品のらしさだと思ったよ。
まあ、どっちにしたって十分にドラマチックな展開をするよね。もうこれで安泰かと思った矢先のラストでまさかの! という大ピンチまで用意されていて……。
小旋風だけでも涓涓だけでも、あの琴は「伏羲の琴」にはならなかった、ということでしょ?
琴を「ただの琴」にするか、「伏羲の琴」にするか、それは人間の目なんだな。
ところでさ、史実の方では霊公の奥さんの名前は南子なんだけどさ?
ただの偶然なんだろうか。南子といったら、孔子を誘惑する悪女的な立ち位置として描かれる女性でもあるしなあ。
でもさ、それでも霊公は南子のことを溺愛していたらしく、それを知ってしまうとキュンとならない?