虎狼の王 桐谷正

文字数 2,304文字

なぜ呂不韋は嬴異人に近付き、そして秦国を牛耳るに至ったのか。

中原に怨嗟の声が響き、黒い竜が生まれ落ちる。

「始皇帝」関係の作品と言ったらここはやはり……
安能務!
いやいや待って待って。『キングダム』でしょうが……。
……(呻き声)。

うん、そうね、『キングダム』……途中までは読んでいたんだけどね……。

? 読むのやめちゃったってこと? なんで?
(えっと……その当時いろいろと、あってね……私生活が)
あー……(察し)
そんなこんなで、いまだに自分の中では始皇帝と聞くと根強く安能務の名前が付いて回る。そのものズバリで『始皇帝』というタイトルの本を出しているんだな。
でも、安能務といったらここはヤッパリ『封神演義』なんじゃないかな?
それは鉄板ではあるよね。


自分も昔、藤崎竜の『封神演義』が安能務のをベースにしていると知って速攻で買ったもんな、あれ。上中下の3巻……分厚かった、字も細かいし。(白目)

内容に関して、だいぶ批判されているという話も聞いたことあるけど……?
それ詳しくは知らないんだけど、解釈の問題な部分もあるとは個人的には思っていたりはするよ。よくある話だけど、フィクションに対して外野がゴタゴタうるさいってやつなんじゃないのかな?

(だいぶ創作が入っているのに「訳」とか付けてるのも批判の原因であるらしいけどね)


まあ、殷周革命のきっかけが仙人たちの「殺したい欲求」の捌け口だったという設定は、ぼく自身は嫌いじゃないし、不老不死の仙人が増えすぎて仙界が人口過密で何が何でも人数を減らさなきゃいけなかった、というのもすごく好き。


そういえば、批判の一つに「哪吒」を「なたく」と読ませるのは間違いだってのもあったと思うな。「なた」が正しいって。


あの当時は、後の世の中が子供の名前に「光宙」と書いて「ピカチュウ」と読ませるような時代になるなんて思いもしなかった……。

漢字は難しいよね。新羅も今じゃ「しらぎ」とは読まないんでしょ?
所詮、漢字は表意文字。ただの記号でしかないってことなんだなー。どう読もうが意味が通じれば究極はマルなわけだもん。
でも圭さん、『封神演義』の中で1つすごーくモヤモヤしている漢字があるらしいじゃん? 風化だっけ?
ああ、墓場まで持っていっても解決しないかもしれないやつの1つね。風化。


捕虜になった黄天祥がそれで死んでしまうんだから処刑の方法だということまではわかるんだけど、具体的に「風化」がどういうものかとなるとテンデわからない。気が向くと今でも検索してみたりするんだけど、出てこない。首でも括られて晒されたんか……?


前のシーラカンスじゃないけど、これだけ情報の氾濫した時代に検索して知りたいことにたどり着けないなんてことがあっていいわけか……って、これ何の話だった?

始皇帝!
脱線しすぎでしょ。
初手から脱線したのは圭さんだよ?
まさか! 馬鹿な!

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

あー! ぼくだー!(汗)

じゃあ、気を取り直して『虎狼の王』の話に戻ろうね!
(なんか、ハメられた気がする)


こほん。


……では気を取り直して。


『虎狼の王』の主人公は呂不韋。


中国の戦国時代が好きな人にとってはお馴染みの人物でありましょう。


邯鄲で辛酸を舐めるような人質生活をしていた秦の公子・嬴異人(荘襄王)を見出し王位に持ち上げ、権勢を恣(ほしいまま)にしたのち、嬴政(後の始皇帝)によって自殺に追いやられる商人です。

この物語では、呂不韋が嬴政の父親って説をとってるね。
安能務もそっちの説をとってる。


まあ、「物語」とするのであればぼくだって呂不韋説をとるに違いないよ。そっちの方が「物語」なら確実に面白いわけだから。

こうして「フィクション」の存在により事実が形作られていく……。
アルアルだからね、そんなの。みんな陰謀好きでしょ? 不穏な方がご馳走でしょ?(笑)


あとほら、楊貴妃が実際には二重あごのボン・ボン・ドンな体形だった説もあるけど、そんなの聞かされたって信じたくないでしょ?


ぼくらはね、信じたい方を信じるように生まれ落ちた都合のいい生き物なんだって。

あはははは(笑)


まあそれはともあれ、「奇貨」については安能務のとは違ったよね。

比べるのもなんだけど、安能務の解釈の方が中国人アルアルっぽくはある。


こっちの奇貨は、呂不韋に秦を滅ぼしてやろうという意図があるから、そりゃもちろんだいぶ意味が違ってくるよね。ただまあ秦を滅ぼすといっても……の部分で、物語の構成としては無理してる感があった。

でも、鴆毒を煽る理由としては悪くなかったかも。
子が親を殺してはいけない、ってのは儒教的な思想といえば儒教的だし、日本的と言ったら日本的だな、と思った。ま、舞台が中国であろうが西欧のどこかであろうが、日本語の小説に対して日本らしさが抜け落ちると、読者は確実について来ないんだよね。


なお、秦という国はせっかく天下を統一したのものの、結局は始皇帝が死んでさっくりと滅んでいくわけで……それをもって呂不韋がなんと思うかは考えてしまう。

望んだとおりとなったと嗤うのか、我が子の国の呆気ない衰退を嘆くのか。

国を滅ぼすことが、必ずしも乗っ取ることで果たせるわけではないもんね。
そうだね。


目的のための手段として我が子を使おうとしたところから、呂不韋の不幸が始まっていたのかもしれない。

自分以外の人間の心など、思う通りにはならないもの、か。
思い合ってもすれ違う。

愛と憎しみは表裏ではなく、同じ方向を向いて寄り添っている。


嬴政の執拗なまでに呂不韋を追い詰めたところなんかは、「情」というものの持つ業を感じるように思うよ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

よろしくね!

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色