第15話 暗躍

文字数 3,739文字

「それはそうと、いい加減に腰を上げたらどうだ」
 閉め切られた牢獄の一室で、二つの人影が顔を突き合わせて密談している。
「まだまだ、期が熟してはおらん。お前たちの要求は難しすぎる。あの手練れを、偶像化されないように殺された痕跡を残さず始末しろなんて――」
「ふん、手練れといっても正式に武術を学んだわけではなし」
「剣術に関しては音に聞こえたあんたから見れば雑魚だろうがね。馬鹿にできない身体能力を持っているんだよ、油断をするとこちらが危ない。ま、自分の手を汚したくないのなら口出し無用。黙って待っていろ」
「何をぬかす。こちらはずいぶんと待たされてるんだ。刻限は近づいている。煉州からの使者が到着したらあいつも引き渡したいんだ、こちらの方は運びやすいように息の根を止めてな」
「急いては事を仕損じる。まあ、あれっぽっちの報酬なんだからそんなに急かすな」
「金は十分やったじゃないか」
「奴を引き渡した後にあんたが得る賞金の十分の一くらいの、な」
「強欲な奴だ」
「ほかの者には黙って賞金を独り占めしようとしているあんたに、その言葉をそっくりそのままお返しするよ」
 ひとしきりやりあった後に一つの影が戸を開けて出ていく。
 残された影がため息をついた。
「あいつ一人に頼ったのはわしの誤算だったか。まあいい、金はかかったが次の手は打ってある」



「氷炎、身体を拭こう」
 かなり元気になって体を起こせるようになった氷炎の身体を麗射が水に濡らした布で拭いていく。
「ここまでしてもらって申し訳ない」氷炎が申し訳なさげに頭を下げる。
「清潔にしておくことは大切じゃからな。それが終わったら傷の処置をしよう。まずこれをお飲みなさい」
 幻風が薬草を煎じた液を小さな碗に注ぐ。少し離れた氷炎のところに持っていこうとした時に、さっと走耳が立ち上がって代わりに碗を運んだ。何事も我関せずの立場をとることが多い走耳だが、氷炎に関しては麗射と同じくらいまめまめしく世話を焼いている。
清拭(せいしき)が終わるまで私がここで碗をお持ちしておきましょう。落ち着いてからお飲みください」
 獄吏が持ってきた粗末な碗は底が不安定で、これまた粗雑な造りの牢獄の床に置くとかなりの確率で中身がこぼれてしまう。
「ありがとう」
 礼を言った氷炎だが、ふと碗を捧げ持つ走耳の方を不思議そうに見つめた。
「良く思うのだが、あなたはきれいな煉州(れんしゅう)の敬語を話される。見かけは煉州の方ではなさそうだが、お住まいになっていたことが――」
 本人も気が付いていなかったのか、指摘をされた走耳の顔がこわばった。
「煉州に住んでいたことも、煉州とのかかわりもない」
 言葉からは先ほどの流暢な敬語が消え、オアシス界隈の訛りに戻っていた。
 三州はほぼ同じ言葉を使っているが、さすがに地域が違うと発音や言い回しが微妙に異なってくる。隊商に属する商人の中には行く場所によって訛りも使いこなす語学に堪能な輩もいるが、なかなかその土地独特の発音は再現が難しく、ほとんどの人間は出身地の訛りで押し通すし、通じさえすればこの砂漠を囲む地域に訛りを(いと)う風潮もなかった。
 走耳の完ぺきな発音は、氷炎の言葉につられてごく自然に口から出たものの様だった。彼は氷炎から空の碗を受け取るとそれを幻風に渡し、逃げるように隅っこの暗がりに同化した。
 そんな走耳を一筋の視線が追っていた。



「走耳はいつ頃出られるんだ。ここを」
 ナツメヤシの実がついた房をもって麗射が走耳の横に腰を下ろした。予定していたナツメヤシの房を刈りきった走耳は一足先に幻風を手伝い、房から実を取る作業を行っていた。
「さあな、奴ら何を考えているんだか」
 走耳は肩をすくめた。彼は仲間の盗んだ財宝のありかを自白していないという容疑で、刑の期間が過ぎてもここに拘束されている。
 しかし、麗射が知る限り走耳が尋問を受けているのを見たことが無い。獄吏は彼から自白を引き出すつもりがあるのか? 気配を消すのが得意な彼は獄吏達から存在を忘れ去られているのではないかと思うほどだ。
「まあ、この時期にいきなり釈放されてもなあ。旅できない時期ではないがもうしばらくここに居て冬くらいに出ていくのが一番いい。結構居心地もいいしな」
「ここを出たらどこに行くんだ」
 その問いには答えずに走耳は逆に麗射に尋ねた。
「そう言う麗射はいつ頃ここを出られるんだ」
「三か月だから、あとひと月くらいかなあ」
「というと、夏季前期に入ってくるな。砂漠を行くのは厳しくなってくるころじゃ」
 幻風が肩をすくめる。
「走耳たち軽犯罪者と違って俺は手ぶらのまま即オアシス追放ですからね、冬と違って手ぶらで砂漠を歩けば確実に天帝に召される時期ですよ」
 暗い顔で麗射がつぶやいた。「季節によって刑の重さが違ってくるなんて間違ってる」
「だが、まだ死ぬと決まったわけではない。多くはないが隊商もちらほら行き来しておる時期じゃ、オアシスから出ていく隊商に何とか頼み込んで故郷に帰るがいい」
「罪人を連れて行ってくれる隊商なんてありませんよ。百歩譲って万が一隊商に紛れ込めたとしても、どの面さげて故郷に帰るんですか。ああ、どこかに絵を描いて食っていける場所があればいいのに」
煉州(れんしゅう)のひと悶着が叡州(えいしゅう)に飛び火するかもしれないこのご時世だ、平和で絵を描ける場所なんて、そう遠くない将来どこにも無くなるぜ」
 口をはさんだのは、麗射に市場の壁画が無くなっていることを伝えた新入りの囚人だった。しばらく前から一緒に仕事をしている。
 その男は先ほどこっそり分け前をもらったのに、またナツメヤシの実をくれとばかりに手を出した。
「ばれるなよ」
 幻風はこっそりとナツメヤシの実を渡す。
「食い意地が張っておるな、お前さん。ええと――」
爬剛(はごう)だ」
 男はまだ名前を覚えていないのかという風にぎょろりとした目で幻風を見た。
「毎回聞いているぞ、大丈夫か爺さん」
「おお、悪い悪い。この年になると物忘れが激しくてな」
 白髪頭を掻きながら、幻風が呵々と笑う。
「そうじゃ、お前さんはどこの出だい」
「生まれたときから定住したことなんてないぜ、三つの州を転々としてさ」
 爬剛は茶色の髪を乱暴に掻き上げた。
「小さい頃は食い物もろくにない生活だった。ちょうど三州の小競り合いの多かった時期の生まれだからな、俺くらいの年齢は帰る場所が無い奴が多いんじゃないか」
 爬剛はちらりと走耳に視線を向ける。
「なあ、おめえもそうだろ」
「知らねえよ」
 いきなり振られた問いをそっけなく返す走耳。しかし爬剛は気にも留めずになれなれしく走耳の前に座った。
「おめえさんのその金色と茶色の中間のような色をした髪と茶色の瞳。これ、両親が州またぎだよな」
「州またぎ?」麗射が首をかしげる。
「親の出身州が違う事だ」
 いつになく厳しい顔で幻風が麗射の問いに答えた。
「それにしてもあやつ、姿を隠すのは得意だが動揺が顔に出やすいな――」
 幻風がつぶやく。確かに走耳の顔はいつもと明らかに違った。眉を吊り上げ、警戒するように口元を結んでいる。
「おめえ、煉州の血が入ってるよな」
「何が言いたい?」走耳は爬剛を睨みつけた。
「おお、怖い怖い。まあ怒るなよ」
 爬剛は肩をすくめて走耳の肩を数度叩くと、幻風の横に座る位置を変えた。



 それから十日後、走耳の様子がおかしい事に皆が気づき始めた。
 終日身体がだるそうに足を引きずっている。麗射達が心配して声をかけるも、走耳はいつも首を振って「大丈夫だ」と繰り返すばかり。
「おそらく人に頼るという考えがないのだろうな、他人に弱みを見せないのが一匹オオカミの処世術というもんだろう。それにしても頑固な――」
 困り果てた様子で幻風が肩をすくめる。栄養を取れと占いの報酬に獄吏からもらってきた食べ物を勧めるも、走耳はがんとして口にしなかった。
 そして、ある日。ついに走耳は登りかけたナツメヤシの木の真ん中から落下してしまった。
 慌てて駆け寄る幻風。
「大丈夫か」
 走耳は呼びかけにかすかにうなずく。
「足と手は動くか」
 返事の代わりに手足がわずかに動いた。
「こ、これは――」
 膝を着き、走耳の額に手を当てた幻風はあまりの熱さに言葉を失う。落下したはずみで上着がめくれたため、むき出しになった体幹には四肢には見られなかった赤い発疹が散らばっていた。
「なんだ、なんだ」
 囚人たちが騒ぎを聞きつけてやってくる。
「来るな、邪魔だ」
 幻風の言葉を受けて、麗射が人垣を払った。
 ぐったりと横たわる走耳の全身を調べていた幻風だが、わきの下に親指大の黒ずんだふくらみを見つけ、呻きを上げた。
「やられた、虫使いか」
 麗射が覗き込むと、ふくらみの部分にくっきりと刺し口が見える。
「勇儀たちに頼んでできるだけの薬を集めねばならん。一刻を争う、走耳はすでに天帝の元にむかっておるぞ」
 幻風が血相を変えて叫んだ。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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