掌の中の小さな月  小林容子

文字数 1,845文字

月が欲情するとき、この世の果てにひっそりと幻のエロスの花が咲く。あしたを捨てた少女と男が、輪廻の川の彼岸に夢見た至上の楽園とは…。ヨコハマ、本牧、伝説の退廃の館でくりひろげられる不毛の愛の遊戯。


(「Amazon」より引用)

https://www.amazon.co.jp/dp/4809672409

なあ、このレベルでも自費出版なのか?
クオリティーが高かったね。
とりあえず、真っ先に思うのは言葉のバリエーション。
結構、何回か辞書を引いたよね。引いたところで圭さんのことだからすぐに意味も存在も忘れてしまうのだろうけど。
後半の文章は余計だい! 「漢字」から意味は推測できるレベルだったので、まあ、辞書を引かずとも、そのまま読んでもそれほどの苦労はしないだろうよ。
……そういえば先日、とあるライトノベルを読みながらプスプスと湯気を出してた気がする、圭さんが。
うっ!

そ、そのことはいずれ語るから取っておくとして、内容に比して漢字が難しすぎる作品というのは、一体誰に向けて書いているんだろうか? と、思わなくはない。

さて、中身に移ろうか。
クズな主人公がクズな男と出会ってクズな性をむさぼり、クズな終幕を迎える物語。
またまた……。
としか、言いようがないんだもんよ。
作品を端的に紹介するのって難しいよね。
雰囲気的には、19世紀前半のイギリス女流作家の作品を翻訳したら、こんな訳文になりそうな感じ。
19世紀? イギリス? 女流作家?
『ジェーン・エア』とか、『嵐が丘』とか。
ブロンテ姉妹の作品に似ているってこと??

そう言いたいわけではないのだけど(彼女たちの作品に性に溺れる描写はないし)、叙述の仕方とかそういうのがどうにも数世紀古臭く、異国っぽさを醸す。

日本の近代文学作品となると、うーん、誰が近いかな。堀辰雄とか、近いかもしれない。

堀辰雄もでも、西洋の匂いを纏わす作家だよね?
西洋に感化された日本の近代文学には多分にその影響が垣間見える。(と、思う)
括弧で逃げたな!

いやー、だってぼくは文学を体系だって学んだり研究した人間じゃないもんよ。なんとなく感覚的に「こんな感じかな」と、思っているだけで。

今回読んだこの作品はとにもかくにも格調高いんだよね、現代日本文学ではあまり見かけない空気感を出しているなと思ったよ。

「あまり」の部分に、食いついてもいい?
まったく無い、わけでもないってことは言っておかないとね。

日本人作家の作品なら、先日読んだ『ラ・トラヴィアータ 運命の愛の物語』は、今回読んだこの作品に空気が近い。

……あの作品は、でも、西欧文学の二次創作だよ。(あ、察し)
だから言っているじゃないか。日本の作品っぽくない。そして、時代が古い感じがする。
舞台は現代日本だし、主人公も日本人なのに、不思議だね。
そういうところが自費出版に落ち着いたゆえんなのかな、と、変な見方をすると思わなくもない。内容はなかなかに興味深いから、もったいないなと思うのだけど。
1つの会話が長いのも特徴だよね。
それはそれこそ、『嵐が丘』だよ。あれはずっと女性のひとり語りだし。
あーんまりにも長いから、途中で女性が語っているということを忘れるよね?
ははは。終盤になって唐突に回想から現在に戻り、そしてオチのしょぼさに苦笑する。
そうそう。あれはだって、その気になった主人公(ほぼ影)が、勝負に挑む前からフラれて終わる物語だもん。
物語の中心人物たちにとっては総合的にハッピーエンドなんだけど、終始存在感のない主人公からしたら望み叶わずのバッドエンドなんだな、あれ。
()の中の小さな月』は、バッドエンドなのだろうか。
非常に判断が難しい。望んで破滅するんだし。
でもあの男に出会わなければ、主人公がこんな形で“脱皮”することはなかったわけでしょ?
ここで彼に出会わずとも、いずれは似たようなタイプの男に出会い、翻弄されて流され溺れていったんだと思うよ、彼女は。
考えてみると主体性をあまり感じさせないんだねよ、この主人公。
世の中を斜に構えて見る目だけは一人前のようだけど。
この作品そういう意味ではね、作品としてはキレイにまとまっているなと思うんだけど、登場人物たちへの同情も共感も嫉妬も、なーんにも湧かないまま終わっちゃうんだよねえ。
ふーーーーんって、最後はなっちゃうんだよね。哀れとも思わないし。
そういうところも、19世紀前半のイギリス女流文学っぽいのかな?
作品としての価値はあるのだけど、読んだ感想が「ふーん」で終わる、あの感じね(笑)
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