第123話 血飛沫(2)
文字数 3,685文字
正面階段が突破されたとほぼ同時、換気によって辰砂 の煙毒 が収まったのを確認し、煉州軍が右手の道からも突入し始めた。
「騎剛 殿、我らが活躍とくとご覧あれ」
良いところを見せようとばかりに、今度は突入軍の将、真剴 が先頭に立って走り込んでいく。
「いや、先に立つばかりが勇ではないのだが」
正面玄関に立って右手で口ひげをひねりながら騎剛がつぶやく。
「まあ、私は剴斗様を安全にお連れすれば良いだけなのだ。お手並み拝見と行こうか」
煙毒が収まった通路。講義室、美術科創作室と教室名の札が掲げられた前を足音も荒く軍勢がかけ抜け――。
その時、左横の壁から一斉に細い槍が突き出された。青く光る細い槍が何本となく並びまるで櫛の歯の様に兵士の腹部と首を刺し貫く。鉄の胴当てをつけたものも多かったが鋭い尖端を持つその青い槍は、固い胴当てをなんなく貫き通した。
「か、隠し部屋かっ」
真剴は、真っ先に刺し貫かれて赤い血を吐く。刺されたままもがきながら壁に切り込むが、壁は堅牢。槍が突き出た穴も細く剣が入る隙間はない。
貫いた槍が引っ込められると同時に、兵士達の身体から水鉄砲のように赤い血が噴き出した。そのまま彼らは折り重なって通路に倒れる。
「ええい、こんな細槍たたき切れっ」
しかし、血だらけの真剴が最後の力を振り絞って振り下ろした剣は真っ二つになって弾け飛んだ。天青切を手本に配合した青い陶製の武器は、鉄の敵では無かった。
「工芸科の連中が、暇を見つけては作っておいた甲斐があったな」
針のような穴から敵兵の様子をうかがい、幻風がほくそ笑む。
「ええ、美蓮さんと火翔さんのおかげです」
1番後方にいた青年がつぶやいた。彼は菫玲 と言う絵画科の1年生であり、目立たないながらも何事もしっかりこなす学生だった。新入生は逃げ帰るものが多い中、物静かな彼が参戦を表明したときには皆びっくりしたものだ。
「また来るぞ。次もうまく頼む」
先頭に立つ幻風が小声で指示する。単に槍を抜き差しするこの部屋の担当は、武芸の素養の無い学院生や事務の者が多かった。
幻風は厚い壁に耳を当てる。そのままでは聞こえないが、耳を壁に密着させると外の声が響いてくる。
「壁側は盾で防御しろ」
突撃の声と共に、煉州軍の兵士達が今度は普通の三倍は厚い盾を掲げて突入してくる。
細い槍で貫き通せるとしても、この厚さを貫くのは相当な手練れで無い限り時間がかかる。
「今度は全員棚に上がれ」幻風が小声で指令を出す。
槍の入る部分は出る穴こそ小さいが、手元の方が広い円錐のような形になっており、上下左右の自由度がかなりあった。おまけに高い位置にも、もう一列小さな穴が空いており、隠し部屋の者達は作り付けられた棚に上がり上から敵を狙うこともできた。上に立てかけられた槍の中には、まっすぐな槍だと刺せない場所も狙えるように、様々な湾曲 を加えた形のものも置いてあった。
幻風の合図で、上から湾曲した槍が突入してきた兵を襲った。曲がった槍は兵士の裏側から首や薄い鎖帷子を何度も貫く。兵士達は無防備な場所からの攻撃に為す術もなく通路に積み重なる。。
「上官が馬鹿だと苦労するな」
幻風は左親指を眉間に付ける。これは彼の一族の弔いの仕草だった。
その時、奇妙な銅鑼の音が3回響いた。
「何じゃ、この音は? 奴ら煙毒でも使う気か」
幻風は眉をひそめる。
細い穴からじっと目をこらすが、変わった様子はない。しばらくの沈黙の後。
「突撃っ、全速力でかけ抜けろ」
今までと違う声で号令がかかり、大勢の足音が向かって来た。
「次は馬鹿の一つ覚えの力業か。今度は全員下で構えろ」
青年達は皆下に降りて槍を構えた。
「今だっ、突けっ」
針穴のごとく小さいのぞき窓から先頭の兵士の姿を見た幻風はかけ声とともに槍を突き出す。盾を貫いて、兵士は血を吹きだして通路の上に倒れ込む。
が、後に続く兵士達はその兵士を避けて、みな走って通り過ぎて行ったのである。
「どうしたっ」
幻風が横を向いた途端、横に立っていた元事務の兵士が、ぐらりと幻風に倒れかかった。
足音が消えた瞬間、うめき声と血の吹き出る音が薄闇の中に充満する。
風を切る音。空気が動き、かすかな金属の反射光が流れる。
標的は――わしか!
幻風は素早く手に持った槍を床に突き立てる、それをバネに高く飛び上がると迫り来る気配の背後に……。しかし、敵の反応も早かった。反転した気流が幻風を追う。
風が白髪を吹き上げ、空中で右耳が飛んだ。
響き渡る剣戟 、暗闇に火花が散る。
闇の中の青い槍と青い槍のせめぎ合い。
幻風の右頬に血の滝が流れ落ちる。
「爺い、観念しろ。聴覚の左右差は暗闇の中では不利なはず。降伏して両手を突き出せ。年寄りを殺す趣味は無い、両手さえ切り落とさせてもらえば、命は助けてやる」
「わしは、睦言 は左耳、都合の悪いことは右耳で聞くことにしている。いつも右耳はふさいでおるから、無くて丁度良いくらいじゃ」
「色ぼけ爺いがっ」
お互いに槍を向け合って、暗闇の中でたたずむ。
その声は、最後尾にいた学院生、菫玲 に他ならなかった。
先ほどまで共に敵を攻撃していたのに――、それすらも我々をだます手段だったのか。幻風は目を剥く。
「1年余り前から、密かに学院生を装って潜んでいたのか」
「ああ」
「お前のように、優秀で仕事ができ、そして実力で美術工芸院に入れる才をもっているのであれば、もっと他の人生があったろうに」
「それはお前の価値観だ。これが俺の望んだ人生だ」
闇の中にかすかな笑いが響いた。二人以外にすでに動く気配が無い。この男が一瞬のうちにすべて息の根を止めてしまったようだ。
恐ろしい腕をもった男だ。自分の行為に疑いを持たないものほど、怖いものは無い。幻風の背中を冷たい汗が流れる。
次の瞬間。床を蹴る二つのかすかな音。菫玲が槍を――。
しかし、菫玲は手を止めた。
空気の流れが止まり、かき消すように幻風の気配が無くなっている。
天井の暗闇に逃げたのか。
棚の上、もしくはその長い両手両足を壁につけて突っ張っているのか。
その時。
ぽとっ。何かが滴る音がする。
菫玲は音の方向に足を向ける。
頭上に何かが当たる。ぬぐった手の匂いを嗅いで彼はほくそ笑んだ。
ぽと、ぽと……。
「ここかっ」
彼の槍が闇を刺し貫く、手応え――あり。
だが、同時に彼の側腹部にありえぬ方向から槍が差し込まれていた。
どさり、と大きな音を立てて、よろめきながら幻風が床に降り立った。
「耳から頬に伝った血ではなかったのか」血の中に横たわった菫玲がうめく。
「ああ。棚の上で左手首の太い血管を歯で切って血を出したんじゃ。お前さんはここが顔だと想定して槍を突いてくる。そして、わしの反撃に対する防御もその想定の中で行われると考えてな」
「なぜ……」
「わすれたか、天井用の槍の形を。お前の直線的な防御の想定を、この湾曲した槍がかいくぐったのだ」
菫玲からの返事がなくなった。
左手の手首の出血は右手の指で圧迫してなんとか止っている。幻風はそこに小さい薬の印籠を当て、片方を口でくわえた服の切れ端を巻き付け圧迫しながら縛る。菫玲からの最後の一撃は左腕を貫いていた。布を強く撒いて止血すると、彼はただ一人ゆっくりと地下道に降りる階段を進んで行った。
「北の隠し部屋は、1階は大講堂から逃げてくるものを迎え入れ、そして2階は厨房への通路が開ける大切な場所です。死守しなければなりません」
清那は火翔他精鋭10人とともに1階と2階の隠し部屋を防御している。狭い空間であり、後から避難してくる人員を考えると配置する人数は最小限にしなければならなかった。
彼は1階に居て、集まってくる情報を整理している。
「勇儀からの報告では、1階正面の階段は敵に占拠されましたが、院長室と2階の寮の前の扉が打ち崩せず、敵はそこで止っているようです。そして、先ほど幻風が1階の右の通路を突破されたと伝えてきました。この隠し部屋の前の通路にも程なく敵がやってくるでしょう」
「あの幻風でもこの時間しか持たせられなかったか」
清那は眉をひそめながら耳を澄ます。
水音の道の避難がある程度進んだら全員撤退の合図の笛が吹かれるはずであった。
しかし、半刻(1時間)近く時間が経つのに食堂から笛の音は無い。300人強の人数だが、水音の道をまっすぐ行くだけにそんなに時間がかかるとは思えない。
「いったい何が起こっているのか」
清那は眉をひそめる。もうすぐ笛の音が吹かれるのか、それともこちらに連絡ができないほどの異常事態なのか。
その時。
「清那様、敵兵です」小声で報告が入る。「偵察の様です」
北の隠し部屋の前の直線通路は通常でも薄暗い場所だったが、今は厨房前から、真珠の塔の一階部分が貫く部屋の前まで、暗闇の空間にしていた。
「隣の大講堂も騒がしくなってきました」
幻風の隠し部屋が突破されたのであれば、今、大講堂でも戦闘が起こっているに違いない。
「私たちは私たちの任務を果たすだけだ」
清那は配置した兵達に弓を構えさせた。
「
良いところを見せようとばかりに、今度は突入軍の将、
「いや、先に立つばかりが勇ではないのだが」
正面玄関に立って右手で口ひげをひねりながら騎剛がつぶやく。
「まあ、私は剴斗様を安全にお連れすれば良いだけなのだ。お手並み拝見と行こうか」
煙毒が収まった通路。講義室、美術科創作室と教室名の札が掲げられた前を足音も荒く軍勢がかけ抜け――。
その時、左横の壁から一斉に細い槍が突き出された。青く光る細い槍が何本となく並びまるで櫛の歯の様に兵士の腹部と首を刺し貫く。鉄の胴当てをつけたものも多かったが鋭い尖端を持つその青い槍は、固い胴当てをなんなく貫き通した。
「か、隠し部屋かっ」
真剴は、真っ先に刺し貫かれて赤い血を吐く。刺されたままもがきながら壁に切り込むが、壁は堅牢。槍が突き出た穴も細く剣が入る隙間はない。
貫いた槍が引っ込められると同時に、兵士達の身体から水鉄砲のように赤い血が噴き出した。そのまま彼らは折り重なって通路に倒れる。
「ええい、こんな細槍たたき切れっ」
しかし、血だらけの真剴が最後の力を振り絞って振り下ろした剣は真っ二つになって弾け飛んだ。天青切を手本に配合した青い陶製の武器は、鉄の敵では無かった。
「工芸科の連中が、暇を見つけては作っておいた甲斐があったな」
針のような穴から敵兵の様子をうかがい、幻風がほくそ笑む。
「ええ、美蓮さんと火翔さんのおかげです」
1番後方にいた青年がつぶやいた。彼は
「また来るぞ。次もうまく頼む」
先頭に立つ幻風が小声で指示する。単に槍を抜き差しするこの部屋の担当は、武芸の素養の無い学院生や事務の者が多かった。
幻風は厚い壁に耳を当てる。そのままでは聞こえないが、耳を壁に密着させると外の声が響いてくる。
「壁側は盾で防御しろ」
突撃の声と共に、煉州軍の兵士達が今度は普通の三倍は厚い盾を掲げて突入してくる。
細い槍で貫き通せるとしても、この厚さを貫くのは相当な手練れで無い限り時間がかかる。
「今度は全員棚に上がれ」幻風が小声で指令を出す。
槍の入る部分は出る穴こそ小さいが、手元の方が広い円錐のような形になっており、上下左右の自由度がかなりあった。おまけに高い位置にも、もう一列小さな穴が空いており、隠し部屋の者達は作り付けられた棚に上がり上から敵を狙うこともできた。上に立てかけられた槍の中には、まっすぐな槍だと刺せない場所も狙えるように、様々な
幻風の合図で、上から湾曲した槍が突入してきた兵を襲った。曲がった槍は兵士の裏側から首や薄い鎖帷子を何度も貫く。兵士達は無防備な場所からの攻撃に為す術もなく通路に積み重なる。。
「上官が馬鹿だと苦労するな」
幻風は左親指を眉間に付ける。これは彼の一族の弔いの仕草だった。
その時、奇妙な銅鑼の音が3回響いた。
「何じゃ、この音は? 奴ら煙毒でも使う気か」
幻風は眉をひそめる。
細い穴からじっと目をこらすが、変わった様子はない。しばらくの沈黙の後。
「突撃っ、全速力でかけ抜けろ」
今までと違う声で号令がかかり、大勢の足音が向かって来た。
「次は馬鹿の一つ覚えの力業か。今度は全員下で構えろ」
青年達は皆下に降りて槍を構えた。
「今だっ、突けっ」
針穴のごとく小さいのぞき窓から先頭の兵士の姿を見た幻風はかけ声とともに槍を突き出す。盾を貫いて、兵士は血を吹きだして通路の上に倒れ込む。
が、後に続く兵士達はその兵士を避けて、みな走って通り過ぎて行ったのである。
「どうしたっ」
幻風が横を向いた途端、横に立っていた元事務の兵士が、ぐらりと幻風に倒れかかった。
足音が消えた瞬間、うめき声と血の吹き出る音が薄闇の中に充満する。
風を切る音。空気が動き、かすかな金属の反射光が流れる。
標的は――わしか!
幻風は素早く手に持った槍を床に突き立てる、それをバネに高く飛び上がると迫り来る気配の背後に……。しかし、敵の反応も早かった。反転した気流が幻風を追う。
風が白髪を吹き上げ、空中で右耳が飛んだ。
響き渡る
闇の中の青い槍と青い槍のせめぎ合い。
幻風の右頬に血の滝が流れ落ちる。
「爺い、観念しろ。聴覚の左右差は暗闇の中では不利なはず。降伏して両手を突き出せ。年寄りを殺す趣味は無い、両手さえ切り落とさせてもらえば、命は助けてやる」
「わしは、
「色ぼけ爺いがっ」
お互いに槍を向け合って、暗闇の中でたたずむ。
その声は、最後尾にいた学院生、
先ほどまで共に敵を攻撃していたのに――、それすらも我々をだます手段だったのか。幻風は目を剥く。
「1年余り前から、密かに学院生を装って潜んでいたのか」
「ああ」
「お前のように、優秀で仕事ができ、そして実力で美術工芸院に入れる才をもっているのであれば、もっと他の人生があったろうに」
「それはお前の価値観だ。これが俺の望んだ人生だ」
闇の中にかすかな笑いが響いた。二人以外にすでに動く気配が無い。この男が一瞬のうちにすべて息の根を止めてしまったようだ。
恐ろしい腕をもった男だ。自分の行為に疑いを持たないものほど、怖いものは無い。幻風の背中を冷たい汗が流れる。
次の瞬間。床を蹴る二つのかすかな音。菫玲が槍を――。
しかし、菫玲は手を止めた。
空気の流れが止まり、かき消すように幻風の気配が無くなっている。
天井の暗闇に逃げたのか。
棚の上、もしくはその長い両手両足を壁につけて突っ張っているのか。
その時。
ぽとっ。何かが滴る音がする。
菫玲は音の方向に足を向ける。
頭上に何かが当たる。ぬぐった手の匂いを嗅いで彼はほくそ笑んだ。
ぽと、ぽと……。
「ここかっ」
彼の槍が闇を刺し貫く、手応え――あり。
だが、同時に彼の側腹部にありえぬ方向から槍が差し込まれていた。
どさり、と大きな音を立てて、よろめきながら幻風が床に降り立った。
「耳から頬に伝った血ではなかったのか」血の中に横たわった菫玲がうめく。
「ああ。棚の上で左手首の太い血管を歯で切って血を出したんじゃ。お前さんはここが顔だと想定して槍を突いてくる。そして、わしの反撃に対する防御もその想定の中で行われると考えてな」
「なぜ……」
「わすれたか、天井用の槍の形を。お前の直線的な防御の想定を、この湾曲した槍がかいくぐったのだ」
菫玲からの返事がなくなった。
左手の手首の出血は右手の指で圧迫してなんとか止っている。幻風はそこに小さい薬の印籠を当て、片方を口でくわえた服の切れ端を巻き付け圧迫しながら縛る。菫玲からの最後の一撃は左腕を貫いていた。布を強く撒いて止血すると、彼はただ一人ゆっくりと地下道に降りる階段を進んで行った。
「北の隠し部屋は、1階は大講堂から逃げてくるものを迎え入れ、そして2階は厨房への通路が開ける大切な場所です。死守しなければなりません」
清那は火翔他精鋭10人とともに1階と2階の隠し部屋を防御している。狭い空間であり、後から避難してくる人員を考えると配置する人数は最小限にしなければならなかった。
彼は1階に居て、集まってくる情報を整理している。
「勇儀からの報告では、1階正面の階段は敵に占拠されましたが、院長室と2階の寮の前の扉が打ち崩せず、敵はそこで止っているようです。そして、先ほど幻風が1階の右の通路を突破されたと伝えてきました。この隠し部屋の前の通路にも程なく敵がやってくるでしょう」
「あの幻風でもこの時間しか持たせられなかったか」
清那は眉をひそめながら耳を澄ます。
水音の道の避難がある程度進んだら全員撤退の合図の笛が吹かれるはずであった。
しかし、半刻(1時間)近く時間が経つのに食堂から笛の音は無い。300人強の人数だが、水音の道をまっすぐ行くだけにそんなに時間がかかるとは思えない。
「いったい何が起こっているのか」
清那は眉をひそめる。もうすぐ笛の音が吹かれるのか、それともこちらに連絡ができないほどの異常事態なのか。
その時。
「清那様、敵兵です」小声で報告が入る。「偵察の様です」
北の隠し部屋の前の直線通路は通常でも薄暗い場所だったが、今は厨房前から、真珠の塔の一階部分が貫く部屋の前まで、暗闇の空間にしていた。
「隣の大講堂も騒がしくなってきました」
幻風の隠し部屋が突破されたのであれば、今、大講堂でも戦闘が起こっているに違いない。
「私たちは私たちの任務を果たすだけだ」
清那は配置した兵達に弓を構えさせた。