第47話 出立

文字数 3,315文字

 翌朝、まだ夜が明けきらぬうちに彼らは集合した。銀の公子とその従者が混ざっていることに麗射以外の者は絶句していたが、出資者の意向に逆らう訳にはいかず、彼らはとりあえず清那も含めて玲斗達の向かったであろう方向に向かう事とした。
 レドウィンが連れてきた駱駝は予備も含めて6頭。大きなこぶを一つ背中に携えた駱駝で、すでに騎乗の支度は整えられていた。美蓮、レドウィンの駱駝の側面には小型の船ともう一回り大きな船が括りつけられている。羽のように軽い材木だと美蓮が鼻高々で説明していただけあって彼の調達した木材で作った船はその大きさから考えると驚くほど軽かった。清那の駱駝には飲み水と縄、小さな弓が積まれている。清那に仕える侍従の牙蘭(がらん)の駱駝には食料が積まれ、その横にはこの大きな男のものだろうか、太い剣と大人の背丈ぐらいもある強弓が載っていた。
「公子、大丈夫ですか。乗れますか?」
 高貴なお育ちの少年がはたして駱駝に乗れるのか。心配そうに麗射は清那にかけ寄った。
 駱駝は立ち上がる時にひどく前後に揺れる、慣れないものだと転げ落ちてしまうことが多いため、麗射は公子の体を支えようと手を差し出した。
 無言で麗射に首を振ると、出された手に触れようともせず清那は慣れた様子で座った駱駝の鞍にまたがった。そして立ち上がるように軽く号令をかける。駱駝は首を突き出すようにいきなり前に向かい、尻を天に突きだすように大きくふり上げて急角度の前傾姿勢になった。かと思うと、前足がいきなり伸びて今度は頭側が一気に上がる。その大きな揺れを体を逆に動かすことでいなしながら、清那は平然と駱駝を立ち上がらせた。そして、いつもより高い視点から満足げに砂漠を見回すと、慣らすようにゆっくりと駱駝を駆けさせ始めた。徐々に速度を上げ、円を描いたり、急停止したり。駱駝を自在に操る清那の姿を見て麗射はあっけにとられたように口をぽかんと開けている。
 チラリと麗射を振り返った少年の瞳に、かすかに得意げな笑みが浮かんだ。
「そんじょそこらの砂漠商人よりも上手だ」
 あきれたようにレドウィンがつぶやいた。隊商上がりの彼は、駱駝を立たせたまま下げた首に足をかけると、駱駝が首を起こすのを利用して素早く鞍上の人となった。
 公子が足手まといになるのではないかと内心恐れていた麗射であったが、むしろ問題は彼自身だった。号令をかけても駱駝はどこ吹く風の知らん顔。駱駝を座らせることさえもできず、見かねた清那が騎乗したまま駱駝に掛け声をかける。
 駱駝は清那の掛け声にはすぐさま反応し、おとなしく足を折った。麗射は何とかまたがったはいいが、駱駝が後ろ足から立ち上がったとたん、無様に転げ落ちて頭のてっぺんから砂まみれになってしまった。周囲の者も砂で全身青光りしながら悪戦苦闘している麗射に気が付き、徐々に彼の周りに集まってきた。人々が駱駝の首にかじりつく麗射の身体を支えながらなんとか立ち上がらせる。
「駱駝は初めてですか?」
 麗射の横に軽やかに駱駝を走らせて清那がやってきた。鞍にしがみつきながら麗射は力なく首を振る。
「どうしても駱駝に馬鹿にされてしまうんです。ここに来るときも挙句の果てに駱駝に逃げられて砂漠を放浪する羽目に――ああっ」
 言葉が終わらぬうちに、麗射は再び転げ落ちた。
 こらえていた笑いが押さえきれなくなったのか清那は吹き出した。銀の髪を小刻みに揺らして涙を流して笑っている。普段はすましている公子の大笑いを皆はあっけにとられて見ていたが、すぐ伝染し砂漠は朗らかな笑いに包まれた。
 レドウィンの采配で一番気性のおとなしい駱駝に変えてもらった麗射はどうにか駱駝を歩かせることができるようになった。危険な旅の始まりという重い空気に包まれていた出立であったが、麗射のおかげ(?)で皆の心もほぐれ彼らは意気揚々と玲斗の後を追い始めた。
 午前中は距離を進め、日が天頂に近づくころ一行は休憩を取ることにした。
 レドウィンが乾燥した駱駝の糞で沸かした湯でミントティーを入れる。さすがに生のミントはしなびてしまうので、乾燥したミントを入れた茶を砂糖と共にじっくりと煮だす。
 美蓮が、なけなしの金をはたいて買ってきたこだわりの焼き菓子を皆に配った。しかし家屋の中とは違って口の中に細かい砂が否応なしに入ってくるため、焼き菓子を噛むたびににじゃりじゃりと音がして美味さを半減させる。美術工芸院では忘れていたこの不快に、麗射は再び厳しい砂漠にいるのだと思いを新たにした。
 その日は盛夏にしては過ごしやすい日差しだった。どことなく陰った陽を見て、レドウィンがつぶやいた。
「薄く雲が出ている。これは夕陽の言う通り、本当に来るのかもしれないぞ」
 その日は早めに砂漠にテントを立てて体を休めた。ジェズムからもらった地形図に従って、テントは小高い砂丘の上にはる。
「今日の夜中から出立する。幸い月も太ってきている、なんとか夜間の道行を照らしてくれるだろう。ここからは急ぐぞ」
 さすが隊商の出自である、簡単な星見のできるレドウィンが行程の調節をしてくれていた。焚火に乾いた駱駝の糞を放り込みながら湯を沸かす。乾燥した肉と塩、瑠貝にもらった薫り高い野草を放り込んで彼は即席のスープを作った。そのスープと堅パンで皆は簡素な食事を始めた。
 一足先に夕食を終えたレドヴィンは薄いナツメヤシ酒を飲みながら清那に話しかけた。
「公子の騎乗術には舌を巻きました。あれは北辺の技とお見受けしましたが」
 清那はかすかに微笑む。
「ええ。私の母は北辺の民、瑛攻(えいこう)族の王の娘なのです。私は幼い頃から北辺で彼らの馬と駱駝の騎乗術を習いました」
「なるほど、あれは名高い瑛攻族の騎乗術だったわけですか」
 レドウィンはこれで納得がいったというように深くうなずいた。
「という事は公子の豪奢な銀の髪は、お母上譲りという訳ですか」
 波州は黒から濃い茶色の髪、煉州は金髪と、州によって髪の色がわりと均一なのに比べて、辺境に様々な民族がおり古来から人々の交流が盛んな叡州人の髪や目の色は千差万別、しかもその組み合わせは無数であった。しかし様々な外観をもつ叡州人のなかでも、まじりっけのない銀髪は珍しかった。
「いつ見ても美しい髪だなと見とれていたのです。きっと美に造詣の深い叡州公もこの希代の銀髪を愛でられたに違いない。聡明で美しい公子が一人でこんな辺境においでになることが決まった時にはきっとお嘆きになったでしょうね」
 ナツメヤシ酒でレドウィンはいつになく饒舌だ。
「いえ――」清那が口ごもった。
「叡州公はお母上を大そう御寵愛だともっぱらの噂ですよ、お母様もお寂しい――」
「母はなくなりました」消え入りそうな声で清那が遮る。
「うまいな、このスープ。あの守銭奴がタダでくれた香草だから期待してなかったが、けっこういけるなあ」
 麗射が大きな音を立ててスープを口にかきこみながら話に割って入った。
「よく瑠貝がこんないいものをくれたなあ」
「あいつには珍しく、いくらでも気にしないで持っていけと言っていた」
 美蓮が肩をすくめる。「上物だが、多分虫食いのある訳あり品だ」
 皆納得したようにうなずく。
「そういえば、奴は最近新しい金儲けにも手を出しているらしいぞ、それがまた妙な商売で、なんでも通常から少額の金を受け取っていて、もし火事や不慮の事故があったときにその金を増やして返すらしい」
「それは、商売になるのか?」美蓮の言葉に、眼の縁を赤く染めたレドウィンが身を乗り出した。流石に元隊商の出身である、瑠貝ほどではなくても金儲けの話には興味があるようだ。
「集まった金を増えそうなところに投資しているらしい。金の匂いには敏感な奴だが一歩間違えば大損するんじゃないか」
 美蓮が心配そうに首をかしげる。
「まあ、路頭に迷ってもそれをまた好機にして金儲けにつなげる図太い奴だから心配は無用だがな」
 麗射の言葉に皆が大笑いする。話題は瑠貝の金儲けの話に変わっていった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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