第111話 失策

文字数 5,122文字

「ま、今から言っても後の祭りですがね、一昨日(おととい)の食料搬入は大失策です」
 作戦会議の後、オアシス軍中核の人々に紹介を受けた奇併がいきなり発した言葉はこれであった。
「な、何をいきなり」
 推薦者である勇儀が顔を真っ赤にして(さえぎ)る。しかし、奇併は自分をにらみつける周囲の視線を平然と受け流して話を続けた。
三羽風(みわぶ)と言えば、危ない橋を渡って、その分暴利をむさぼる事で有名な隊商です。彼ら三兄弟は何よりも金が好き。こちらの皆さんが好まれる『信義』とやらは、奴らにとって踏みつけるためにあるようなものです。そんな金の亡者を信じるなんてお人好しにもほどがあります。いや、食べ物に目がくらんだだけかもしれませんが」
「それは聞き捨てなりませんね」
 珍しく清那が怒気を含んだ言葉で(さえぎ)る。
「奴らが搬入したものに毒は入っていませんでした。食べ物を鼠にやって確かめても、おかしな状態にはなっていません。敵兵の侵入も無かったし、すべてうまくいったと思うのですが」
「悲しいかな、その純粋さが命取り。って奴ですよ。あなたが敵の立場に立って考えても、善意が勝ちすぎて悪意を持った敵の真意を看破することはできません」
 彼は芝居がかった調子で手を広げて大きく首を振った。皆が目を怒らす中で、幻風だけがニヤニヤと笑っている。
「爺さん、妙に共感してるじゃないか」走耳が横目で睨む。「ったくこの軍師、高慢ちきでいけすかない野郎だぜ」
奇併(きへい)は劇薬だ」幻風はますます楽しげに口角を上げる。「いや、必要悪と言った方が良いのかな。良きにせよ、悪しきにせよ、我が軍に新風が吹きそうじゃ」
「隙間風かもしれないぜ」走耳が肩をすくめる。
「ま、どんな(かぜ)になるかは、自分付の軍師見習いとして採用した麗射が彼をどう扱うかにかかっておるな。だが、果たしてあの善人にこの過激な毒薬が使いこなせるかのう」
「人ごとみたいに言うけどな、爺さん。軍師の采配に俺たちの命がかかってるんだぜ」走耳はため息をついた。
 その間も清那と奇併は向かい合って、火花を散らしている。
「それでは何が悪かったというのですか、奇併」
「そりゃ、わかりません。でも、おかしいと思いませんか。いくらあいつらが場数をふんだ隊商としても、敵の重囲をかいくぐり、すんなり食料を受け渡せるのは至難の業です。三羽風が最初から煉州軍と話をつけて何かの罠を仕込んでいたと考えた方が話が通るじゃないですか」
「何を仕込んだのです? 米や小麦は毒では無く、袋に敵兵が忍ぶこともなかった。彼らからもたらされた鶏が生んだ卵も、何の問題もありません」
「いや、絶対何かを企んでいる」
 奇併は譲らない。
「理屈じゃない、これは絶対におかしいと私の勘が叫んでいるんです」
「わかりました。三羽風の食料支援であと半月はゆうに過ごせるようになりました。その間油断をせずに守りを固めましょう」
「だから、もう多分手遅れなんですよ――」
 彼の最後の叫びをほとんどの者が聞かずに席を立った。勇儀は彼をにらみつけ、直属の上司である麗射ですら、彼の方を見向きもせずに立ち去った。
 無視されたと気がついた奇併の肩を一つ叩いて立ち去ったのは、幻風であった。
「若いの、聞いてもらえなくても叫び続けるその根性は賞賛に値するぞ」
「はん、そのうちきっと俺が正しいことがわかるさ。俺は執念深いんだ。俺の言うことが本当だとわかるまで、しつこく言ってやるからな」
 奇併は腕組みをして鼻を鳴らした。


 2日後。
「おい、お前ら何をしてるんだ」
 オアシスの市街地、もぬけのからとなった家から立ち上る良い香りに引き寄せられた元オアシス警備兵は、戸を開けるなり言葉を失った。彼の目の前には薄い衣のついた山盛りの鳥揚げと、ナツメヤシ酒で盛り上がる雷蛇達、囚人軍団の姿があった。
「見ての通りさ、俺達は明日から牢獄区域の防衛任務に就くから、午後から休みをもらってんだ。死地に赴く前の酒宴くらい好きにさせろよ」
 もともとオアシスの警備兵だった者は正規軍の誇りがあるのか囚人連中に対し、常に見下すような物言いをする。なで切りの雷蛇がにらみを利かせているためそれ以上の無礼は無いが、この二つの勢力は基本的に仲が悪かった。
「食料は一旦、事務の連中に上げてそこから配分してもらう予定だろう。なんだこの鶏肉の山は。みな飢えているというのに何を勝手なことをしてるんだ、厳罰に値するぞ」
「そういわずに、どうだお前も1本」
 顔を赤くして怒鳴る兵士の目の前に、骨付きのもも肉が差し出される。裂け目の入った身の間から湯気が立ち上り、肉の先からぽたりぽたりと肉汁がしたたり落ちた。
「く、口止め料なんか受け取らんぞ」
 そっぽを向く警備兵だが、視線は鳥揚げの方に吸い寄せられている。言葉とは裏腹に彼の喉仏がゴクリと動いた。口の中は、すでに生唾でいっぱいである。
「これ、死んだ奴だからもう廃棄処分する予定だったんだ。(さば)くとき内臓の色は黒っぽく変色していたけど、なあに良く揚げてあるから大丈夫だぜ」
 ナツメヤシ酒で上機嫌の囚人が、突き出した鶏肉を鼻先で振る。
 塩とコショウの良い香りが警備兵の鼻腔に突き刺さった。彼は物も言わずにひったくると、肉にむしゃぶりつく。口に広がる肉汁に、貧相な食事に慣れた腹がぐぐっと歓喜の声を上げる。動物を貪る快感が全身を震わせ、男は恍惚としながら我を忘れて咀嚼し続けた。
 一気に平らげると、警備兵はさらに渡された鶏肉の塊を口に突っ込んだ。
「遠慮するな、まだまだあるんだ。最近よく死ぬんだよ」
 顔を赤く染めた雷蛇が嬉しそうに笑い声を上げた。
亡骸(なきがら)は食あたりするといけねえから食わずに埋めとけって言われたけど、もったいねえしなあ。俺たちの腹ん中に埋葬してやった方が、こいつらも浮かばれるってもんさ」
 明日から勇儀達とともに牢屋区域の防衛任務に就く雷蛇は今のうちとばかり両手に鳥のもも肉を掴んで口に運んだ。



「大変です、麗射」
 血相を変えて作戦室に飛び込んできたのは清那だった。
「鶏舎の中の鶏が全滅したようです」
 声が震えている。
「ここ数日産卵が少なくなって死ぬ鳥が何羽かいたようなのですが、寿命だと思われて放置されていたらしいのです。ところが、夜明け前に鶏舎から鳴き声が上がらないのを不審に思った飼育係が見回ったら、眠るように鳥がすべて死んでいて……」
「あ、あの数がすべて、か……」
 麗射の顔から血の気が引く。
 貴重な栄養源の卵と鶏肉が無くなる。それはオアシス軍にとって死活問題であった。



「顔がむくんでいるし、頭のてっぺんの赤い肉冠は出血で黒く変色している。脚も出血で変色している。内臓にも出血しているな、これは酷い」
 オアシス内の無人の建物を使って鶏を解剖した玲斗が眉間にしわを寄せる。周りにはオアシス軍の主だった人々が遠巻きにして集まっている。彼らは、このとんでもない知らせに一様に顔を強ばらせていた。
 水の後に再度強い酒で手を洗った玲斗が結果を待ち受ける人々の前に立った。
「この凄まじい伝搬力、死亡率。多分鳥風邪(とりかぜ)だな」
 一族郎党(ろうとう)を養うために鳥飼(とりかい)の手伝いをしていた玲斗は、鶏については独自に勉強したこともあり、かなり詳しい知識を持っていた。
「なんだ、鳥風邪って?」麗射が身を乗り出す。
「鶏などの鳥のかかる致命的な風邪だ。渡り鳥が持ってくることが多いのだが、一羽でもかかると、瞬く間に病が広がる恐ろしい鳥の伝染病だ」
「そ、そういえば、三羽風が持ってきた鳥、何羽か元気が無かった」
 勇儀が唇を震わせる。「袋に突っ込まれていたせいかと思っていたが――」
「多分、その鶏の中で鳥風邪にかかっている奴がいたんだろう。中には、それほど酷い症状は出なくて、病気だけをまき散らすやっかいな個体もいるらしいからな。見分けるのは難しい、お前のせいではないさ」
 玲斗は勇儀にそう言うと腕組みをして唸る。
「この鳥風邪、今の時期はまだこの辺には流行しないはずだ。流行ってるとすれば気温の低い叡州の南の山脈地帯近く、ぐらいかな。感染した鶏をわざわざ持ってこない限り流行はないだろう。残念ながらあの礼儀知らずの軍師野郎の言ったとおりだ。三羽風にしてやられたってことだな」
「私の判断が甘かった。申し訳ない」清那が机に両手をつき、がっくりと頭を下げる。「食料の手配に焦りすぎて、目が曇っていた。つい、こうあれば良いという方に判断が傾いてしまった。断罪に値する過失だ――」
「止めろ、清那」
 黙って聞いていた麗射が一喝した。
 いつもは穏やかな彼の雷のような声に。皆が一斉に麗射を見つめる。
「決断したのは俺だ。俺以外の誰の責任でもない。清那、俺もお前も自己嫌悪に陥っている暇は無い。そんな暇があれば、次の事を考えてくれ。俺たちには早晩手持ちの食料が無くなる。きっと敵はそれを待っているのだろう。今後敵はどう仕掛けてくる? どうやれば敵の勢力を削ぐことができる? 俺たちはどう戦えば生き延びられる?」
 矢継ぎ早に繰り出される質問。麗射の黒い瞳の中に炎が燃えている。
「敵は私たちを追い詰めるために、早晩牢獄区域に攻め入るでしょう。あそこを取られれば食料を得ることができなくなり我々の息の根は止ります」
「よし、清那。策を練れ。俺たちが安全域に逃げるまで良心は捨てろ、いいな」
 青砂漠の戦いを経て、麗射が変貌した。
 その冷厳な表情からは戦うことに関しての迷いがすっぱりと抜け落ちている。ある種の畏怖を感じたのは清那だけでは無かったようだ。誰言うともなく、彼に向かって皆が深々と頭を垂れた。
「奴め、だんだん魔王の目つきになってきたな」
 幻風はさみしげに目を細める。
 彼の脳裏に、牢獄で獄長を殺そうとした幻風に泣きながら命乞いをした麗射の顔が浮かぶ。
「とうとう時代の渦に掴まってしまったか。まあ、純粋で一途な者でなければ、本当の魔王にはなれぬからな」
 ため息とともに老人も、腰の長剣をなでると会議室を後にした。



 叡州の『江間(こうかん)』。灰燼に帰した首都『珠林(じゅりん)』に代わって、斬常はこの華やかな街に精鋭軍を率いて陣を構え、叡州平定のため各地に散らばる諸将に指示を出していた。
 彼は壮麗な謁見の場の壇上に設えられた王座から、先ほど到着したばかりの一人の将に声をかける。
「貴公には叡州南部の平定を委ねたはずだが、なぜ戻ってきたのだ?」
 斬常は薄笑みを浮かべて、目の前で平伏する牙蘭(がらん)を見つめる。筋骨隆々とした武人の茶色の髪は乱れ、マントは埃にまみれていた。取るものも取りあえず馬を走らせてきたのだろう、目だけをギラギラと光らせている。
 口を開こうとした牙蘭を手で制して、斬常は口を開いた。
「ふん、貴公の胸の内は聞かずともわかるわ。オアシスに派遣しろと言うのだろう」
 牙蘭は、はっと目を見開くと深々と頭を下げた。
「ご明察、痛み入ります。本格的にオアシス侵攻が始まったと聞きました、是非私も作戦に参加させてください」
「公子が心配なのか?」
「いえ」
 顔を上げて迷い無く言い切った牙蘭。斬常は意外だとばかりに左眉を大きく上げる。
「貴公をオアシス侵攻から外したのは考えあってだ。わしとて貴公と清那の浅からぬ親交を知らぬわけではない。我が軍で血と泥にまみれて(つちか)った貴公の誉れが、ふとした気の迷いで台無しになるのを恐れてのことだ」
「王のご温情は深く胸に響いております」
 斬常は情け容赦ない氷の魔王のような男だが、才能のある武人に対しては時に常軌を逸したと思われるほどの愛情を注ぐ。そのため反抗心を持って仕方なく軍門に降った勇将達は、敵として戦っていた斬常と主になった斬常との落差に驚きながら、気がつくと心から主と仰ぐようになるのだった。
 牙蘭も身に余る厚遇を受けているのを実感している。恥ずべき降将の身に降り注ぐ、陽光のような心遣いはその申し訳なさと相まって戦場の彼を鼓舞してきた。
「清那様を助けにいく訳ではありません。むしろ……」
「むしろ、なんなのだ」興味を引かれたのか、斬常の顔が牙蘭をのぞき込む。
「常に、従者として清那様に仕えて参りました。そしてそのずば抜けた才能に心酔しておりました。しかし、いつのころからか……」
 牙蘭の橙色を帯びた茶色の瞳に憂いが走る。
「男として、公子と戦ってみたいという欲求に(さいな)まれるようになりました。自分の持つ能力を尽くして、あの方と対峙してみたい、という」
「才ある者の(さが)という訳か」
 斬常はにやりと笑った。
「あの方を倒すのは私でありたい。オアシス軍が全滅すれば、永久にその機会が失われます」
 だから。
 その瞳は透き通って、まっすぐに斬常を見据えていた。
「よかろう」王はうなずいた。「存分に戦ってこい」
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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