第26話 美の砦

文字数 1,916文字

「入り組んでいますね」
 この美術工芸院の形は独特だ。五芒星の建物の中にはすっきりした外観からは想像もできないくらい複雑な経路と部屋の配置がされていた。
「角が多いと、外からの軍勢を撃退するのに都合がいいからね。通路の配置が不便極まりないから学院生はことあるごとに改築しろって言ってるけど、聞き入れられないらしい。あまりの使い勝手の悪さに、玄関にあった設計者のフーニンの銅像は酒を飲んだ学生に壊されたらしいけどね」
 ほら、見ろ。と夕陽が階段の上を指さす。2階に通じる階段の周囲は壁で囲まれ、上から攻撃しやすいように上から下に向けて斜めの勾配を持つ小さな窓がいくつか空いていた。
「あそこから弓を打って下から上がってくる敵を攻撃するのさ」
 キョトンとする麗射を見て夕陽は可笑しそうに笑った。
「だってここ元城塞だからさ。知らなかった?」
「美の砦って呼び名は、例えかと思ってました」
「そう、今でこそ美術工芸研鑽学院なんて気取った名前になっているけど、もともとここは戦うための城として建てられたのさ。激しい闘いで壁が赤く染まったこともあるらしいよ」
 オアシスをめぐる戦いは、千年も前から繰り返されてきた。紆余曲折の末、現在は富に物を言わせてかろうじて独立を保っているオアシスだが、交通の要所に加えて巨万の富を生み出す源とくれば、それもいつ覆るかわからない。
「夜に一人で絵を描いているとね、剣のぶつかる音や、人の叫びが聞こえることがあるよ」
 夕陽がふとつぶやいた。
「怖くないんですか?」
「なぜ? この世の者ならぬ怪異がこの目で見られれば、それは絶好の題材じゃないか」
 うっとりした面持ちで夕陽はにんまり笑った。
「痛みも、苦しみも、恐怖もすべてが創作の種だ。のたうち回るような経験が、魂の作品を生む――」
 麗射の背中をとん、とたたいて夕陽は言った。
「あんたは英雄じゃあない。だがこの学院の多くの学生にとって背中の焼き印は垂涎の的だ。通常の道筋から外れた人生はカッコいいし、地獄のような苦痛を経験することで、初めて天上の美を具現できるからね」
 酒臭い息を吐きだしながらぶつぶつと持論を語り続ける夕陽。
「まあ、反対に苦しみも美に昇華すればある程度は救われるのさ」
 ああ、考え方が俺と似ている、ここはやはり同類の集まりだ。麗射は人肌の湯に身体をゆだねるような居心地の良さを感じていた。
 だが、次の角を曲がったところで麗射の関心をごっそりと持っていくものがあった。
「あ、この絵は?」
 真珠の塔は、星形の西の尖りを貫くようにして立っていた。真珠の塔の入り口が開いている2階の広間のうす暗い一角に、大きな絵が見えた。高い窓からこぼれる柔らかい光に浮かび上がるその絵は、どこかの都の風景だろうか。独特の光沢をもつその画面は、静謐だが明るい色合いで、薄暮に包まれたきらびやかな建物や往来する人物が細やかに描かれていた。
 思わず麗射の足が止まる。
「街のざわめきが聞こえる――」
 いつの間にか麗射の心は絵の中に吸い取られ、その街の中に立っている感覚に陥った。
 美しい街並み、だがその絵はそこはかとない憂いを纏っている。
「叡州の首都、珠林(じゅりん)さ。公子はよくここの絵を描く」
 黙って立ちすくむ麗射にしびれを切らしたのか、夕陽が話しかけた。
「公子?」
 麗射は我に返った。釈放の日に新しく叡州から来た獄長が話した言葉が蘇る。
――叡州の公子が叡州公に嘆願書を出されたらしい。
「通称、銀の公子。叡州公の第二夫人の御子息で、学院に特待生として在籍しておられる」
 夕陽はため息をついて絵を眺めた。
「まあ、ここの運営資金を援助されている叡州公の御子息だから立場は別格だがね。加えてその才能も別格ときているのさ」
「なぜ、銀の公子と呼ばれているんだ?」
「叡州でも珍しい美しい銀色の髪をお持ちだからだよ。よくは知らないが第二夫人は叡州北部の遊牧民の血を引いておられるらしい。銀髪は北辺の一族の特徴だからな」
 砂漠放逸から自分を助けてくれた銀の公子。麗射はふと壁画に深窓の令嬢が煌めいた後で、群衆の中にきらりとひるがえった銀色の髪を思い出した。もしかして壁画に絶妙でこの上なく高価なアクセントを入れてくれたのも公子なのではないか。
「公子はどこにおられる? 一度会ってお礼を言いたいんだけど」
「公子は学院の外にお住みで、普段はなかなか会うことがない。だが、学院生とはいえ教授陣もかなわぬほどの知識をお持ちなので、特別に講義も受け持っておられる。そうだな、そろそろ画面構成術の講義が始まる時期だ。すぐに会えるだろうよ」
 一回生を何度も経験している夕陽だけに、その言葉に間違いはなさそうだった。

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登場人物紹介

麗射:「青銀の風」の主人公。絵師を目指して砂漠の真ん中にある「美術工芸研鑽学院(美術工芸院)」にやってくる。砂漠で隊商に見限られたり、ラクダに逃げられたり、艱難辛苦の果てにたどり着いた美術工芸院だが、入試受付は前日で締め切られていた。おおざっぱだが、打たれ強く男気のある性格。常に前向きな彼の周りには、いつの間にか仲間が寄ってくる。黒目、黒髪、肌はやや褐色。

イラム:麗射と泉で出会った謎を秘めた少女。金髪、青い目。

走耳:スリをして服役中、麗射と知り合う。いつもいるか居ないかわからない存在感の無い男だが、神がかった運動神経を持つ。孤高を保ち誰のことも信じない。茶色の髪と茶色の目。

「清那」入学年齢に達しない13~4歳だが、訳あって美術工芸院で学生兼講師をしている叡州第三公子。細密画が得意で、風景を描かせれば右に出る者がいないが、なぜかその絵は寂寞としている。

「雷蛇」なで切りの雷蛇として囚人達からも恐れられる極悪人。牢獄の中で麗射を目の敵にして暴力を振るうが、妙に単純で人なつこいところもある。


「幻風」エセ占いで捕まった得体の知れないジジイ。笑い上戸で、走耳が唯一心を許す人間。

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