廃用身  久坂部羊

文字数 3,325文字

廃用身とは麻痺して動かず回復しない手足をいう。患者の同意の下、廃用身を次々と切断する医師漆原。告発するマスコミ。はたして漆原は悪魔か?『破裂』の久坂部羊の衝撃的な小説デビュー作。


(「幻冬舎」より)

https://www.gentosha.co.jp/book/b3352.html

先日、言いたい放題しているこのサイトを作家本人に補足されるという事件が起きた。
まさか読んでくれて、しかも反応をくれるとは。

ありがたいことだよね。

そうなると今後、迂闊なことは書けないね?
何、その確信的な笑み? どうせ書くんでしょう?

だってプロでない人間だからこそ、これだけの言いたい放題ができるんだもん。この美味しいポジションを手放したくはない。

野党が外野で好き勝手、そして無責任に騒ぐのと基本は同じだよ。

……やれやれ。
まあ、ともあれ本日のお題は『廃用身』。
介護保険制度が始まった頃、の話だね。
うん。かなり面白かったな。最後まで読み通して、うーむとなった。
けっこうな変化球で「介護」への問題を提起する作品だったように思う。

と、読者に思わせる壮大なトリック小説だったのではないかという気がしてならない、これは。

ぼくら読者は騙されたのではないか?

……へ?
詳しい中身に入る前に、この作品がどういうものかとさらっと解説してみようか。
まあ、そのあたりは幻冬舎のサイトにある通りだよね。「廃用身」なんて初めて聞く言葉だけど、そ……
はい、そこ!
ん?
確かに、作品でも冒頭に「廃用身」という言葉の説明が入る。
れっきとした医学用語で、脳梗塞などの麻痺で回復の見込みがない手足
うん、その通りなんじゃないの? 実際、脳梗塞を患った人に麻痺が残ることはあるわけでしょ?

しかし、それで「回復の見込みがない手足」を「廃用身」と命名するものだろうか。妙に乱暴な言葉だとは思わないか?

ぼくはね、瞬間的に差別的だと感じてしまった。作中でも直後に「非人間的な用語」と補足がついている。

そんなわけで作品に対するぼくの違和感はここに始まり、すぐにググってしまったんだ。

上段にちゃんと出ているじゃない。
こらこら。よく見て。

……あ。よく見ると「廃用症候群」と書いてあるね。

ネットの検索は「そのものの言葉」だけではなく「近い言葉」「検索者が意図しているのはこちらではないかとシステムが判断した言葉」も同時にひっかけてくるので、そういう意味ではGoogle氏はぼくの問いに対して「『廃用症候群』という言葉をお求めでは?」と、思ったらしい。
それより下は、この作品のオンパレードか。
そう。なので、次に作者の名前と、出版社の名前を除外して検索してみた。
「廃用身」という言葉そのものが結果から消えた……!

そんなこんなでぼくは疑問に思っているんだよ。「廃用身」というのは本当に「れっきとした医学用語」なのかどうか。

ちなみに「廃用症候群」についても調べてみた。

「過度に安静にすることや、活動性が低下したこと」を原因としている時点で、廃用症候群が「脳梗塞など」を原因とする廃用身とはまったくの別物だというのがわかるだろう。

……そうなると、廃用身は造語の可能性が出てくるんだ。

つまりはこの段階で、読者は作者の仕掛けたトリックにハマりこんでしまうというわけだ。

中身をもう少し見てみようか。


「廃用身」となった四肢を切断することによって、日常生活動作(ADL)の改善、介護の軽減、生活の質(QOL)の向上を目指したひとりの医師の話で、表向きに問いかけられているのは高齢化社会と深刻な介護事情の問題だといえる。

介護の問題は騒がれて久しいよね。
もうずっとずっとずーっと騒がれている問題だし、なんなら永遠の課題として日本の未来に積み残されるしこりになる懸念さえある。
日本は超高齢化社会だからねえ。
介護を担う若手の減少問題はそう簡単には解決しないだろう。施設職員の数の問題だけでなく、在宅の場合の家族の負担だってはかりしれない。
この問題、賃金の低さを原因に挙げる論者もいるね。
その割に重労働すぎる、という意見だね。
重労働だよね、本当に。だからこそ、「廃用身」を切除して体重を軽くした方が介護も楽だよね、という流れになるのがこの小説。
そして切除された人にとっても結果ハッピーのはずだ、というのが主人公の理論なんだね。
実際、麻痺のある手足って本人としてはどう感じているものなのだろう?

うーん、そこが、わからない。わからないからこそぼくは悩んでしまった。

作中にあるいくつかの指摘


・麻痺部位の冷えへの悩み

・意志通りに動かないくせに、意志に反して勝手に動くわずらわしさ

・「廃用身」にばかり意識がいってしまって、鬱症状を引き起こす弊害


など、「廃用身」を切除することで「廃用身」のことをもう考えなくなり、「正常」な部位でできることを前向きに目がいくようになるという主人公の考え方は、


「正しいのでは?」


と思わせる説得力がある。

介護も楽になるし一石二鳥?
でもまあ、当然だけど世論の反発は必至だよね。
倫理的にどうなんだ、という問題は解決しないとぼくは思うんだよ。
そんなわけで、「廃用身」の切断を敢行するまでがフェーズⅠとするなら、マスメディアが過剰反応を起こすところから始まるのがこの作品のフェーズⅡということになる。
バッシングの嵐!
と、ここで発動するのが作者のトリックその2。
え? ここでも?

気付かないか? この段階で見えるのは


・「廃用身」の切断がいかに良いものかを論理展開した主人公およびその擁護者と、

・グロテスクだ、残酷だ、とヒステリックに叫んで面白おかしく記事に書き立てたマスメディア、


という対立の構図なんだが、肝心の視点が1つ抜けている。

……と、言うと?

公正中立の第三者的な視点、とでもいったらいいのだろうか。

「医学の発展」と「倫理」というのは相反するものとして対立しがちではあるのだが、それ以前の問題として、その「医学」の中での検証・議論は十分になされたかどうかの視点はどこに消えたのか。


「廃用身」切除のメリットは主人公が説明した、では、「廃用身」切除のデメリットは?


誰も説明してくれていない。

手術時の体の負担については主人公が触れるが、それだけだ。本当にデメリットはそれだけなのか?


そもそも主人公の理論には説得力がありすぎて、かえって怪しいとぼくは思うんだよ。


それに「廃用身」というイカニモな言葉を使うことによって読者には「切る」ことへの抵抗感が削がれた気がしてならないんだ。これこそが作者の仕掛けた罠ではないのか。

マスメディアの反論は感情論に終始していたかも。

こういうことが起こるとさ、だいたいは「どこそこの第一人者」みたいな権威ある人が訳知り顔で出てきて専門的な見解を述べるじゃないか。

得てしてそれらのその意見は世論の感情に迎合しがちだけど、医学的に●●だからダメだ、と説明する人間が現れてしかるべきところ、この作品ではそこが省かれる。


結果、切除は悪いことではないのにマスメディアが古臭い倫理観で正義を踏みつぶそうとしている、という方向に読者は誘導されていく。


昨今、マスメディアを悪と徹底的に断じる風潮があるだろう? それらの風潮に染まった人たちがこれを読んだらどう思うだろうね?


そして切除の是非を問われたら?


ぼくはこれ、いくらなんでもフェアではないと思っている。

実際、ストーリーも「廃用身」切除そのものの是非よりも、その「行為」や行為を行った主人公の「ヒトとナリ」に主眼が移っていくね。
実際、そこからがこの作品の真骨頂だ。
でも結局、主人公がどういう人なのかはわかんないままだった。いい人なのか、悪い人なのかも。

いろんな角度から光を当てて、その度に人物像がひっくり返っていくのがこの作品の主の部分だよ。

実際に、人間には善人も悪人もいないんだ。どこに光を当てるか、誰の目で見るかで見え方は大きく変わる。一つの結論には当てはまらないということをこの作品は描いているんだね。


そして、最後の判断は読者の気持ち次第。

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