第126話 天駆の君

文字数 2,259文字

 勇斗の最期を話し終えた騎剛が叫ぶ。
「おわかりになったか、玲斗殿。剴斗殿は自らの臓物を裂く思いで、刀を振られたのだ」
「もういい、黙れ」
 剴斗の声は、底知れぬ闇の冷気を(まと)っており、騎剛は言葉を失った。
「わしは斬常の将、そして此奴は敵軍の兵士なのだ」
「おとどまりください、玲斗殿はあなたの――」
「例え息子であろうともここでわしが敵に情けをかけたら、わしに従うすべての煉州兵に示しがつかぬ、そして青砂漠で命を失ったものにも申し訳が立たぬ」
 抑揚の無い声ががらんとした広間に響きわたった。
「は、早くお逃げください、玲斗様」
 玲斗はぎこちなく剣を握りしめると、首を振る。
「いや、私も武人の端くれとして、ここで敵に背を向けるわけにはいかない」
 騎剛が叫ぶ。
「誰も見ておりません、後は私に任せてお二人でお逃げくだ――」
「騎剛、お前も遠慮してくれ」
 じろりと煉州軍の長は、食客をにらみつけた。それは騎剛が初めて見る、冷厳な視線であった。
「戸の外に行け。すぐに決着をつける」
 騎剛は逡巡してそこに立ちすくむ。
「安心しろ、わしは息子に勝ちを譲る気は無い。頼む、去ってくれ。わしが再び戸を開けに行くまで閉めきって入ってくるな」
 騎剛は剴斗に深く一礼すると、戸の外に走った。
 (きし)んだ音を立てて、扉が閉まる。
 大講堂の中には、剴斗と玲斗が残された。
「青砂漠の戦いの顛末は聞いている。お前も天界には行けぬ身、冥府で会おうぞ、玲斗」
 言葉が終わらぬうちに、父の剣が振り下ろされる。
 玲斗の瞳孔が開く。と、ともに身体が無意識に動いていた。
 死にたくない。
 彼の時間は、止ったかのようにゆっくりと流れはじめる。
 彼の首を狙う父の刃。
 玲斗の手が剣を投げ出す、がくりと力を失う腰、倒れかける身体、無我夢中で床に手を付いて姿勢を立て直すと、彼は臆面も無く床を蹴り父に背を向けて走り出す。すでに格好をつける余裕はない。恐怖を前に、恥も外聞もなかった。
 何か叫んだ気がするが、自らの声を拾う余裕は無い。
 ざくりと肩が切り裂かれる感覚。血飛沫。噴き出す冷たい汗。
 だが、まだ生きている。
 走っているつもりだが、彼の足は水を含んだ木のように重い。
 目の中に、青い彫像が飛び込んだ。背中には幾本もの流れる流星を模した細い、そして固い装飾が施されている。あれは螺星が残していった彫像、「天駆(てんく)(きみ) ユーシェル」
 無意識のうちに彫像に飛びつき、裏側に回って父親の剣を防ぐ。
 渾身の力で振られた父の剣は、彫像に当たり刃の先端が砕け散った。
 その衝撃に耐えきれずぐらりと倒れかける彫像。
――助けてくれ、ユーシェル
 彫像にしがみつく玲斗。そのまま彼は像とともに床に投げ出された。
 何かが折れる、音。
 玲斗の上に、黒い影が覆い被さる。振り向きざまに見上げた彼の目に、憤怒の形相を浮かべた父の顔が映し出される。
 頭上から剣が向かって来る。
――父上っ
 床を這う彼の手に、何かが触れた。


 物心ついたときに母は亡く、父はいつも勇斗と剣の稽古をしていた。
 誰にも入れない、二人だけの世界。
 さみしくなると、玲斗は稽古中の父にしがみついて、離れなかった。
 父上、父上。
 彼は父の正面からその太い腰に手を伸ばして、連呼し続けた。邪魔だと追い払われるまで。
 しかし、幼いながらも武人の矜持(きょうじ)を持っていたのか、彼はどうしてもそれに続く一言を口に出すことができなかった。
 父上、父上――さみしいのです、と。


 緻密な螺星が組み立てた彫像は、各部が隙間無く接着されており分解することができなかった。しかしただ一つ、天駆の君ユーシェルの持つ鋭い剣は運搬時の危険を減らすため、取り外すことができるように細工されていた。
 像が倒れたときに、手から離れた剣。
 玲斗は無意識にそれを掴み、そして――。
「見事だ、玲斗」
 父の剣が振り下ろされるより、一瞬だけ玲斗の動きが早かった。
 くの字におり曲がった剴斗の身体。その手から、剣が落ちる。
 剴斗が生まれた時、天駆の君ユーシェルにしか倒せないと予言者が告げたまさにその通り、ユーシェルの剣は、このたぐいまれな強さを誇る武将の腹部を貫き通していた。
 かっと開かれた目と、結ばれた口。しかし、徐々に表情が緩み、剴斗は誇らしげに目を細めて息子を見つめる。そして、小さくうなずいた。
 それは玲斗にとって最初で最後の、父から認められた一瞬であった。
「さらば」
 剴斗は最後の力を振り絞り、手でぐいと青い剣を掴み、腹部から引き抜く。
 噴き出す血。そのまま身体は背中から床に倒れていった。
 膝からくずおれる、玲斗。
 呆けた瞳は焦点を結ばない。
 そのままどれくらい時が過ぎたのか。永劫か、それとも、一瞬か。
 まるで赤く染められたひとかたまりの彫像の様に、玲斗は呆然と固まっていた。
 突然隠し扉が開き、駆け込んできた人影がうずくまる玲斗の襟首を掴んだ。
「よかった、無事か。何をしている、行くぞ」
「よせ、ここに置いて行け、俺なんか生きていても仕方ない」
「それはお前が決めることじゃない、とりあえず生きておけ」
 走耳は玲斗を無理矢理隠し部屋に引きずり込んだ。


 合図の無いことに業を煮やした騎剛が戸を開けて大講堂に走り込む。
 そこには、安らかな笑みを浮かべた剴斗が血だまりを(しとね)に仰向けに倒れていた。
『すぐ行く、冥府で待っておれ』
 あのとき、勇斗に手向けられた剴斗の言葉が騎剛の脳裏に蘇る。
「剴斗様、あなたの望みは叶ったようですね」
 騎剛はひざまずき、左胸に手を当てて尊敬する主君に深い祈りを捧げた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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