第57話 手合わせ
文字数 2,254文字
このような座興は良くあることなのだろうか、煌々とかがり火が焚かれた広い庭をぐるりとすり鉢状に囲む観覧席に宴が移動した。召使たちが慣れた様子で食べ物飲み物を手早く運んでいく。その中に煌露 も混じっており、心配そうに牙蘭の方をチラチラと見ていた。
二人に槍が渡された、長さはお互いの身長より長く、刃は研ぎ澄まされてかがり火に赤くきらめいている。鋭い突きを食らうと致命傷となるのは一目瞭然であった。
槍を手にした牙蘭はおもむろに槍を半回転すると、刃の部分を自分の背後に向けた。
「お主、馬鹿にしているのか」
「我が武術は公子を守るための防御の術、人を殺めるものではございませんゆえ」
見くびられたとばかり顔を紅潮させた騎剛は両手で槍を握りしめると、身体の前で目の高さに掲げた。刃の先端はまっすぐに牙蘭の顔に向けられている。
「われら煉州武人の闘いは常に命懸けだ。天帝に召されても、悪く思うな」
騎剛が口元に笑みを浮かべた。
「それは元より承知」
牙蘭の槍は石突を前にしたまま、地面に向けて構えられた。
「勝負」
幾多の凄惨な光景が繰り広げられてきたのか、召使の女性たちは花のように開いた袖で顔を覆い隠した。
しかし、煌露だけは唇を結んでじっと二人を見据えている。
しばらく両名ともお互いを見据えていたが、いきなり騎剛が槍を突き出した。
牙蘭はそれを顔面すれすれで跳ねあげ、そこから次々と繰り出される騎剛の突きを下がりながらも的確にいなす。槍同士が当たる高い響きが次第に早くなっていき、ついには目にもとまらぬ打ち合いとなった。観客は声を出すのも忘れて固唾を飲んで見守っている。
ふと、槍と槍が交差して止まった。動いているものは上下する二人の肩のみ。だが、一瞬たりとも気の抜けない、火花が散るような殺気が広場の隅々にまで伝わっていた。
観客もしん、と静まり返っている。が、次第にざわめきが大きくなり、ついに広場は名試合を愛でるかのように大きな歓声に包まれた。
しばらくにらみ合っていた両者だが、騎剛の槍が牙蘭の槍を跳ね上げ、牙蘭の顔めがけて突きかかった。
ほぼ同時、一回転して下から振り上げられた牙蘭の槍は騎剛の槍を一旦止め、そのまま払い流した。
観覧席に詰めかけた人々から安堵とも失望ともいえぬため息が漏れる。
「馬鹿か。うまく槍を半回転させて刃が相手に向いたのだから、そのまま相手の顔を突けばあの男勝っていたのに」
顔をしかめて凱斗がつぶやいた。
よろめいた騎剛だが、すぐさま体制を立て直し今度は腰のあたりに槍を構える。
しかし、牙蘭は槍を地上に垂直に突き立てるようにして、相手に背を向けた。
「おのれ、愚弄するか」
騎剛はまなじりを赤く染め、牙蘭の背中めがけて槍を突き出した。その瞬間、牙蘭はくるりと体を翻 す。騎剛の槍が突きかかる場所をまるで知っていたかのように、身体をずらすと突き出された相手の槍を自らの身体と槍で挟み、そのまま空いた手で騎剛の槍をむずと掴んで引いた。騎剛の身体がバランスを崩して大きく揺れた瞬間、今度は相手の槍を突き出してみぞおち深くに石突を差し込んだ。
おのれの槍が食い込み、騎剛の身体がくの字に折れ曲がって吹っ飛ぶ。
牙蘭の手には2本の槍が握られていた。
「そこまで」
凱斗の宣言とともに、大の字で伸びている騎剛が運び出された。
駆け寄ってきた召使に槍を渡した牙蘭は、凱斗に一礼する。凱斗は手を叩いて自分の隣に牙蘭を迎え入れた。
「見事であった」
上機嫌で凱斗は牙蘭の杯に酒を注ぐ。
「あさましい策略の上の勝利でございます」
牙蘭は大きく首を振った。
「騎剛殿の剣筋は鋭く、集中を切る必要がありました。わざと背中を向けることで騎剛殿が気持ちを荒げ、精緻な打突を狂わせるのが狙いでした」
「しかし、背後の太刀筋が見えるとは、お主は背中に目が付いているのか」
「いえ、賊が襲撃をかけるのは暗闇の中がほとんど。いかなる気配も逃さず、相手の動きを察知する訓練をしていれば誰にもできることでございます」
牙蘭の杯が瞬く間に空になる。
「そういえば、お主は勝負の前に大杯で酒をあおっていたな」
「酒好きの卑しさ、お恥ずかしい限りです」
凱斗の指摘に、牙蘭は深々と頭をさげた。
「嘘を言え、宴席で酒を飲んでいる騎剛と同じ状態になって戦うため、飲んだのであろう。どこまでも公平な奴だ、其処元 ほどの武人は昨今ではめずらしくなった」
凱斗は嬉しそうに牙蘭を見つめる。
「今夜の美技に褒美をとらす、何か申してみよ」
一瞬、牙蘭の視線が群衆の方に泳いだ。
ふと麗射が視線の先に目をやると、煌露が頬を染めてじっと牙蘭の方を見つめている。何か言うように口を開きかけたが、しかしすぐさま顔をこわばらせると、牙蘭は大きく顔を左右に振った。
「我が望みは公子の快癒のみです。それ以外何も願うことはありません」
「無欲な奴じゃ、それが薫り高き文化を誇る叡州 武人の矜持という訳だな」
凱斗は大きく笑うと、家臣に合図をして様々な種類の玉を積んだ盆を持ってこさせて、恐縮する牙蘭の懐にねじ込んだ。
「これが無頼の地、煉州の習わしだ。決して返してはいけないことになっている。宝玉ぐらいと馬鹿にせずに受け取り給え」
「滅相もございません、身に余る栄誉でございます」
牙蘭は懐を押さえながら片膝をついて、頭を膝に擦り付けんばかりにしてお辞儀をした。
「息子の命の恩人麗射とともに、心行くまで当館に逗留するがいい」
すっかり機嫌の直った凱斗はそれからも二人を横に置いて、杯を重ねた。
二人に槍が渡された、長さはお互いの身長より長く、刃は研ぎ澄まされてかがり火に赤くきらめいている。鋭い突きを食らうと致命傷となるのは一目瞭然であった。
槍を手にした牙蘭はおもむろに槍を半回転すると、刃の部分を自分の背後に向けた。
「お主、馬鹿にしているのか」
「我が武術は公子を守るための防御の術、人を殺めるものではございませんゆえ」
見くびられたとばかり顔を紅潮させた騎剛は両手で槍を握りしめると、身体の前で目の高さに掲げた。刃の先端はまっすぐに牙蘭の顔に向けられている。
「われら煉州武人の闘いは常に命懸けだ。天帝に召されても、悪く思うな」
騎剛が口元に笑みを浮かべた。
「それは元より承知」
牙蘭の槍は石突を前にしたまま、地面に向けて構えられた。
「勝負」
幾多の凄惨な光景が繰り広げられてきたのか、召使の女性たちは花のように開いた袖で顔を覆い隠した。
しかし、煌露だけは唇を結んでじっと二人を見据えている。
しばらく両名ともお互いを見据えていたが、いきなり騎剛が槍を突き出した。
牙蘭はそれを顔面すれすれで跳ねあげ、そこから次々と繰り出される騎剛の突きを下がりながらも的確にいなす。槍同士が当たる高い響きが次第に早くなっていき、ついには目にもとまらぬ打ち合いとなった。観客は声を出すのも忘れて固唾を飲んで見守っている。
ふと、槍と槍が交差して止まった。動いているものは上下する二人の肩のみ。だが、一瞬たりとも気の抜けない、火花が散るような殺気が広場の隅々にまで伝わっていた。
観客もしん、と静まり返っている。が、次第にざわめきが大きくなり、ついに広場は名試合を愛でるかのように大きな歓声に包まれた。
しばらくにらみ合っていた両者だが、騎剛の槍が牙蘭の槍を跳ね上げ、牙蘭の顔めがけて突きかかった。
ほぼ同時、一回転して下から振り上げられた牙蘭の槍は騎剛の槍を一旦止め、そのまま払い流した。
観覧席に詰めかけた人々から安堵とも失望ともいえぬため息が漏れる。
「馬鹿か。うまく槍を半回転させて刃が相手に向いたのだから、そのまま相手の顔を突けばあの男勝っていたのに」
顔をしかめて凱斗がつぶやいた。
よろめいた騎剛だが、すぐさま体制を立て直し今度は腰のあたりに槍を構える。
しかし、牙蘭は槍を地上に垂直に突き立てるようにして、相手に背を向けた。
「おのれ、愚弄するか」
騎剛はまなじりを赤く染め、牙蘭の背中めがけて槍を突き出した。その瞬間、牙蘭はくるりと体を
おのれの槍が食い込み、騎剛の身体がくの字に折れ曲がって吹っ飛ぶ。
牙蘭の手には2本の槍が握られていた。
「そこまで」
凱斗の宣言とともに、大の字で伸びている騎剛が運び出された。
駆け寄ってきた召使に槍を渡した牙蘭は、凱斗に一礼する。凱斗は手を叩いて自分の隣に牙蘭を迎え入れた。
「見事であった」
上機嫌で凱斗は牙蘭の杯に酒を注ぐ。
「あさましい策略の上の勝利でございます」
牙蘭は大きく首を振った。
「騎剛殿の剣筋は鋭く、集中を切る必要がありました。わざと背中を向けることで騎剛殿が気持ちを荒げ、精緻な打突を狂わせるのが狙いでした」
「しかし、背後の太刀筋が見えるとは、お主は背中に目が付いているのか」
「いえ、賊が襲撃をかけるのは暗闇の中がほとんど。いかなる気配も逃さず、相手の動きを察知する訓練をしていれば誰にもできることでございます」
牙蘭の杯が瞬く間に空になる。
「そういえば、お主は勝負の前に大杯で酒をあおっていたな」
「酒好きの卑しさ、お恥ずかしい限りです」
凱斗の指摘に、牙蘭は深々と頭をさげた。
「嘘を言え、宴席で酒を飲んでいる騎剛と同じ状態になって戦うため、飲んだのであろう。どこまでも公平な奴だ、
凱斗は嬉しそうに牙蘭を見つめる。
「今夜の美技に褒美をとらす、何か申してみよ」
一瞬、牙蘭の視線が群衆の方に泳いだ。
ふと麗射が視線の先に目をやると、煌露が頬を染めてじっと牙蘭の方を見つめている。何か言うように口を開きかけたが、しかしすぐさま顔をこわばらせると、牙蘭は大きく顔を左右に振った。
「我が望みは公子の快癒のみです。それ以外何も願うことはありません」
「無欲な奴じゃ、それが薫り高き文化を誇る
凱斗は大きく笑うと、家臣に合図をして様々な種類の玉を積んだ盆を持ってこさせて、恐縮する牙蘭の懐にねじ込んだ。
「これが無頼の地、煉州の習わしだ。決して返してはいけないことになっている。宝玉ぐらいと馬鹿にせずに受け取り給え」
「滅相もございません、身に余る栄誉でございます」
牙蘭は懐を押さえながら片膝をついて、頭を膝に擦り付けんばかりにしてお辞儀をした。
「息子の命の恩人麗射とともに、心行くまで当館に逗留するがいい」
すっかり機嫌の直った凱斗はそれからも二人を横に置いて、杯を重ねた。