掌の中の小さな月 小林容子
文字数 1,845文字
月が欲情するとき、この世の果てにひっそりと幻のエロスの花が咲く。あしたを捨てた少女と男が、輪廻の川の彼岸に夢見た至上の楽園とは…。ヨコハマ、本牧、伝説の退廃の館でくりひろげられる不毛の愛の遊戯。
(「Amazon」より引用)
なあ、このレベルでも自費出版なのか?
とりあえず、真っ先に思うのは言葉のバリエーション。
後半の文章は余計だい! 「漢字」から意味は推測できるレベルだったので、まあ、辞書を引かずとも、そのまま読んでもそれほどの苦労はしないだろうよ。
うっ!
そ、そのことはいずれ語るから取っておくとして、内容に比して漢字が難しすぎる作品というのは、一体誰に向けて書いているんだろうか? と、思わなくはない。
クズな主人公がクズな男と出会ってクズな性をむさぼり、クズな終幕を迎える物語。
としか、言いようがないんだもんよ。
雰囲気的には、19世紀前半のイギリス女流作家の作品を翻訳したら、こんな訳文になりそうな感じ。
『ジェーン・エア』とか、『嵐が丘』とか。
そう言いたいわけではないのだけど(彼女たちの作品に性に溺れる描写はないし)、叙述の仕方とかそういうのがどうにも数世紀古臭く、異国っぽさを醸す。
日本の近代文学作品となると、うーん、誰が近いかな。堀辰雄とか、近いかもしれない。
西洋に感化された日本の近代文学には多分にその影響が垣間見える。(と、思う)
いやー、だってぼくは文学を体系だって学んだり研究した人間じゃないもんよ。なんとなく感覚的に「こんな感じかな」と、思っているだけで。
今回読んだこの作品はとにもかくにも格調高いんだよね、現代日本文学ではあまり見かけない空気感を出しているなと思ったよ。
まったく無い、わけでもないってことは言っておかないとね。
日本人作家の作品なら、先日読んだ『ラ・トラヴィアータ 運命の愛の物語』は、今回読んだこの作品に空気が近い。
だから言っているじゃないか。日本の作品っぽくない。そして、時代が古い感じがする。
そういうところが自費出版に落ち着いたゆえんなのかな、と、変な見方をすると思わなくもない。内容はなかなかに興味深いから、もったいないなと思うのだけど。
それはそれこそ、『嵐が丘』だよ。あれはずっと女性のひとり語りだし。
ははは。終盤になって唐突に回想から現在に戻り、そしてオチのしょぼさに苦笑する。
物語の中心人物たちにとっては総合的にハッピーエンドなんだけど、終始存在感のない主人公からしたら望み叶わずのバッドエンドなんだな、あれ。
非常に判断が難しい。望んで破滅するんだし。
ここで彼に出会わずとも、いずれは似たようなタイプの男に出会い、翻弄されて流され溺れていったんだと思うよ、彼女は。
世の中を斜に構えて見る目だけは一人前のようだけど。
ふーーーーんって、最後はなっちゃうんだよね。哀れとも思わないし。
作品としての価値はあるのだけど、読んだ感想が「ふーん」で終わる、あの感じね(笑)