第34話 瑠貝

文字数 2,696文字

 その日を境に麗射を取り巻く人々の態度が変わった。相変わらず素描は下手だったが、経是が寸評で酷評することはなくなった。そればかりか、麗射のあの指でたたきつけるようにして描いた絵は皆に感銘を与えたらしく、麗射をまねて筆ではなく指で描く者が続出した。怒るかと思われた経是講師だが、不思議なことにそれを黙認し、上手に描けた者は寸評でほめさえした。
 玲斗達は面白くなさそうに時折チラチラと麗射の方をうかがっている。しかし皆が再び麗射の周りに集まるのを見て手を出すことはしなかった。
 去っていた友人たちが戻り始め、事態の鎮静を感じた麗射も今度はそれを拒むことをしなかった。
「知っている者もあるかと思うが、2週間後盛夏の美術展覧会を行う」
 実践画法2の実技の終わりに経是が要綱を記した紙を教場の壁に貼った。
「この講座の課題は静物写生だ。色は自由、課題は中央の丸テーブルに置いておくから、各自好きな場所から描くように。展覧会の前に教授陣に評価してもらい各講座から一名優秀賞が選ばれる。その中でも最も優秀な作品は最優秀学院賞として学院長から表彰される。実践画法の講義はこの作品で最終評価をするから心して描くように」
 教室はざわめきで揺れた。上級生たちは各講座一名のこの賞を目当てに新入生用のこの講座を取っている者がほとんどであるため、特に色めき立っている。
 今後2週間、実践画法の講義はなく各自が自由に作品を仕上げることになるのが慣例だった。
「きっと玲斗だぜ」
 その日、麗射達の昼食のテーブルは誰がこの講座の優秀賞を取るかという話題で持ちきりだった。意地の悪い玲斗であったが、確かにその写生の腕は群を抜いている。彼は目前に置かれた静物をそっくりそのまま描きとる技量を備えており、その技術はいつも経是から絶賛されていた。
「昨年、奴は惜しいところで優秀賞を逃したんだ。だから今年は優秀賞を狙って実践画法2の講義を受けているらしいぜ」
「確かに玲斗は技術もあるし、今年は奴かもな。教授陣への付け届けも相当な額らしいし」
 美蓮が酸冷麺をほおばりながら言った。彼は今回工芸科の課題で展覧会に出品する。粘土での彫像づくりにいそしんでいるその指先は灰色に染まっていた。
「ずば抜けて素晴らしい作品があればそれが優勝するだろうけど、どの作品か迷う時には賄賂が効いてくるんだよ。ま、つまるところ世の中金だからな」
 この発言をした瑠貝(るかい)という青年は仲間内でも知られた守銭奴だった。悪い人間ではないのだが、金銭に対しては砂粒ほどの妥協も無い。貧しい階層の出身で、常々自分の名前は商人の父親が金目のものに恵まれるようにと瑠璃の瑠と、宝貝の貝をとって名付けたと誇らしげに語っていた。
 ここには絵の目利きになるためにやってきたらしい。美術工芸史という珍しい学科に入っているが、時々絵画の実践講座にも顔を出している。
 常に画材は最安値の特価品を選び、顔料もできるだけ薄く塗ることを信条としている。最も安い画材で、最も利益を得られる作品を仕上げるのが、彼が自らの作品に課した命題らしかった。
「ま、賞金が出ない作品展に俺はあまり興味がないけどな」
 彼らしい割り切った発言に、皆吹き出した。
「でも実践画法講座で優秀賞を得た者は結構みな出世しているらしいぜ。万が一学院賞でもとれば各州の宗主にお抱えになる確率も高いし、優秀賞だけでも結構な誉れだ」
 ただでさえ程度の高いものが集まってる美術工芸院での受賞は院生にとっては相当な栄誉であり、今後の就職にも影響した。そういったこともあり、作品展に向けて皆が並々ならぬ闘志を燃やしているのが会話の端々に現れていた。
 翌日から教場には写生の題材となる課題が置かれた。
 それは干からびた果実と花、透明なガラス壷、駱駝(らくだ)の頭骨と丸く削られた石がいくつか転がされていた。皆、口々に呟きながら近寄ったり離れたりして構図をとる。
「透明かあ、これをどう表すかが問題だな」皆首をひねる。
「ま、透明だと顔料が少なくてすむのはいいけどな」
 この発言は言わずと知れた瑠貝である。今回の展覧会には実践画法の課題で出す様子で、彼は一部に青の入った黒髪をかきあげて、悩む仲間をしり目に満足そうにうなずいている。
「円ではなく透明な球形であることを感じさせる立体感をどう表現するかだな」
 麗射も課題の周りをぐるぐると回って構図を取りながらうなった。
「おい、どけよ」
 そこに入ってきたのは玲斗とその一団だった。彼らはもっとも良いところに場所をとっていた学院生達に向こうに行けと顎で指図する。新入生たちは頬を引きつらせながらも荷物を引き上げた。そしてぽっかりと空いた場所に玲斗達一団が画材を広げ始める。
 思わず麗射が抗議に身を乗り出すが、仲間が肩を抑えて引き留めた。
「麗射、やっと標的にされなくなったのだから蒸し返すな」
 いさめられてしぶしぶ席について絵筆をとるが、麗射の絵は皆のように画面から静物が立体的に浮き出てこなかった。
 人などの何らかの感情が映せるものなら麗射の得意分野なのだが、こういう無機質なものは基礎的な技術が試されるため麗射の良さが発揮できない。悪戦苦闘の一日を終えるが、麗射の絵は皆に比べて明らかに稚拙だった。
 放課後。
 ガチャリと鍵の音がして、薄暗くなって誰もいなくなった実践画法の教室に突然ランプを掲げた警備の者と小柄な人影が入ってきた。その人影は警備の者が恭しく捧げ持ったランプを受け取ると、警備の者を入り口に残して教場をゆっくりと見て回る。立って描けるように木で組み上げられた画台には、各々が制作している作品が並べられている。作品製作期間中、人数が少なくなる夜間は守衛が教場に鍵をかけて警備するのが習慣であった。
 小柄な人影は、中央に置かれた課題と作品を一つ一つ覗き込みながら見比べる。
 ランプの炎の揺らめきとともに、肩まで滝のようにまっすぐに下りた銀の髪がまるで星をまとったかのようにキラキラと輝いた。
 人影は銀の公子、清那である。
 彼の足は麗射の作品の前で止まった。太くて勢いのある線、しかしそれは残念ながら対象物を的確に表現しているとは言えなかった。清那は苦笑して呟く。
「流石に迫力は一番だ。でも入学後数か月にわたる基礎講義を受けてない差は大きいな」
 しばらく考え込んでいたが、突然清那は何かを思いついたように大きく目を開けた。そしてまるで口笛を吹かんばかりの微笑みを浮かべながら、足早に教室を出て行った。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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