第13話 氷炎

文字数 4,864文字

 赤茄子の収穫が終わりを告げるころ、同時に育てていた赤瓜が収穫を迎え、赤茄子よりも強烈な甘みは、囚人を歓喜させて農園への意欲をさらに倍増させた。
 獄吏たちはその野菜を売りに出し、収益の一部で牢の水回りなどを修復してくれた。
 一方、寂しい別れもあった。耕佳(こうか)が出所したのである。彼は刑期満了が近づくと、囚人たちによく言えば懇切丁寧、悪く言えば執拗な農業指導を行って故郷に去って行った。
 牢の中は戸惑いもあったが、畑には新しい作物も植えられ、寂しさに浸っている余裕はなかった。麗射達は懸命に農作業に精を出した。
 そんなある日、獄に新入りが入ってきた。
 獄吏に連れられてきたのは金髪で青い目のやせこけた男で、捕まった後に手ひどい目にあったのか、ボロボロに破れた血だらけの服の隙間から生々しい鞭の痕がのぞいていた。
 両脇を抱えられながら獄に入ってきた男は、獄吏が添えた手を離したとたんにどさりと膝から床に崩れ落ちる。
「だ、大丈夫ですか」慌てて獄吏が再び体を支えた。男は弱弱しくうなずいて、衰弱した外見とは裏腹に強い光を放つ真っ青な目で獄吏たちに微笑んだ。獄吏達は男をそっと獄の床に横たえる。
「おい、俺たちの時とはえらく扱いが違うじゃねえかよ」
 囚人の一人が声を上げる。
「俺なんか尻を蹴り上げられてここに放り込まれたぞ」
「このぼろ雑巾みたいな奴だけ別扱いかよ、ずるいじゃないか」
 獄の微妙な雰囲気を感じ取ったのか、獄吏が囚人に向き直ると強い口調で言った。
「この方に乱暴を働いたりすれば、許さないぞ」
 それは苗をくれたあの若い金髪の獄吏だった。
「って、乱暴を働いたのはお前らじゃないのかよ」雷蛇が不満げに声を上げた。「こいつはずいぶんと痛めつけられているぜ」
 雷蛇の言葉に言い返せず、ぐっと唇をかみしめる獄吏達。よく見ると彼らのほとんどが濃淡はあるものの金色の髪の毛をしており、その中には畑づくりの話を最初にした初老の獄吏も混じっていた。
「ま、待てよ。この人、煉州(れんしゅう)氷炎(ひえん)様じゃないか」囚人の一人が目を丸くした。
「氷炎だって?」その言葉を聞いて囚人どもがにじり寄ってくる。
 奥の方にいた囚人まで集まってきたため、横たわる青年の周りは黒山の人だかりとなった。
「氷炎って誰だ」麗射は周りを見回した。波州(はしゅう)は砂漠と山で、煉州(れんしゅう)叡州(えいしゅう)から隔てられているため、中央の情報が伝わりにくい。
 走耳が静かな声で答えた。
「煉州の活動家だ。煉州は今、王侯と貴族らよる政治がおこなわれている。彼らは特権を駆使して民衆に重税を課していて、たまりかねた人々が政権に反旗を翻そうとしているんだ。氷炎はその運動を導き、支援している中心的人物だ」
 氷炎がなにか呻いて寝返りを打った。鞭のためボロボロに切られた衣服から覗いた背中から膿が垂れる。
「熱が高い」額を触った幻風がつぶやいた。「これは危険な状態だ。農園から干した薬草を持って来れればなんとか治療のしようもあるのだが――」
「幻風、医術の心得があるのか」
 獄吏の一人が目を輝かせた。
「まあな。三州一の名医といっても過言ではないだろう」
 自らの才能に盤石の信頼を置いている幻風が、得意げに鼻をうごめかした。
「薬草を持ってくるよ。どれを採ってくればいいんだ」
 若い獄吏が尋ねる。
「作業小屋の軒先に白い産毛のある葉っぱを摘み取ったものが干してある、それを一抱え運んできてくれ。あと、畝の一番東に葉っぱの先がギザギザした葉っぱが植えてある、それもだ。細かく()いた塩と湧き水。湧水は一度沸騰させて、冷まして持ってこい。それと清潔な小さい桶をいくつか」
 指示を聞くと、数人の獄吏が飛び出していった。
 ほどなくして2種類の草がざる一杯に運び込まれた。幻風は草をあらためると、再び獄吏に命じた。
「二つともよく洗って葉っぱをそれぞれに煎じて持ってこい」
「わ、わかった」
 いつの間にか獄吏と囚人の立場が逆転している。しかし、金髪の警吏達はそんなことは気にも留めていない様子で、すっとんで行った。
「これは厄介な仕事になりそうじゃな」
 そういうと幻風は小桶一杯の水の中に指先でつまんだぐらいの塩を溶かす。持ってこさせた小さじで味を見ると、その塩水をおもむろに一滴目に落とした。
「まだ濃すぎたが」顔をしかめて老人は別の桶に入っている湯冷ましを加えた。薄まった塩水をふたたび目に垂らすと、ようやく満足そうな笑みを浮かべて彼はつぶやいた。
「ようし、この濃さなら傷口にしみない」
 そういいながら幻風は血と泥で汚れた傷をてきぱきと塩水で洗っていく。
 二種類の草の汁が届くと、房内は野原を思わせるさわやかな匂いで満たされた。
「これは膿に対する解毒薬じゃ」
 幻風はぐったりしている青年を起こすと片一方の草汁を飲ませた。苦味からか青年は顔をしかめたが、促されるとコップ一杯の汁を飲み干した。
 雷蛇が場を開けるように采配したせいで処置に必要な空間は保たれているが、物見高い囚人たちはずらりと彼らを取り囲んでじっと成り行きを見つめていた。
「氷炎様と言えば、先日の小反乱を率いて敗北した後、残党とともに久光山(きゅうこうざん)に潜伏していると聞いていたが、なんでまたここに」
 最近牢に入ってきた囚人がつぶやいた。
「波州に潜伏している母が危篤なのだ」
 苦しい息の下で氷炎が返答した。
「生きているうちにせめて一目でも会いたいと久光山から出て、独りで砂漠を横断して波州に至る予定だったが、途中で叡州(えいしゅう)の役人に捕まってしまった」
 悔しそうに氷炎は紫色のくちびるをかみしめた。
「久光山から出たのは無謀でしたね」走耳が珍しく敬語で話しかける。「あの天然の要害が、討伐軍からあなたがた反乱軍を守っていたのに、護衛の一人もつけずに来るとはあまりにも豪胆すぎます」
「私事のため、誰にも危険を冒してほしくなかった」
 苦しい息の下で答えると、氷炎は無念そうに眼を閉じた。
「なぜ煉州で追われているのに、叡州が捕まえるんだ?」
 諸国の情勢に疎い麗射が不思議そうな顔で走耳に訪ねる。
「煉州の王のところに叡州公の妹が嫁に行っている、言うなれば彼らは親戚どうし、煉州の王室にあだをなす罪人は、叡州にとっても敵という事だ。その2国とは政治的に距離を置いている波州にまで行きつければ、波州にとってもかけ引きの道具にもなるし、保護してもらえたのだろうが」
「波州か」久しぶりの故郷の地名に、麗射は天を仰ぐ。
「治療はうまくいっているか」
 鉄格子の外から、獄吏達が心配そうに覗き込んでいる。
「チラチラ格子の外から見てないで入ってくりゃいいじゃないかよ。こちとら今の生活に十分満足してんだ。お前らを人質にとって反乱を起こしたりしないぜ」
 雷蛇が獄の中から怒鳴る。
「囚人が牢獄に満足してるってのも、刑罰としてどうかと思うがね」走耳が房の片隅で肩をすくめた。
 獄吏達は頭を寄せ合って協議していたが、しばらくしてガチャリと鍵が開き、1人を獄の外に残したままぞろぞろと数人の獄吏達が入ってきた。
「氷炎様」
 彼らはひざまずくと、氷炎に向かって首を垂れた。
「あなたは我々の心のよりどころです。どうか生き延びて、圧政に苦しむ民をお救いください」
 青い顔がゆっくりと獄吏達の方に向き、弱弱しく微笑んだ。
「すまない、気持ちばかり先に行って。どうも私は戦が不得手のようだ」
 負けてしまった戦いのことを言っているのであろう。氷炎は詫びるように目を閉じた。
「いいえ、あなたは苦しむ我々煉州の民に希望を与えてくださっている。どうか、どうか、生き延びてください」
 氷炎の痩せこけた手を握りしめて獄吏が涙ぐみながら答えた。
「なら、その鍵でその男をさっさとここから出せばいいじゃないかよ」
 簡単なことじゃないか、とばかりに雷蛇が首をかしげる。
「そ、それは――」
 黙ってしまった獄吏達に氷炎が話しかける。
「あなたたちにも生活や家庭や、守るべき人がいるだろう。私はあなたたちも含め皆に幸せになって欲しいのだ。迷惑をかけるつもりはない。さあ、こんなところを獄長に見られてはいけない、はやくお行きなさい」
 気力もここまでだったのだろう、氷炎は目を閉じた。
「傷が腐りかけている。汚れた鞭で打擲(ちょうちゃく)されたんだろう。こりゃ思ったよりひどい」
 幻風は腐臭を帯びた背中の傷に目を落とすとつぶやいた。
「脈が弱い。このままでは悪くなる一方だ。早々にこの毒を持った傷自体を何とかせねばならん」
 幻風は氷炎の傍らでうなだれている金髪の獄吏達に声をかけた。
「おい、この腐った部分を切り取らんとこの男は死んでしまう。よく切れる小刀を持ってこい」
 人畜無害に見える爺さんだが、それにしても囚人に小刀とは――。獄吏達は顔を見合わせる。万が一それを雷蛇がそれを奪ったりすれば、大変な事態になることが目に見えている。
「お前ら、こいつを助けたくはないのか」
 幻風が鋭い声で一喝した。
 しばらく逡巡(しゅんじゅん)していた獄吏達だったが、苗をくれた若い獄吏が心を決めたように顔を上げた。
「わかった、持ってこよう」
「小刀は良く洗い、火であぶってから刃の部分を触らずに持ってこい。それから鎮痛作用もある銀老草の根を掘り出して洗ってこい」
「銀老草――」
 顔を見合わせる獄吏達に、雷蛇が得意げに指南した。
高黍(たかきび)畑の中央に沢山あるぜ。俺が見つけて良く育つように以前畑に植え替えたんだ。しばらく採ってないからたくさんあるはずだ」
「えらく高黍畑の作業に行きたがると思ったら、それが魂胆だったのか」
 顔をしかめる獄吏達。
「教えてやったのにお礼くらいないのかよ、おい」
 ここぞとばかり高飛車な物言いをする雷蛇に、獄吏達は苦り切った顔で礼を言うと幻風に指示されたものを調達に出て行った。
 しばらくして獄吏が掘り出してきた銀老草の根と小刀を受け取ると、幻風はまず氷炎に根を噛んで汁を飲み込むように言った。そして獄吏達に氷炎の四肢を抑えるように命じた。
「若いの、銀老草で少し痛みはやわらぐと思うが、それでも煉獄の炎で焼かれたような激痛がする。我慢しろ」
 言い終わると同時に、老人は傷口に刃を立てた。
 叫びとともに朦朧としていた氷炎の目がカッと開かれ、体が反り返った。
「もっとしっかりおさえんかい」
 幻風が叱りつける。
 慌てて、力を入れて押さえつける獄吏達。
 がっちりと体が固定されたのを見て、幻風は汚れた傷が残らないように大きくざっくりとえぐり取った。房の中に、喉が張り裂けんばかりの声が響き渡る。血しぶきが飛ぶその凄絶な光景に周りの者は息を飲み額に汗の粒を浮かべた。
 だが当の幻風は今にも鼻歌を歌いそうな顔で軽やかに小刀を動かしている。迷いを見せぬ刃先は一瞬も止まることなく、短時間で仕事を終えた。
「ぬ、縫わないのか?」
 初老の獄吏が聞いた。
「ああ、汚れた傷は閉じない方がいい。この草の汁で血は止まる」
 幻風はじわじわとにじむ血を緑くさい汁を浸した布で圧迫しながら答えた。
 言葉通り出血はほどなく止まり、塩水で傷口を洗うと幻風は先ほどの塩水を浸した布で傷口を覆った。
「このじいさん、ただものじゃない」
 こそりと走耳がつぶやいた。
「え?」思わず聞き返す麗射。
「修羅場をくぐってる」
 それだけ言うと走耳はまた口を閉じて、壁に同化してしまった。
「若いからなんとか持ちこたえるだろうが、それにしてもひどい状態だ」
 手を洗いながら幻風がつぶやいた。

⁂文中行われている医療行為は、現実的なものではありません。決して真似をしないようにしてください。

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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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