第64話 斬常

文字数 3,025文字

「ここは――」
 清那は冷たい岩の床の上に後ろ手に縛られて転がされている自分に気が付いた。馬上で暴れた時に鳩尾(みぞおち)に打突を受けたのまでは覚えているが、その後の意識が無い。窮屈な姿勢で運搬されたせいか、全身に痛みが走って清那は顔を歪ませた。
 一方を鉄格子で封じられた薄暗い洞穴にどこからか一筋の光が差し込んでくる。光に映し出された岩の壁は幾筋ものキラキラとした縞が走っており、この世のものとは思えないくらいの美しさである。この状況にもかからわらず、清那は思わずめくるめく光と鉱石の競演に目を奪われていた。
 この地層から考えると久光山山系だな。となると、やはり野盗のやつらは反乱軍だったということか。清那はぼんやりとした頭から、記憶を手繰り寄せ自分の置かれた状況を分析する。しかし、どう考えても楽観できる因子はなかった。良いことと言えば、唯一彼らが麗射のことに気が付かず去ってくれたことぐらいである。
 この状況だ、それで満足しなくては。清那の顔に薄い笑みが浮かぶ。しかし、その後すぐ彼の顔から笑みが消えた。
 いや、追って来ないわけがない。単純な情熱だけで動いている、あの男が。
 きっととるものもとりあえず、徒手空拳のまま、無計画でこちらに向かっているに違いない。まるで、跳躍して砂漠トカゲの口に飛び込むバッタのように。
 清那は、ああ、と深いため息をついた。
 こんな事態になったのは、危険があると知りながらも麗射を連れてきた自分のせいだ。清那は自分を責める。帰ろうと言われたのに、子供っぽく拒否して先に進んでしまった。
 なぜ、そんなことをしてしまったのだろう。
 自己嫌悪に浸りながら、清那は自問自答した。
 この数日、自分はまるで熱に浮かされたようだった。いや、その状態は麗射と砂漠の旅に出かけた時からすでに始まっていたかもしれない。麗射を見ているだけで、色を失っていた今までの自分の世界に次々に色がついていき、すべてがくっきりと鮮やかに変貌していくように思えた。麗射の熱さがまるで冷えた自分の世界も温めてくれるように。
 清那の脳裏に、麗射との記憶が去来する。
 焼刻の英雄、いつも教場で仲間に囲まれている人気者、明るい笑い声、四方八方に跳ねるつややかな黒髪、そして、作為のない迫力のある創作物。何から何まで妬ましいほどうらやましかった。
 憧れすぎて素直になれない自分を包み込むような優しさで、殻を剥ぎ、素の自分にしてくれた。まるで、真秀のように――。
 真秀、その名を思い出して清那の顔がこわばった。
 その時、鉄格子の向こうからランプの灯が近づいてきた。
 ランプを持つ男、それは馬に乗せて清那をここに運んできた男であった。他の仲間の目を盗むようにして、手綱を持つとは逆の手を清那の身体に這わせながら荒い息をしていたのを思い出して、清那は身を固くした。
 誰もついてこないことを確認すると、男は錠前を外し、足音を忍ばせて獄に忍び入ってきた。声を出そうにも、口の中に強くかまされた猿ぐつわが邪魔をする。なんとか後ずさりしようと体を動かすが、縛り上げられた体は自由に動かない。
 ランプが地面に置かれ、男が清那の片足首を掴んで引き寄せた。
 その目は血走り、半ば正気を失っていた。
「俺は、お前みたいなきれいな奴を見たことが無い、ああ、女も含めてだ」
 助けも呼べず、清那の身体が小刻みに震える。
「ここに来るまで、まるで拷問だったぜ。お前の甘い香りを嗅ぎながら、手出しできないってのはよ」
 男は清那を抱き起こすと、さらさらとした銀の髪を乱暴にかきあげ、あらわになった首筋を撫で回した。
「たまらねえ、まるで陶器のような滑らかさだ」
 うめくように呟きながら、男はそのまま清那を抱きしめる。暴れる清那だが、男の腕の力が強くなり万力で抑えられたかのように身じろぎもできなくなった。
「こんな美少年、斬常様が放っておかないだろう。献上されてしまえば、もう二度と俺の手には入らねえ」
 男の顔が迫り、清那の視界をふさいだ。
 清那は思わず息を止める。
 その時。
「何をしている」
 声と共に男が引きはがされ、何者かに殴り倒される。男は白目をむいて、仰向けに転がった。
 清那の視界が開け、その前には、片目を眼帯で覆った短い金色の髪の青年が立っていた。
「ご無礼した、公子殿。斬常様がお呼びです」
 背の高い男は清那を軽々と抱き上げて獄を後にした。


 清那が連れていかれたのは、虹色の岩肌を研磨して作られた豪奢な広間だった。壁面には上下に多数の窓が作られ、そこから差し込む光は対面の鏡に反射し、研磨された美しい壁面をキラキラと輝かせた。床は磨き立てられて光沢があり、兵士たちが歩くとガラスを布で磨くような音を立てた。
 部屋の一角には美しい薄茶色の髪の女性の絵が掲げられている。卵油画にも増した光沢と厚く塗り重ねられた深い色合いは、最近学院でも取り入れられるようになった油で解いた顔料を塗る油絵のようだった。広間のあちらこちらに大小さまざま、色とりどりの玉が並べられて、主の豪奢(ごうしゃ)な趣味を伺わせた。
「玉座にお座りなのが、斬常(ざんじょう)様だ」
 正面には、左右を屈強な男たちに守られて長身の男が大きな椅子に座っていた。筋肉に覆われた無駄のない四肢、高い窓からの光に照らし出された金色の髪がつややかにきらめいている。男は長い脚を組み、背中を玉座に預けて縛られたまま連れてこられた少年を底知れぬ湖水のような青い目でじっと見据えた。
「よく来られた公子、まさか噂に聞く叡州(えいしゅう)の至宝とこんなところで会えるとは思わなかったぞ」
 男は大きく手を広げて満面の笑みを浮かべるが、鋭い目に温かさは無い。
「手荒なことをして申し訳なかった。霧亜(きりあ)、縄を切れ」
 霧亜と呼ばれた眼帯をした男は(うやうや)しく頭を垂れると、清那の猿ぐつわを外し、清那を(いまし)めから自由にした。
「なぜ、私の事を知っている?」
 赤く腫れあがった手首をさすりながら清那は斬常を見上げる。
「銀の公子として有名な叡州の第三公子が、正夫人から疎まれて美術工芸学院に追いやられたという噂はつとに有名だ。おお、そうそう第二公子との醜聞もな」
 斬常の言葉を聞くや否や、清那の目が吊り上がってまなじりが赤く染まる。
「根も葉もない噂だ。私と兄上とはそんな――」
「自分にその気がなくても、相手からすればそうではあるまい。いや、聞きしに勝る美しさだ、命を捨てても手を出そうという者がいるのも無理はない」
 斬常は笑みを浮かべて高御座(たかみくら)から降りてきた。そして清那の背中に手をあてて自ら広間の隅にあるテーブルにいざない、豪華な椅子に座らせた。
「我が軍にようこそ。公子には美術の才以外に、祖父君(おじぎみ)から軍略の才も受け継がれたともっぱらの噂だ。是非我々に手を貸して、その才を天下統一に役立ててほしい」
「断る。それに祖父は名の知れた軍学者だったが、私は足元にも及ばない」
 清那の正面に座った斬常は値踏みするように清那を見つめながら、傍らの兵士に何かを命じた。
「それではまずはお手並み拝見と行こうか」
 兵士がうやうやしく掲げ持ってきたのは、多数のマス目が入った四角い盤と、蓋のある二つの円筒だった。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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