第49話 強行軍
文字数 2,701文字
一行が次に足を止めたのは、早い夕食をとるためだった。星見達が調理を買って出て、砂漠トカゲの肉の残りを米と炒めて瑠貝の香料を入れて炊き上げた。鼻をくすぐる独特の香りは人々の英気を呼び起こし、食後にしばらく仮眠をとった後彼らは再び玲斗を追うために出立した。レドウィンは駱駝が可能なギリギリまで速度を上げて一団を進ませた。
それから十日、睡眠を削っての強行軍に加えて日中の容赦ない暑さと寒暖の差が麗射達から体力を奪っていった。おまけに巻き上がる砂を吸い込まないように口を覆った首巻きが四六時中息を妨げる。誰も文句は言わないが、疲労の色が濃くなっていた。
進むにつれて徐々に砂漠の青が強くなっていく、強い日差しの下、一面真っ青に姿を変えた視界は空と地平の区別がつかず、まるで宙に浮いているような錯覚に陥った。青銀砂漠の中でも青い砂の多い場所は青砂漠と呼ばれるが、この浮遊感はその中心に近づいている証拠だった。この青色が薄くなってくれば、玲斗達が向かった煉州が近いのだが、一面の青はまだまだ彼の地には遠いと告げていた。
昼中、仮眠をとり陽が沈んでも砂漠踏破は続く。
「眠って駱駝から落ちないようにしろ、もし砂漠に一人残されたら一巻の終わりだぞ」
最後尾からレドウィンが叫ぶ。太くなりつつある月のおかげでなんとか前を行く駱駝は見えるが、闇の中で見失うと捜索に難渋するだろうことは明らかだった。
先頭に立つ星見の二人が不安げに首を振っている。
視線の先を追って麗射が空を見上げると、砂漠には珍しく月に雲がかかりはじめていた。
気が付くと光の弱い星は姿を消している。
「おおい、今日はここまでだ、夜明けまで寝るぞ」
星の見えない真っ暗な砂漠で歩くのは自殺行為だ。レドウィンの言葉に皆駱駝を降りそこで野営をする準備を始めた。
焚火を囲み、薄い小麦粥を口にする。食料も雲行きが怪しくなってきている。
「もう少し距離を縮めておきたかったが、休めという天帝の思し召しだな」
レドウィンは頭を掻いた。
「徐春の頃に砂漠を横断したときには澄み渡る大空で雲がかかるなんてことはなかったけど」
麗射は不安そうにつぶやく。
「内陸まで深く海風が入り込んでいるのでしょうか、昨日から髪に櫛が引っかかるのです、ほら」
清那は取り出した櫛で髪をすいて見せた。髪が幾分水分を帯びているのか、櫛が細い銀髪にからまった。
「曇りの日も無いわけではない。ただ、今日のはいつもより雲が厚いな」
レドウィンも何かを感じているのであろう、唇を引き締めて天を仰いだ。
「今夜は全員で寝ないほうがいいな」
彼は皆を横にならせると自分は焚火の番とばかりに腰を下ろした。麗射が交代で仮眠を取ろうと言っても頑として譲らない。一団の行程を管理しているレドウィンは精神的にもつかれているのであろう、頬がそげている。
「大丈夫だ、私ができるのはここまで。後はお前さんたちに頼むから」
心配する麗射達に取り合わず、レドウィンは仲間を眠りに追い立てた。後で交代しようと思っていた麗射だったが、目を閉じると泥のように寝てしまった。
翌朝、瞼の裏に夜明けの光が薄く刺してきたのを感じ、麗射は目を覚ました。いつもの肌を突きさす冷気はどこへやら、厚い曇り空の下生暖かくよどんだ大気が身体を包んでいる。
「おはよう、麗射」
いつもとは変わらないレドウィンの声。しかし明らかに目の下にごっそりとしたくぼみができている。
「俺は今日、駱駝に乗りながら寝るとする」
声が枯れている、さすがのレドウィンも真夏の砂漠行で限界にきているようだ。
「ならば今日は私が最後尾につこう」
目を閉じて寝ているとばかり思われた牙蘭が口を開いた。この寡黙な用心棒は、自らを語ることはないが、誰かが困っているといつの間にかそばにいて力を貸すような心根の優しい男であった。
朝日を浴びたオアシスの花が一斉に花開くように、皆が次々と起きだしてくる。
ミントティーを作るもの、野営を解くもの。疲れのためか口は開かないが、皆黙々とそれぞれの仕事をこなしていた。
清那は弓を背負うと駱駝を駆った。しかし、しばらくたってから彼は首を傾げながら戻ってきた。
「昨夜が温かかったから日光浴の必要が無いのだろうか、不思議と今日は獲物がいない」
追加の食糧が無いため、手持ちの食事を7人で分けて食べる。もともと5人を目安に持ってきた食料は7人で分けると明らかに少なかった。ただ食料はまだしも、飲める水の量が少なくなるのは一行にとって大きな問題であった。
陽が上ってくると一気に大地は灼熱に燃える。歩き出した一行だが、蓄積した疲労で、意識がもうろうとなり駱駝から落ちる者が続出した。
「これを食え、喉の渇きが止まる」
いざという時のためにとっておいたのだろう、美蓮はずだ袋からいくつかの柑橘を取り出して皆に配った。表面はカチカチに乾燥しているとはいえ、ナイフを入れると切り口から芳醇な果汁が滴り落ちる。かぶりついて思い切り吸うと、待ちきれないとばかりに喉が動く。鼻に抜けるさわやかな香りは身体全体に快い刺激を与え、甘酸っぱさと相まって彼らにひと時の悦楽をもたらした。
水あめと塩を練り固めた隊商飴を舐めながら彼らはのろのろと駱駝を進ませた。もう当初の速度が出せる状況ではなかった。繰り返される「奴らはまだ見えないのか」の問いに星見達はもうすぐ追いつくはずなのですが、と返すばかり。柑橘の効果もとうに消え、先の見えない極限状況に皆言葉を出す元気もなくなっていた。
麗射も半分意識が無い状態で駱駝に揺られていた。先ほども駱駝からずり落ち、最後尾にいる牙蘭に助けられたばかりだ。麗射ばかりではない、美蓮も清那もなんどか牙蘭に救われ、今日は初めてレドウィンが落ちるのを見てしまった。
いつの間にか空は白い雲で覆われている。べっとりと潮を含んだ風が身体にまとわりついて、吹き出していた汗が出なくなっていた。身体にこもった熱が、麗射の視界をぼんやりとゆがめていく。ゆれる視線の先がかすんでいるのはつかれているからか、あたりがけぶっているためか。
こんな根拠もない苦行に皆を巻き込んで良かったのか。このままでは死人がでてもおかしくない。戻った方がよいのではないか。麗射は心の中で自問していた。決断の時を間違えると仲間の命が失われてしまう、
頭がまだ働くうちに皆に呼びかけた自分が決めなければ。麗射は皆に探索中止を呼びかけようと口を開いた。
その時。
空の上で何かがきらりと閃いた。
それから十日、睡眠を削っての強行軍に加えて日中の容赦ない暑さと寒暖の差が麗射達から体力を奪っていった。おまけに巻き上がる砂を吸い込まないように口を覆った首巻きが四六時中息を妨げる。誰も文句は言わないが、疲労の色が濃くなっていた。
進むにつれて徐々に砂漠の青が強くなっていく、強い日差しの下、一面真っ青に姿を変えた視界は空と地平の区別がつかず、まるで宙に浮いているような錯覚に陥った。青銀砂漠の中でも青い砂の多い場所は青砂漠と呼ばれるが、この浮遊感はその中心に近づいている証拠だった。この青色が薄くなってくれば、玲斗達が向かった煉州が近いのだが、一面の青はまだまだ彼の地には遠いと告げていた。
昼中、仮眠をとり陽が沈んでも砂漠踏破は続く。
「眠って駱駝から落ちないようにしろ、もし砂漠に一人残されたら一巻の終わりだぞ」
最後尾からレドウィンが叫ぶ。太くなりつつある月のおかげでなんとか前を行く駱駝は見えるが、闇の中で見失うと捜索に難渋するだろうことは明らかだった。
先頭に立つ星見の二人が不安げに首を振っている。
視線の先を追って麗射が空を見上げると、砂漠には珍しく月に雲がかかりはじめていた。
気が付くと光の弱い星は姿を消している。
「おおい、今日はここまでだ、夜明けまで寝るぞ」
星の見えない真っ暗な砂漠で歩くのは自殺行為だ。レドウィンの言葉に皆駱駝を降りそこで野営をする準備を始めた。
焚火を囲み、薄い小麦粥を口にする。食料も雲行きが怪しくなってきている。
「もう少し距離を縮めておきたかったが、休めという天帝の思し召しだな」
レドウィンは頭を掻いた。
「徐春の頃に砂漠を横断したときには澄み渡る大空で雲がかかるなんてことはなかったけど」
麗射は不安そうにつぶやく。
「内陸まで深く海風が入り込んでいるのでしょうか、昨日から髪に櫛が引っかかるのです、ほら」
清那は取り出した櫛で髪をすいて見せた。髪が幾分水分を帯びているのか、櫛が細い銀髪にからまった。
「曇りの日も無いわけではない。ただ、今日のはいつもより雲が厚いな」
レドウィンも何かを感じているのであろう、唇を引き締めて天を仰いだ。
「今夜は全員で寝ないほうがいいな」
彼は皆を横にならせると自分は焚火の番とばかりに腰を下ろした。麗射が交代で仮眠を取ろうと言っても頑として譲らない。一団の行程を管理しているレドウィンは精神的にもつかれているのであろう、頬がそげている。
「大丈夫だ、私ができるのはここまで。後はお前さんたちに頼むから」
心配する麗射達に取り合わず、レドウィンは仲間を眠りに追い立てた。後で交代しようと思っていた麗射だったが、目を閉じると泥のように寝てしまった。
翌朝、瞼の裏に夜明けの光が薄く刺してきたのを感じ、麗射は目を覚ました。いつもの肌を突きさす冷気はどこへやら、厚い曇り空の下生暖かくよどんだ大気が身体を包んでいる。
「おはよう、麗射」
いつもとは変わらないレドウィンの声。しかし明らかに目の下にごっそりとしたくぼみができている。
「俺は今日、駱駝に乗りながら寝るとする」
声が枯れている、さすがのレドウィンも真夏の砂漠行で限界にきているようだ。
「ならば今日は私が最後尾につこう」
目を閉じて寝ているとばかり思われた牙蘭が口を開いた。この寡黙な用心棒は、自らを語ることはないが、誰かが困っているといつの間にかそばにいて力を貸すような心根の優しい男であった。
朝日を浴びたオアシスの花が一斉に花開くように、皆が次々と起きだしてくる。
ミントティーを作るもの、野営を解くもの。疲れのためか口は開かないが、皆黙々とそれぞれの仕事をこなしていた。
清那は弓を背負うと駱駝を駆った。しかし、しばらくたってから彼は首を傾げながら戻ってきた。
「昨夜が温かかったから日光浴の必要が無いのだろうか、不思議と今日は獲物がいない」
追加の食糧が無いため、手持ちの食事を7人で分けて食べる。もともと5人を目安に持ってきた食料は7人で分けると明らかに少なかった。ただ食料はまだしも、飲める水の量が少なくなるのは一行にとって大きな問題であった。
陽が上ってくると一気に大地は灼熱に燃える。歩き出した一行だが、蓄積した疲労で、意識がもうろうとなり駱駝から落ちる者が続出した。
「これを食え、喉の渇きが止まる」
いざという時のためにとっておいたのだろう、美蓮はずだ袋からいくつかの柑橘を取り出して皆に配った。表面はカチカチに乾燥しているとはいえ、ナイフを入れると切り口から芳醇な果汁が滴り落ちる。かぶりついて思い切り吸うと、待ちきれないとばかりに喉が動く。鼻に抜けるさわやかな香りは身体全体に快い刺激を与え、甘酸っぱさと相まって彼らにひと時の悦楽をもたらした。
水あめと塩を練り固めた隊商飴を舐めながら彼らはのろのろと駱駝を進ませた。もう当初の速度が出せる状況ではなかった。繰り返される「奴らはまだ見えないのか」の問いに星見達はもうすぐ追いつくはずなのですが、と返すばかり。柑橘の効果もとうに消え、先の見えない極限状況に皆言葉を出す元気もなくなっていた。
麗射も半分意識が無い状態で駱駝に揺られていた。先ほども駱駝からずり落ち、最後尾にいる牙蘭に助けられたばかりだ。麗射ばかりではない、美蓮も清那もなんどか牙蘭に救われ、今日は初めてレドウィンが落ちるのを見てしまった。
いつの間にか空は白い雲で覆われている。べっとりと潮を含んだ風が身体にまとわりついて、吹き出していた汗が出なくなっていた。身体にこもった熱が、麗射の視界をぼんやりとゆがめていく。ゆれる視線の先がかすんでいるのはつかれているからか、あたりがけぶっているためか。
こんな根拠もない苦行に皆を巻き込んで良かったのか。このままでは死人がでてもおかしくない。戻った方がよいのではないか。麗射は心の中で自問していた。決断の時を間違えると仲間の命が失われてしまう、
頭がまだ働くうちに皆に呼びかけた自分が決めなければ。麗射は皆に探索中止を呼びかけようと口を開いた。
その時。
空の上で何かがきらりと閃いた。