1829年、沖縄の泊村で生まれた松茂良興作、幼名・樽金。
沖縄の武術、「手」に魅了され、薩摩の支配下で沖縄人が理不尽な扱いを受けることに憤る、正義感の強い少年だった。
樽金には、一度見た「手」をほぼ記憶する特異な才能があった。
父から「手」の基礎を習い、元服を迎えて興作を名乗ると、高名な泊の武士のもとで本格的な修行に入る。
伝説の武士・松村宗棍からも「手」の型を教わり、めきめきと腕を上げていった興作は、
ある日、沖縄人に狼藉をはたらく薩摩藩士と対峙し、手ぬぐい一本で剣を打ち負かしてしまう。
これにより武士マチムラの名が世に広まるが、薩摩の目を逃れるために、興作は放浪の旅を余儀なくされる。
やがて明治維新の荒波が沖縄を襲い、琉球王国がヤマトに消滅させられてしまう。
興作は若者に「手」を教えながら、反ヤマト派の活動を始めるのだが――。
空手の真髄と沖縄のあるべき姿を追い求めた男の、波瀾の生涯を描く。
今野敏のライフワーク、琉球空手シリーズ第四弾!
空手家・今野敏の面目躍如たる労作『武士マチムラ』
(「集英社」より引用)
https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-771121-9
東京2020で競技種目になったので、ちょいちょいと見ていた(結果だけ)空手。
括弧書きにツッコむな!(汗
そもそも現役のサラリーマンなんだよ、ぼくは。試合がリアルタイムで見れるわけないでしょうが。
その空手の結果を聞きながら、ではなく、卓球の結果を聞きながら不意に内々で話題になったのが、「オリンピック競技になった中国発祥のスポーツって何があるんだ?」ということで。
いやね、最初は「卓球じゃないのか?」となったのだけど、調べたら違った。
ははは。
そういえば、東京2020の開会式って入場が五十音順だったでしょ? それなのに「アメリカ合衆国」が「あ」で登場せず、「イギリス」も「い」で登場しなくて一瞬びっくりしたんだよね。
イギリスは「え(英国)」で入場だったね。
あれでぼくは、アメリカは「べ(米国)」での入場なのだとわくわくしながら「は行」を待ったというのに、まさかの「へ」で登場しなかったアメリカ。
これで「め(メリケン)」で出てきたらこのご時世マズくないか? とか、まさかのまさかでコロナを理由に開会式ボイコットか? なんてことも、思わず考えてしまった。
ボイコットはないでしょうよ。
中国に負けじと人は出すはずだよ、アメリカだもの。
まあ、そうなんだよね。でもそのアメリカ、今回の大会の結果はひどかったんじゃない?
それね。
前大統領の功罪の1つじゃないかと、思わず推測してしまう自分がちょっとイヤ。
白か白じゃないかで国が分断されているうちに弱くなった、という見方は確かにあるんだろうな……。
ここ最近はね、「アメリカ、大したことないな」が多いよね。
でも、そんなアメリカ様のご都合に合わせた結果があの入場順のからくりでした……って、話なんでしょ?
まさかの「U(United States of America)」でのご登場とはねえ……。
あ、そうそう! 卓球が違うなら空手はどうなんだ、と、なり。
これが調べるとややこしいが、おおもとを遡ると中国拳法に行き当たるらしい。
琉球王国にその中国拳法が伝わり、「手」という武術に発展し、それが日本に伝わって「空手(唐手)」になった、というのが大雑把な空手の歴史であるようだ。
……というわけで、ようやく本作『武士マチムラ』の話ができる。
今では琉球空手とも言うらしい「手」にはいくつかの流派があるのだが、本作は「泊手」を担った松茂良興作を主人公とする物語だ。
……作中では「松茂良」を「まちむら」と読ませているみたいだけど、ググると「まつもら」とルビを振っているサイトが多いね?
漢字だけを見ると「まつもら」の方が正しいように見えるが、わからないな。
作中で松村という名の「手」の担い手が登場して比較されるシーンもあるので、敢えての「まつむら」なのかもしれない。
小説なのに「華」がないというか、ドラマがないというか。
歴史小説なんてだいたいが淡々としているものだろう?
これ、扱っているのが「空手」というのが悪いんだろうな。我々読者が忍者や武術に対して過剰な期待を抱いてしまうのは格闘系フィクション作品の功罪が大きい。
この作品は、まあ、確かにそういうバッサバッサと敵を倒していくような華々しいフィクション作品を期待すると「違うな」、と、思ってしまうけど、空手の歴史の一つを知る手段、と思えば結構興味深い内容だったと思うはずだよ。
それは、薩摩藩だけなのかな?
松前藩だってアイヌの人たちに優しかったかどうかはわからない。
……となると、日本全体、そんな感じということになる?
支配する側に回ると人間ってだいたいこうなるのかも。
しかし薩摩藩、松前藩と名前を出されると、どうしても「四つの口貿易」で半年を食いつぶした日本史の授業を思い出してぼくは笑ってしまう。
高校の日本史なんだけどね、「中国の冊封体制」と「四つの口貿易」だけで1年が終わってしまうという珍事が起きたんだよ。
恐ろしいだろ?
「君たちはどうせ勉強は自分で勝手にするんだろうから、私は教科書に書いてあることなんかやらないよ」と、そんな感じで随分とぶっ飛んだ授業をやったもんだよ、あの先生は。
① 長崎での中国・オランダ商戦との貿易に加えて、② 松前藩と蝦夷地の貿易、
③ 薩摩藩と琉球王国の貿易、
④ 対馬藩と朝鮮王国の貿易
が江戸時代にはなされたいたんだ。
「四つの口貿易」とは、日本史が唱える「鎖国」をある意味で否定する事実でもあるわけさ。
そういえば日本史の教科書は一時期、「鎖国」の文字を削ったか、削ろうとしたことがあるらしいよね?
現実問題として日本は鎖国なんかしていなかったから、言葉として「正しくない」ことは確かなんだよ。
それでも「鎖国」という言葉が今なお使われているのは、幕末の「開国」に対する説明が「鎖国」なしに説明しきれないから、という教師側の事情もあるらしい。
まあ、ともあれ思うのはさ、明治維新で唐突に沖縄藩になり、沖縄県になってしまった琉球王国の人々の気持ちはいかばかりであったろうかな、というところだよ。
琉球王国は薩摩藩の支配下にありながらも清の冊封体制に組み込まれていたから、結構な勢いで清と揉めたという話は聞いたことがある。
小説の中では清が琉球のために「何してくれた」的な話題はほとんど出なかったけど。
そのあたりは、政治の本流にいたわけでない松茂良を主人公とした以上は書きようがなかったろう。
なお、沖縄が日本の領土として確定するには日清戦争を待たなければならなかった。
「沖縄に全部押し付けて!」という彼らの主張を聞くたびに心が痛いことも多い。
でも、米軍基地があるのは沖縄だけではないので、彼らの主張が極端にすぎると感じることもある。
とはいえたまにニュースなんかを見ているとさ、沖縄は日本から独立したがっているんじゃないのかな、と思うこともあるんだよね。
独立したら、中国が黙っていないだろうな。すぐに取りに来そう。
……なんか、噂によるとさ、中国の作った未来地図があるんだが、それによるとこのあたりは「日本省」になっているらしいんだ。
実際にも虎視眈々と、じわじわと、あの国が浸食してきている気がしない?
日本の土地が中国マネーに買いたたかれている、という噂も聞いたことがある。
うう、ぼくら、早めに中国語を勉強しておいた方が、いいのだろうか?