第107話 宝物

文字数 4,497文字

「氷炎先生、少し休みましょう」
 とりつかれたように前進を続ける氷炎に、副官の有然(うぜん)があきれたように声をかける。
 いつもの氷炎とは違い、今回の任務について氷炎は相当気合いが入っているようだ。
 戦闘に巻き込まれて遅れてはいけないと、わざわざ武奏とは違う道を選び、オアシス軍の邪魔が入らぬようにオアシスから離れた地での襲撃を計画した。そのため波州寄りにはなったが、波州軍とオアシス軍のどちらからも干渉のない地点でオアシスの一行にたどり着けそうであった。
「一刻も早く追いつきたい、もう少しだけ行こう」
 いつもと目の色が違っている。温厚な先生でも、あれだけ衆目の中で馬鹿にされるのは我慢ならないということか。
 有然は氷炎が決起したころからの仲間である。今までの彼をよく知っているからこそ、今の気持ちは察するに余りあるものがあった。
「戦になると宝物の損壊を招きます。できるだけ争いにならぬように、宝物だけ奪取しましょう」
 氷炎は視線を青銀の砂塵の彼方に向ける。相手は2000人の徒歩を含めたオアシス民、たとえ10日前に出ていても、駱駝で疾走する自分たちであればもう追いついて良い頃だと考えている。
 今回の任務は失敗できない。氷炎は心の中で繰りかえす。
 彼に付いてきてくれる部下達の多くは反乱を始めた頃からの仲間である。斬常が召し抱えた者は(いくさ)下手(べた)の氷炎の部下になることを嫌がるため、氷炎隊は一向に増えず、戦に出てはその数を減らす一方であった。
 この任務を成し遂げれば、彼らにも少し恩賞が出るかもしれない。
 そして少しでも発言の機会を持つことができれば、飢餓の上に戦の負担で苦しむ煉州の住民の事を考えてもらうように提言できるかもしれない。
 略奪により、煉州のなかでも一部は潤っているがまだまだ民衆は苦しい。
 だが、以前と比べて民衆は声を上げない。それは、斬常がいかに恐ろしいかを知っているからだ。そろそろ民衆は、あの豪奢で美しい権力者の本性に気がつきつつある。
 そして、後悔してもほぼ手遅れなことも。
「見えました、先生」
 有然が前方を指さす。
 そこにはオアシスを出た人々の隊列の最後尾が見えていた。



「ジェズム、あれは……」
「追っ手じゃな」
 最後尾で駱駝を並べる瑠貝とジェズムはお互いにチラリと視線を交す。
優颯(ゆうそう)、皆に過剰に急ぐなと伝えろ。追っ手に気づいた者は動揺しているかも知れない。焦って走ると年寄り子供に怪我が出る、そのまま止らずに今までと同じ早さで行け、とな。ただ、何かあれば合図をするから走れるように準備はしておけ。そして、後ろから100匹の駱駝には停止しろと伝えろ」
「はっ」
「それからアイゲルに伝鳥を飛ばせ、事は一刻をあらそう。なんとかして宝物を餌に波州皇帝を口説き落として、迎えの軍をよこさせろ。とな」
 命を受けたジェズム配下の若者は、かけ声と伴に駱駝を疾走させた。
「後ろから100匹って、荷駄用の駱駝ですか」
 瑠貝の顔が真っ青になっている。
「それって、ほ、宝物(ほうもつ)を運ぶ駱駝じゃないですか」
「住民の命のことを考えれば、宝物で事が済めば安いもんだ」
 渋い顔をする瑠貝を見つめてジェズムが諭す。
「宝物は宝物でしかないが、人間は知識を広げ、そして新たな物を生み出すことができる。失って良い命はないのだよ」
「それは……、ここで人を助けておくと将来何倍かの得になって返ってくると言うことですか」
「ま、身も蓋もない言い方をすればそうじゃな」
 近づいてくる追っ手を前に、ジェズムは平然と笑い声を上げた。
 ジェズムはそこで駱駝の歩みを止める。
 瑠貝も老人とともに、そこにとどまった。



「私は煉州軍氷炎隊の副官、有然です」
 額のところでまっすぐに髪を切りそろえ、後ろの髪は編み込んでいる小柄な青年がジェズム達の前に現れた。
 礼儀正しく右手を胸につけて挨拶する品の良い仕草にジェズムの目が光る。
 この副官を使っているということは、その上官である氷炎もそれなりに話のできる人物かも知れない。
「私はこの隊商の長、ジェズム。ご用件をお伺いしたい」
 ゆっくりとした口調。
 時間を稼いでいるのが瑠貝には解った。
「単刀直入に申し上げる。美術工芸院の宝物が入った荷駄をすべて置いて行かれよ」
「それはご無体な。この宝物はいずれ波州で売り、オアシスを脱出する者達の生活の糧となるはずのもの」
「将来のオアシスの施政者、煉州王より取り戻して参れとの命を受けている」
 ジェズムが目を伏せて考え込むまねをする。気短な使者だと通用しないが、この青年なら待つだろうという計算だ。
 うわっ、姑息な時間稼ぎだ。万が一のためにできるだけオアシス民を少しでも先に進めておきたいという事だな。瑠貝は百戦錬磨の商売人を見つめる。
「お断りしても、無駄……ということですよね。我々はオアシスから逃げてきた無力な住民の集まりです。兵もおらず、武器も持っていません。お願いですから命だけはお助けください。ご覧の通り荷駄の駱駝は止めております。宝物はお持ちください」
「良い心がけだ」
「ただし、この熱砂の中、砂に靴をとられて足裏を焼いて歩いているものも沢山おります。空いた駱駝はそのもの達に使わせてやりたいと思いますので、宝物をそちらの駱駝に乗せ替えても良いでしょうか」
「それは私の一存では決められぬ。隊長にたずねてくるからそこでお待ちいただきたい」
 有然は駱駝を自軍にとって返す。しばらくして前進してきた軍勢と伴に、使者は帰ってきた。
「それで良いとのことです」
「わかりました。ただ、貴重な美術品の数々です。たとえ持ち主が変っても、煩雑に扱って壊れてしまっては後世の人々に申し訳が立ちません。そちらの駱駝に移すときに確認をしてお渡ししても良いでしょうか」
「こちらに引き渡してくださるなら、それで良い」
 ジェズムが合図すると、隊商の人々が次々に荷駄を降ろし始める。それを改めるように氷炎隊からも兵士達がやってきた。
 



「なんと美しい美術品の数々でしょう」
 次々と箱を開けて無傷を確かめられる宝物を見て、氷炎は目を細める。
 そばには少しでも長引かせて時間を稼ごうとばかりにジェズムが付き従っていた。
「傷がないことを確かめたら早くしまってください。強い日光は美術品を傷めますから」
「ほう、よくご存じですね」ジェズムが眉を上げる。
「私の命の恩人が、芸術家なのです」
 氷炎は言葉を止めて、虚空に目をやる。
 こんな、青だった。
 私は、今、そんな色をしているのか――。
 ふと、言い争いの声が聞こえて、氷炎は我に帰った。
「何事じゃ」
 ジェズムと共に騒ぎの起こった荷駄に向かう。
 そこには、平たい箱を引っ張り合う兵士と瑠貝がいた。
「これは、たいしたもんじゃないんだ。二束三文のくそ美術品なんだ。だけど、俺にとってはなんとしてでも手元で大切にしたい宝物(たからもの)なんだ。これは持って行かないでくれ。俺の大切な友人の絵なんだ」
「そんなにむきになるとはあやしい。見せてみろ」
「見たら持って行くかも知れないじゃないか」
 瑠貝が顔を真っ赤にしている。損得抜きの珍しい表情にジェズムが目を丸くする。
「瑠貝、この方達は話のできる方々だ。その箱を開けなさい」
 有無を言わさぬジェズムの視線に、しぶしぶ瑠貝は箱から手を離した。
 兵士が箱を開ける。
 そこには鮮やかな青で描かれた美しい女性の絵がしまわれていた。
「やっぱり(だま)したな、一級品の絵じゃないか」
 兵士が箱の蓋を閉めようとしたとき。
「ちょっと待ってください」
 氷炎が箱の蓋を開け、女性の絵の下に隠れている薄汚れた布を取り上げた。
 彼は恐る恐る、日の(もと)でそれを広げる。
 それは青いしぶきが激しく飛んだ、ところどころ穴のあいた薄い服であった。
 絶句する氷炎。
 そして、両眼にみるみるうちにあふれる涙。
 急な隊長の変化に、有然は首をかしげる。
 薄いしぶきは模様なのであろうか。しかしもう、それは汚れとほとんど判別ができない。
 服と言うよりもぼろきれである。
 氷炎は涙に濡れないように、服を顔から遠ざけた。手が小刻みに震えている。
「こ、これは……」
「俺の親友、美術工芸院の麗射の作品だ。それは牢獄で、彼が心酔した氷炎って言う民衆のために戦う活動家に感動して無我夢中で作った作品だそうだ。色はあせてしまったが、いいだろう、それ。無垢な憧れと情熱が収まりきらない心が跳ねているようで……」
 氷炎はもう一度、その囚人服に描かれた青いしぶきを見つめた。
「私は、忘れていました。あの時の気持ちを」
 氷炎の目に光が灯る。
「相容れぬ権力に迎合して、自らの主張を通そうなどと言うのは愚の骨頂。いったい私は今まで何をしていたのでしょう」
 麗射が、牢で自分を題材に描いてくれた青い炎。
 そこには革命に燃え上がっていた、濁りの無い心が写し取られていた。
 あの頃の自分はどこに行ったのか。今の自分はいやしい追い剥ぎではないか。人民のために尽くすと誓ったのでは無かったのか。
「荷駄改めは中止です」
 氷炎は自軍に叫んだ。
「責任はすべて私が持ちます。見たことは忘れてください。私は、この一団には遭遇できなかった」
 氷炎隊の中で、誰も異を唱える者はいなかった。
 荷駄を載せた駱駝の行列はゆっくりと進み始めた。氷炎隊はそれを見送ると自軍に帰っていった。




「オアシス大変なことになってますね、艦長」
 志吹(しぶき)は急須からお茶を注ぐと、湯冷ましで割り、伝鳥から来た情報を読む乱鳳(らんほう)の前に湯飲みを置く。
「あ、うーん」
 火傷をしないように部下が気を利かして冷ましてくれたお茶だと、気がついているのかいないのか、乱鳳は文章から目を離さず一気に飲み干した。そして、ワカメのような頭を振りながら志吹に機密文を投げてよこす。
 それを見た志吹は目を丸くした。
「え、オアシスの寄せ集め軍が、煉州軍を破ったんですか」
「ああ、そうらしい。使われたのが、波州の海ほたるの粉って話だ」
「まさに、奇跡――」
「ではないな」
 乱鳳はきっぱりと否定する。
「波間の真珠には、今は亡き叡州公の妾腹の息子が居てな、その母方の爺さんが有名な戦術家なんだ。小さい頃からその孫は天才だと有名で、見た目は幼い女の子なのにえげつなく隙が無いんだ」
「よくご存じですね」
「ああ」
 椅子の背に身体をもたせかけながら、乱鳳は遠い目をする。素早く背もたれに回り込んだ志吹は、あわやというところで倒れそうな椅子を支えた。
「軍から推薦されて俺も戦術を習いに行ってたんだよ、その(じじ)ぃのところにさ」
「へえ、初耳です。そんな凄い経歴がおありだったんですね。で……」
「破門さ、破門」
 志吹が目を丸くする。
「遅刻や、課題の不提出が重なって……。挙げ句の果てには戦術の実地訓練で行く方向を間違えて指示とは違う地点に出てな。ふざけるな、でおしまいさ」
「方向音痴の艦長らしい」大受けする志吹。
「あいつ、昔は正攻法一択の戦い方しかしなかったが……まあ、いろいろ経験したんだろう」
 波州海軍で良かった。俺の主戦場は海、よもやあいつと当たることはなかろう。
 大人びた幼児の紫の瞳を思い出して、乱鳳は肩をすくめた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み