第120話 作戦
文字数 3,699文字
「皆さん、これが最後の説明です。終わればこの図も燃やします。これからの各々の動きを皆さんの頭の中にたたき込んでおいてください。質問があればいつでも受け付けます」
清那は壁に貼った星形の美術工芸院の案内図を指揮棒で指し示した。以前から写しをまわして、戦闘員にも全員情報は共有しているが、回覧した図は現在すべて廃棄している、今回は班の主 だった者を集めての最終確認であった。
1階は通路が途切れ途切れで、近距離をわざわざ迂回して回らないといけない部分が多い。
この造りは以前から学院生に限りなく不評であった。しかし、敵の侵入経路を考えると、この通路の不便さが防御には適しているのだと痛感せざるを得ない。ここは、まごうことなく『美の砦』なのだ。
「この建物に外部から入ろうとすれば、基本は正面の玄関のみです」
麗射が最初、追い払われたあの正面玄関である。
麗射は晴れて入学を許されて初めて中に入った時の事を思い出す。2階まで吹き抜けの玄関の胸がすくような開放感。そして真っ正面にある階段の踊り場に、自分の壁画が最優秀作品とし飾られてあったのを見た時の感動たるや――。
実はあの壁画は今もそこに飾ってある。砕かれた壁画の修復後である、下手をしたらまた破損するかもしれないと事務が移動を怖がったのと、製作の際にオアシスの人々の参加が多く評判が良かったから。これがそこに残された理由であった。
麗射の追想を破るように清那の指揮棒が動いた。
「敵の想定進入路は3つ。まず正面の階段。ここの防御は勇儀と雷蛇、いつものお仲間合わせて50人ほどでお願いします。皆さんは吹き抜けの2階の回廊にいて、見下ろしながら槍でも、岩でも、劇薬でも、何でもいいですから敵をできるだけ足止めしてください。無傷で元気な兵がなだれ込んでくることが予想されます。矢も飛んでくるでしょう。ある意味1番危険な任務です。敵が2階に上がりそうであれば、すぐ撤退してください」
「おお、任せとけ清那。血なまぐさいことは得意分野だ」
「雷蛇、敵を殺すことは遊びでは無い。いついかなる時も、たとえ敵であっても敬意を捨てるな」
勇儀にたしなめられて、雷蛇はうなだれる。
「頼むぞ、雷蛇の勇猛さで救われる者がきっと多数出るだろう」麗射が声をかける。
「兄貴の言葉は染み入るねえ」雷蛇は透き通った目で麗射を見つめた。
「次は、敵から見て右手、講義室、美術創作室に通じる狭い通路です」清那が口を開く。
ああ、ここだ。玄関からこの通路に入ったところで清那と始めてあった。吹き抜けの2階に並ぶ小窓から入る西日に照らされて、燃えるような色に染まった清那の髪を思い出して麗射は苦笑する。月日が経つのは早いものだ。あのあどけない顔の子が、今や全員の信頼を集める軍師として振る舞っている。
「ここに敵が入った場合、きっと各教室にもなだれ込むでしょう。しかし、ここには画材用の辰砂 を積んでいます。この鉱物を燃やした煙を吸うと、人は激しい咳や胸痛、呼吸ができなくなるなどの症状が起こります。どこまで戦力をそげるかはわかりませんが、少しは歩みを止められるでしょう。この部屋に入らずにまっすぐ前に進んだ場合、正面と向かって左、西方向へと道は分かれます。入り口から西方向方面にかけて――」
清那は、幻風を見た。わかっておるとばかり幻風がうなずく。
「この図でもわかるように講義室、美術工芸室前から左に折れて大講堂に通じる通路にそって隠し部屋があります。この部屋の小さな穴から槍で敵を攻撃してください。ここは北の隠し部屋としか通じていません。攻撃用の穴は小さいため、漏れた辰砂の煙もほとんど入ってこないはずです。できるだけここで敵の戦力を削ぎ、大講堂に入る人数を少なくしてください。しかし、攻撃用の小さい穴から辰砂の煙が入ってくる可能性もあります。その場合は時間稼ぎを終えて、早めに地下通路から北の隠し部屋に逃げてください」
「了解じゃ。狭い場所じゃから、同行は20人ほどで」
清那の目は、走耳をさがす。しかしぱっと見ても彼の姿は見えない。
「走耳は20人ほど連れて、玄関から入って正面、階段横の通路に面した隠し部屋からの攻撃をお願いいたします。ここは先にもつながらず、大講堂にも入れませんから、ある程度戦力を削いだらすぐ隠し部屋に向かってください」
走耳の姿は見えないが、どこかに居るのだろう。人々の間からかすかに了承する声がした。
「私は1階北の隠し部屋で、必要あれば相手を攻撃します。火翔は大講堂の皆が避難を終えたら大講堂との通路をふさぐように爆破してもらいます。南の隠し部屋の二つの班は、私たちのいる1階の北の隠し部屋に来てください。来た順から隠し部屋の梯子を上がり、隠し部屋の2階に行ってもらいます。そこから厨房につながっていますが……」
清那は一旦言葉を切り、皆を見回す。
「気をつけていただきたいのは、厨房は2階まで吹き抜けだということです。ですから、隠し部屋からの出口は、いきなり2階の壁に開口します。この通路が今まで誰にも認識されなかったのは、このわかりにくい出口のおかげです。先頭のものが縄梯子を設置し、厨房におり、順次来た順で皆さんも厨房から水音の道に逃げてもらいます。水音の道の出入り口は少し削って昼でも入り易くなっていますから、手順通りやれば開きます」
「よく隠し部屋から壁の中に抜ける出口がわかりましたね、さすが清那様だ」
勇儀が尊敬のまなざしを向ける。
「いや、図を見るまでわかりませんでした。隠し部屋は単なる物置で、その奥に厨房の壁に通じる開口部があるなんて想像もしていませんでした」清那は後は頼みますとばかりに、麗射を見る。
麗射が口を開いた。「実は、この図は蛮豊 殿からの預かりものだ」
「逃亡しやがった学長かっ」火翔が赤い顔で叫ぶ
「そういわないでくれ。俺宛ての置き手紙があって、そこに書かれていたのだが、学院長には身体の弱い娘さんがいたが、その旦那さんが戦死してしまったらしい。孫と娘を守るためここで死ねないとわびてあった。それに同封されていたのが、この代々の学長のみが目を通す院内図なんだ」
「どうだかな」あちこちから反論の言葉が漏れる。「いくら理由があっても敵前逃亡は敵前逃亡さ」
「ともあれ、この図のおかげで先に光りが見えたのは確かです。水音の道の事は書いてありませんでしたが、その情報を加味すると、この学院の使いにくい通路は、ひとえに敵を防ぎ水音の道から落ち延びるための通路だったというわけです。さあ、先に行きますよ」
彼が指し示したのは3階の図だった。
「3階まで敵を上がらせるつもりはありません。でも、外から壁をよじ登ってくる敵兵はいるでしょう。だから、三階の外を取り巻くベランダから弓で敵を攻撃して欲しいのです。正直、安全な業務ではありません。でも、皆が避難するまで、それぞれの部所で時間を稼がないとならないのです」
清那が目を向けたのは、炎絶 。オアシスの元警備隊の隊長であった。
「ああ。俺たちは正規兵だ。俺たちにも誇りってものがあるからな」
「申し訳ありません、弓がうまい一団はあなた方しかいないのです」
「そうだな」炎絶は腕組みしてうなずいた。「俺たちは素人じゃ無い、兵士を仕事に選んだ者達だからな」
彼の後ろにはずらりと兵が並んでいる。その中には、麗射がこのオアシスに来たときに、『徐春末日』であることを教えてくれた気の良い警備兵もいた。
「皆さんは、ある程度時間を稼いだら、出入りできそうな窓から室内に戻り、真珠の塔を経由して2階に降りてください。2階には北の隠し部屋への唯一の入り口があります。ここから水音の道に入ってください。ここは今回の計画で最重要な場所ですから、死守してください」
「言われなくても、俺たちは本職。潮時ってのはわかってるさ」
炎絶は不満そうに鼻を鳴らした。
「そして、玲斗――」
清那がじっと片隅で同胞とともにたたずむ玲斗を見た。
玲斗の青い目は、静かに澄んでいた。しかし、その奥にはやり場の無い怒りや悲しみが入り混じり、炎をあげて燃えている。
「あなたは軍勢を大講堂で迎えうっていただき、そのまま大講堂から隠し部屋経由で逃げて欲しいのです。ですが、本当に良いのですか? そこまで到達するのは多分先兵ではありません、ことによると――」
「本望です」
青年はそれきり口をつぐんだ。彼の横に立つ金髪碧眼の青年達もゆっくりとうなずく。
彼の父、剴斗は勇猛果敢な武人として評判が高い。生まれたときに占い師から『伝説の武人天駆 の君 ユーシェルにしかその命を奪うことはできない』と予言されたと、嘘とも本当ともつかない噂が伝えられている。
「生きてかえってくれ、玲斗。君は絵を描くべき人だ」
麗射の一言に返ってきたのは、冥府の主もかくやとばかりの憤怒の形相だった。
★美術工芸研鑽学院 院内図★
(青の細い線は壁。水音の道は後から書き加えたもの。地下の星形は参考のみ。
南の隠し部屋と北の隠し部屋は保管庫の下を通る地下道でつながっている。3階のみ真珠の塔と直接通路がつながっている)
清那は壁に貼った星形の美術工芸院の案内図を指揮棒で指し示した。以前から写しをまわして、戦闘員にも全員情報は共有しているが、回覧した図は現在すべて廃棄している、今回は班の
1階は通路が途切れ途切れで、近距離をわざわざ迂回して回らないといけない部分が多い。
この造りは以前から学院生に限りなく不評であった。しかし、敵の侵入経路を考えると、この通路の不便さが防御には適しているのだと痛感せざるを得ない。ここは、まごうことなく『美の砦』なのだ。
「この建物に外部から入ろうとすれば、基本は正面の玄関のみです」
麗射が最初、追い払われたあの正面玄関である。
麗射は晴れて入学を許されて初めて中に入った時の事を思い出す。2階まで吹き抜けの玄関の胸がすくような開放感。そして真っ正面にある階段の踊り場に、自分の壁画が最優秀作品とし飾られてあったのを見た時の感動たるや――。
実はあの壁画は今もそこに飾ってある。砕かれた壁画の修復後である、下手をしたらまた破損するかもしれないと事務が移動を怖がったのと、製作の際にオアシスの人々の参加が多く評判が良かったから。これがそこに残された理由であった。
麗射の追想を破るように清那の指揮棒が動いた。
「敵の想定進入路は3つ。まず正面の階段。ここの防御は勇儀と雷蛇、いつものお仲間合わせて50人ほどでお願いします。皆さんは吹き抜けの2階の回廊にいて、見下ろしながら槍でも、岩でも、劇薬でも、何でもいいですから敵をできるだけ足止めしてください。無傷で元気な兵がなだれ込んでくることが予想されます。矢も飛んでくるでしょう。ある意味1番危険な任務です。敵が2階に上がりそうであれば、すぐ撤退してください」
「おお、任せとけ清那。血なまぐさいことは得意分野だ」
「雷蛇、敵を殺すことは遊びでは無い。いついかなる時も、たとえ敵であっても敬意を捨てるな」
勇儀にたしなめられて、雷蛇はうなだれる。
「頼むぞ、雷蛇の勇猛さで救われる者がきっと多数出るだろう」麗射が声をかける。
「兄貴の言葉は染み入るねえ」雷蛇は透き通った目で麗射を見つめた。
「次は、敵から見て右手、講義室、美術創作室に通じる狭い通路です」清那が口を開く。
ああ、ここだ。玄関からこの通路に入ったところで清那と始めてあった。吹き抜けの2階に並ぶ小窓から入る西日に照らされて、燃えるような色に染まった清那の髪を思い出して麗射は苦笑する。月日が経つのは早いものだ。あのあどけない顔の子が、今や全員の信頼を集める軍師として振る舞っている。
「ここに敵が入った場合、きっと各教室にもなだれ込むでしょう。しかし、ここには画材用の
清那は、幻風を見た。わかっておるとばかり幻風がうなずく。
「この図でもわかるように講義室、美術工芸室前から左に折れて大講堂に通じる通路にそって隠し部屋があります。この部屋の小さな穴から槍で敵を攻撃してください。ここは北の隠し部屋としか通じていません。攻撃用の穴は小さいため、漏れた辰砂の煙もほとんど入ってこないはずです。できるだけここで敵の戦力を削ぎ、大講堂に入る人数を少なくしてください。しかし、攻撃用の小さい穴から辰砂の煙が入ってくる可能性もあります。その場合は時間稼ぎを終えて、早めに地下通路から北の隠し部屋に逃げてください」
「了解じゃ。狭い場所じゃから、同行は20人ほどで」
清那の目は、走耳をさがす。しかしぱっと見ても彼の姿は見えない。
「走耳は20人ほど連れて、玄関から入って正面、階段横の通路に面した隠し部屋からの攻撃をお願いいたします。ここは先にもつながらず、大講堂にも入れませんから、ある程度戦力を削いだらすぐ隠し部屋に向かってください」
走耳の姿は見えないが、どこかに居るのだろう。人々の間からかすかに了承する声がした。
「私は1階北の隠し部屋で、必要あれば相手を攻撃します。火翔は大講堂の皆が避難を終えたら大講堂との通路をふさぐように爆破してもらいます。南の隠し部屋の二つの班は、私たちのいる1階の北の隠し部屋に来てください。来た順から隠し部屋の梯子を上がり、隠し部屋の2階に行ってもらいます。そこから厨房につながっていますが……」
清那は一旦言葉を切り、皆を見回す。
「気をつけていただきたいのは、厨房は2階まで吹き抜けだということです。ですから、隠し部屋からの出口は、いきなり2階の壁に開口します。この通路が今まで誰にも認識されなかったのは、このわかりにくい出口のおかげです。先頭のものが縄梯子を設置し、厨房におり、順次来た順で皆さんも厨房から水音の道に逃げてもらいます。水音の道の出入り口は少し削って昼でも入り易くなっていますから、手順通りやれば開きます」
「よく隠し部屋から壁の中に抜ける出口がわかりましたね、さすが清那様だ」
勇儀が尊敬のまなざしを向ける。
「いや、図を見るまでわかりませんでした。隠し部屋は単なる物置で、その奥に厨房の壁に通じる開口部があるなんて想像もしていませんでした」清那は後は頼みますとばかりに、麗射を見る。
麗射が口を開いた。「実は、この図は
「逃亡しやがった学長かっ」火翔が赤い顔で叫ぶ
「そういわないでくれ。俺宛ての置き手紙があって、そこに書かれていたのだが、学院長には身体の弱い娘さんがいたが、その旦那さんが戦死してしまったらしい。孫と娘を守るためここで死ねないとわびてあった。それに同封されていたのが、この代々の学長のみが目を通す院内図なんだ」
「どうだかな」あちこちから反論の言葉が漏れる。「いくら理由があっても敵前逃亡は敵前逃亡さ」
「ともあれ、この図のおかげで先に光りが見えたのは確かです。水音の道の事は書いてありませんでしたが、その情報を加味すると、この学院の使いにくい通路は、ひとえに敵を防ぎ水音の道から落ち延びるための通路だったというわけです。さあ、先に行きますよ」
彼が指し示したのは3階の図だった。
「3階まで敵を上がらせるつもりはありません。でも、外から壁をよじ登ってくる敵兵はいるでしょう。だから、三階の外を取り巻くベランダから弓で敵を攻撃して欲しいのです。正直、安全な業務ではありません。でも、皆が避難するまで、それぞれの部所で時間を稼がないとならないのです」
清那が目を向けたのは、
「ああ。俺たちは正規兵だ。俺たちにも誇りってものがあるからな」
「申し訳ありません、弓がうまい一団はあなた方しかいないのです」
「そうだな」炎絶は腕組みしてうなずいた。「俺たちは素人じゃ無い、兵士を仕事に選んだ者達だからな」
彼の後ろにはずらりと兵が並んでいる。その中には、麗射がこのオアシスに来たときに、『徐春末日』であることを教えてくれた気の良い警備兵もいた。
「皆さんは、ある程度時間を稼いだら、出入りできそうな窓から室内に戻り、真珠の塔を経由して2階に降りてください。2階には北の隠し部屋への唯一の入り口があります。ここから水音の道に入ってください。ここは今回の計画で最重要な場所ですから、死守してください」
「言われなくても、俺たちは本職。潮時ってのはわかってるさ」
炎絶は不満そうに鼻を鳴らした。
「そして、玲斗――」
清那がじっと片隅で同胞とともにたたずむ玲斗を見た。
玲斗の青い目は、静かに澄んでいた。しかし、その奥にはやり場の無い怒りや悲しみが入り混じり、炎をあげて燃えている。
「あなたは軍勢を大講堂で迎えうっていただき、そのまま大講堂から隠し部屋経由で逃げて欲しいのです。ですが、本当に良いのですか? そこまで到達するのは多分先兵ではありません、ことによると――」
「本望です」
青年はそれきり口をつぐんだ。彼の横に立つ金髪碧眼の青年達もゆっくりとうなずく。
彼の父、剴斗は勇猛果敢な武人として評判が高い。生まれたときに占い師から『伝説の武人
「生きてかえってくれ、玲斗。君は絵を描くべき人だ」
麗射の一言に返ってきたのは、冥府の主もかくやとばかりの憤怒の形相だった。
★美術工芸研鑽学院 院内図★
(青の細い線は壁。水音の道は後から書き加えたもの。地下の星形は参考のみ。
南の隠し部屋と北の隠し部屋は保管庫の下を通る地下道でつながっている。3階のみ真珠の塔と直接通路がつながっている)