第60話 旅立ち

文字数 2,128文字

 そうと決めたら行動に移すのは早い。手早く支度を終えた麗射は凱斗にあいさつをし、さっそく翌日館を出た。公子を誘えないのは、病のほかにもう一つ理由がある。今回麗射はやはり反乱軍の勢力地域の近くまで行ってみようと思っていたのだ。彼は少しでも氷炎の消息が知りたかった。きな臭い地域である、ことによっては一触即発の事態が起こるかもしれない。砂漠よりも危険な場所にまさか公子を連れて行けるはずはなかった。
 煌露には世間話の合間に、反乱軍の活動地域を聞いていた。
「主に自然の要害である久光山(きゅうこうざん)が反乱軍の本拠地ですが、最近はその周りの町や村も支配下に入れています。七色洞まではまだ反乱軍の力が及んでいるとは聞いていませんが、影響下にある土地は必ずしも連続していません。民衆の中には反乱軍に共感する者も多く、思いもよらぬ地域が街ごと、村ごと、で彼らに内通をしている事があります」
 反乱軍を語る煌露の口調にはどことなく彼らを擁護する雰囲気があった。昨日の凱斗が語ったように、国の守護者としての矜持を持ち強大な力で民衆を抑え込むのが当たり前と信じる支配階級。そして、搾取されるのみで不満を貯める民衆。煉州では彼らの均衡がすでに大きく崩れているのであろう。
「煉州は東西に長い土地です。州都のある西側が栄えているのに対し、東側は火山を望み、灰の積み重なった貧しい土地が連なります。東側はもともと政権に対する不満の多い地域で、反乱軍の主力もそこに本拠地を据えています。幸いにして州都とは離れているので、ここには戦時下の雰囲気はないのですが、最近また彼らの勢力が伸びているので、煉州全体を巻き込む内乱がいつ勃発するか油断のならない状況です」
 煌露によれば反乱軍の本拠地まで、歩いて行ったら10日以上かかるとのことだった。普通に行ったらとてもアイゲル隊の出立に間に合わない計算である。
「しかし、心配はない」
 ニヤリとして呟くと麗射は懐に手を入れた。先ほど玉を一個売ったお金がその中にずっしりと沈み込んでいる。
 さすがにここは煉州の都。武人の多い地域であるため馬の需要があるらしく、貸し馬や、貸し馬車を世話してくれる駅馬がそこかしこに開業していた。聞いて回るととんでもない早馬がそろっており、歩いて10日の行程も馬を使えばなんと3~4日で踏破できるとのことであった。もちろん報酬はかなりかかるのだが、これと思えば、後先考えず金に糸目をつけないのが麗射の常である。彼は二頭立ての駅馬車を御者ごと借り、七色洞と言われる玉の産地を有し、反乱軍の拠点にも近い烈望(れつぼう)郡に向かった。
「烈望ですか、貴石でも掘りに行かれるんで?」
 駅馬車を貸し出してくれた親父は、訝し気に麗射を見た。
「あそこはのんびりした田舎に見えますが、反乱軍の勢力地も近くて今はあまり治安が良くないと聞きますよ。若い旅人が騙されて、反乱軍に加えられたって話も聞きますし」
 万が一駅馬車が帰ってこなかった時の用心代も入っているのであろう、相場よりずいぶん高い値段を吹っ掛けられたが、麗射は文句を言わず言われるままに代金を払った。
「御者は無口な男ですが、腕は確かですからご安心を。とりあえず今日は烈望の途中の玉酔(ぎょくすい)という宿場町まで行くように言っておきました」
 そういうと、親父は屋根付き馬車の扉を閉めた。前方に黒いマントで体を覆った御者がのって、馬を出発させた。
「行ってらっしゃいませ、ご無事でお帰りなさいませよ」
 良い商売だったのか、愛想のよい親父の声が背後から聞こえてきた。
 親父の言う通り御者の腕は確かで、街中でこそ安全な手綱さばきであったが、ひとたび郊外にでるやいなや雷のごとくスピードを出し、風光明媚な周りの風景は愛でる暇なく次々と後方に流れ去った。
 玉酔についたのは、夕暮れであったが幸いにして日没までにはまだ間がある。麗射は賑やかな通りに面した広場で馬車を止めるように声をかける。無口な御者はうなずくと馬車をどこかに止めに行った。
「宿を探さないと」
 馬車から降りてあたりを眺めまわす。さすが玉の産地、通りには光沢のある板に薄い輝石片がはめ込まれた象嵌細工で美しく仕上げられた看板がずらりと並ぶ。それだけではない、連なる壁にも石が埋め込まれ、広場や噴水もキラキラと輝いている。麗射は街のいたるところに散りばめられた美しい貴石に目を奪われてなかなか足が動かない。
 散りばめられた石が夕陽に反射して千の星を散りばめたかのように光る。すでに麗射の思考は停止し、極彩色の乱舞で埋め尽くされていた。
「何をしているんですか、陽がくれますよ」
 夢うつつの心持ちの麗射に背後から誰かが話しかける。
「だって、こんなに美しい町なんだぞ。この一期一会の美を素通りできるものか」
 誰に言うともなしに麗射がつぶやく。
「せっかく、飛ばして連れてきてあげたのに。このままでは闇の中で宿探しですよ」
「連れてきて――?」
 この声。
 我に返った麗射は絶句して振り返った。
「お、お前……」
 そこには黒いマントをかぶった公子が満面の笑みでたたずんでいた。
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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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